発見
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「しつれいします…」
ボスの部屋までは迷うことなく辿り着くことができた。
しかし、そこから目の前の扉をノックするまでにかかった時間は5分。イコール心の準備に要した時間がそれである。
イムファミリーにいた時のボスは義理の父親であったし、アビノファミリーではボスが恋人だった。もちろんそう言った事情もあるが、それ以上にマルシ=ユチェという人物はミリがこれまでに出会った様々なマフィアとは群を抜いて違うオーラを持っているように感じたためだ。
緊張の面持ちで扉を開くと、その向こうには前日にここを訪れた時と変わらず不機嫌そうにデスクに向き合うボスがいた。
更に、次の瞬間恐ろしく悪い目付きで睨まれたものだからミリは思わず肩をビクつかせる。…しかし、対するユチェも入室してきたのがミリであることを認識した瞬間意外そうに目を丸めた。
「なんだ、おまえか」
「はい…すいません」
「(こ、怖かったああ)」
ユチェは万年筆を投げ出すようにコロコロとデスクの上を転がし、疲れた様子で前髪を掻き上げた。
ミリはそんなユチェの元へおずおずと近寄っていく。やはりマルシファミリーほどの大きなマフィアのボスともなれば仕事も多いのだろうか、お疲れの様子で。
そんなユチェに申し訳なく思いながらもそっと書類をデスクの上へと差し出した。
「どうした」
「あ、の…これキャメルさんに預かってきて」
既に差し出してしまってから気付いたのだが、ここへ来るまでに力を入れ過ぎていたらしく少しばかり紙に皺が寄っていた。
やばい、と思ったが書面に目を通すユチェはそんな僅かな皺などまったく気にも留めていなかった。
「…ち、面倒くせーな」
「……えーと」
「給仕やメイドの勤務表だ」
「え?」
言われて、ミリはユチェの手元へ視線を落とす。
実はここへ来るまでの間も、仕事の書類ならばあまり見ない方が良いだろうと思い内容を出来るだけ見ないようにしてきたのだ。
言われてよく見てみれば、何人もの人の名前が書かれた名簿のようだった。
「こんなことも、ボスの仕事なんですか」
「こいつらは本部のジジイが寄越してきた、ただの一般市民だからな。情報をあまり漏らせねえだろ」
「…一般市民?」
「言っとくが隊員以外の奴らはマフィアじゃねえ。ジジイ…8代目が雇用促進だがなんだがっつー面倒な理由でうちの地区の働き口がねえ奴らを纏めて雇ったんだ」
――すごい、とミリは純粋に思った。
ヨナンもルッチもそんな仕事をしてはいなかったし、市民の生活だとか雇用問題だとか、そんなことに気を回すことさえも無かったように思える。8代目のそれはもはやマフィアの仕事じゃない。政治だ。
だからこそ、イムファミリーやアビノファミリーの取り仕切るイム地区、アビノ地区と比べてマルシファミリーの取り仕切るマルシ地区の町はミリの目にもどことなく豊かに見えたんだ。
「目を通すからその辺で待ってろ。終わったらすぐにキャメルの所へもってけ」
「あ、はい」
ユチェは面倒くさそうに首を鳴らしながらも上から順番に目を通し始めた。その辺で待てと言われたミリだったが行く宛てもなく。更に何も言われなかったのでそのままユチェの作業を眺めることにした。
少し、気になったことがあったからだ。
「…あ、の」
「なんだ」
「その名簿、1人名前が重複してます…よ」
「…あ!?」
「す、すいません!」
それは先ほどチラと書類を見た時に、偶然気付いたことで。1枚目の書類と2枚目の書類にあってはならない名簿の名前の重複が見つかったのである。
ちなみに決してミリが謝らなければならない理由など無かったのだが、思わず謝ってしまうほどにユチェの声が怖かったのだ。
「ちっ、確認もしねーで押し付けて来やがってあのクソガキ!」
「あああの、ユチェさん…!」
「なんだ!」
「私がやります!」
「……あ?」
「……あ」
はと我に返ったミリ。
ユチェの言う「クソガキ」という相手が恐らくキャメルであろうことは容易に想像が付いた。お世話になってるキャメルがユチェに叱られる所など見たくなかった、その一心で思わず零れ出てしまった言葉だった。
「おまえがやる…?」
「す、すいませ…あ、でも、あの…パソコンさえ貸してもらえれば…その、私そういう仕事してたことあるから…えと、迷惑でなければなんですけどそれ、私が…直しましょう、か…?」
しどろもどろに言葉を繋げるミリを、ユチェはじっと観察した。
よくよく考えれば、あんな風に一瞬見ただけの書面の中から適格に重複箇所を見つけたミリの観察能力は凄い。おそらくこう言った書面や数字を見ることに慣れていたためであろう。
つまり、そういう仕事をしていたという今の言葉は嘘ではないと思われる。
「出来ンのか」
「え?」
「パソコン使えんのか、オマエ」
「は、はい!」
「…そうか」
ユチェはミリの返事を聞くとまるで面白いものでも見つけたかのような表情で、笑った。