弱者
***
「ヒナタを殺したことがそんなに許せなかったのか?お前は俺が好きなんだろ?だったらどうして、どうしてあんな餓鬼のことなんか!」
「……ちがう」
「だったら何が気に入らねえんだ!俺はこんなにもお前を大切に思ってるのに…!」
ミリの目に、もう涙は浮かんでいなかった。次第に声を荒げ始めるルッチをミリは冷静に見つめる。
ルッチはいつだってミリに対してだけは紳士的だった。部下の人達に対しては時々怒鳴っているような場面に遭遇したこともあるが、ミリが視界に入ればすぐにその表情は別物に代わっていた。まるで、自分だけ特別扱いされているみたいでミリはそれが凄く嬉しかった。
だから、こんなルッチを見たのは初めてだった。
「私はもう、私のせいで人が死ぬのが嫌」
「何訳の解らないことを、」
「解らないの…?イムの家で私の代わりに薬を飲んだ使用人と、ヒナタくん、それに貴方は私を匿ってくれようとしていた教会の人達や子供達まで皆殺しにした…!」
ミリの後ろで、ずっと黙っていたキャメル達が息を呑むのが解った。その教会とはミリがキャメルに拾われる前に少しの間身を隠していた場所だ。
しかしすぐに嗅ぎ付けたルッチが、必死にミリを守ろうとしてくれた彼らを皆殺しにしてしまったのだ。キャメル達にとってもすぐ隣りの地区で起きた悲惨な事件だったので、印象に残っていたらしい。
「だから私はもう1人で生きるって決めたんだよ。ルッチの所になんて戻らない」
「ちっ、こいつ…!」
ルッチは右手を振り上げた。
当然、今までに一度だってルッチはミリを殴ったことなんてなかった。
しかし…これが、あの優しくて、カッコ良かったルッチの本当の姿なんだ。偽りの王子様なんかに夢を見ていた、自分が馬鹿だったんだ。
ミリがそんなことを考えながら覚悟を決めた、その瞬間。
耳元でスッと風を切るように、ミリの背後から腕が伸びてきて。ミリは驚いて後ろを振り返った。
「フィ、フィオナさん…!」
「あー…だめだ。ごめんねアンタ達がせっかく我慢してたのにあたしが手ぇ出しちゃって」
「まったくじゃあフィオナ。俺だってさっさと手ぇ貸してミリちゃんに『ラキさんステキ(はあと)』とか、言われたかったのにのー」
「…ラキ、痛いわお前」
殴りかかろうとしてきたルッチを止めたのは、またしてもフィオナだった。先程と合わせて、二度も助けてくれたフィオナ。
先程と違うのは、フィオナがルッチの拳を止めたのは手でなく、銃だったということ。カチリと安全装置の外される音が響いた。
「ちょーっと動かないでねえ。
私、男が女に奮う暴力だけは絶対に許せないんだ」
「関係ねえ奴らは引っ込んでろ!俺はミリと話してんだ!!」
「悪いけど、今のアンタじゃミリの気持ちを理解することは逆立ちしたって無理でしょうね」
容赦なく銃を発砲するフィオナ。
その銃声にミリは息を呑んだ。目の前でルッチが崩れ落ちる瞬間をまるでコマ送りのように見ていた。
「ルッチさん!!」
「てめえら、よくもルッチさんを…!」
「面倒くさいから動かないでよザコキャラが」
ここまで大人しく黙っていたルッチの部下達がついに騒ぎ出した。しかし、フィオナが再び銃口をルッチに向けると彼らは揃って動きを止めた。
今、フィオナが撃ち抜いたのはルッチの右足だ。あの程度の怪我でルッチが死ぬことは無いだろうが、二発目は解らない。流石のルッチもこの足で、この距離からの銃弾をくらえば急所を外すことすら難しいだろう。
「さて、あとはアンタ次第よお姫様」
「……え」
「コイツのことなら大丈夫、この程度じゃ死なないわ。わざわざアンタに考える時間を作ってあげたんだから感謝しなさいよ」
「考える、って…」
(今更、何を…?)
フィオナはゆっくりと足を進めて、ミリとルッチの間に入った。ミリの目の前にはフィオナの小さな背中があった。
それがどういうわけか……その細い肩が、小さな背中が、ミリにはとてつもなく大きく、そして暖かく見えた。
「アタシね、昔1人だったの」
「……。」
「1人で、いろんなマフィアに雇われて仕事してたの。
私は強かったから仕事には困らなかったけど…毎日が辛かった。もしもボスに…ユチェに、出会えていなかったら…きっともう死んでた」
「フィオナさん……」
「みんなに出会えたから…こんなアタシみたいな、ろくでもない女でも、帰る場所があるから…今でも笑って生きていられる。仲間が出来たからもっと強くなれた。
そこにいるキャメルもラキも同じよ。アタシ達は、弱者だった。アンタと同じでね。
だから放っておけないのよ。弱者の辛さを知ってるから、1人の怖さを知ってるから、アンタに同情ができるの。アタシ達は…もう弱者じゃないから、強くなったから、今度はアンタみたいなどうしようも無い子を助けたいって思うのよ」
フィオナはルッチに銃口を向けたまま、振り返ってミリに無邪気な笑顔を見せた。
ミリは息を呑む。一瞬でも気を緩めたら、また涙が出て来てしまうような気がした。
「アンタがどうしたいか、気持ちを聞かせて。じゃなきゃアタシもキャメルもラキも、どうしたらアンタを助けられるのか解らないじゃない」
「…わたし」
「うん」
「強くなりたいです…。フィオナさんみたいに強くなりたい」
「そっか。
じゃあ、どうしたら良い?この男の所に戻って強くなる?それともこのまま1人で逃げて、強くなる?それとも、アタシ達と一緒に強くなる?」
「……。」
胸が締め付けられる。苦しい。
だけど何だろう、この暖かい気持ちは。
「ミリ、ミリ…」
「ルッチ…」
「こんなやつらの話なんか聞くなよ…戻っておいで、ミリ。もうオマエを泣かせない。誰も殺さないよ。だから……ミリ、傍にいてくれよ…なあ、」
ルッチは震えながら立ち上がって、足を引きずりながらフィオナを交わしてゆっくりとミリの方へ近付いてくる。ルッチの縋るような目がミリを捉えた。
……大好きだったルッチ。強くて、優しくて、王子様みたいだったルッチ。今でもルッチが好きかと言われたら…気持ちは解らない。
だけど、ミリにはもう答えは決まっていた。
「アタシは、強くなりたい」
「ミリ…」
「フィオナさんみたいに、キャメルさんや、ラキさんみたいに。でも、ルッチの所にいたら…強くなれない気がする」
「オマエは強くなる必要なんて無いんだよミリ…!オレが、オレが…!
ミリを渡してたまるか!!」
「私はマルシファミリーのみんなの所にいたい!!」
――ミリが、強く叫んだ。
「あーあ、暇だったぜ」
「フィオナにええ所持っていかれちまったのーキャメル」
気付けば…コキコキと首を鳴らすキャメル、そして狐のお面の下から覗く形の良い唇を楽しげに歪ませたラキが、ミリの両脇から現れて。フィオナを中心に3人の大きな背中が、初めてミリの前に並んだのだった。