過去3
一方……ルッチはその時、1人書斎である人物とパソコン越しに向かい合っていた。
『ボス、お久しぶりです』
『ルッチか』
『ええ』
画面の中にいた相手はアビノ=ファミリーにとってのボスであり、ルッチにとっては義理の父親。イム=ヨナン本人だった。
『仕事ぶりは聞いているぞ。よくやってくれているらしいな』
『ありがとうございます。今日は例の薬の件でお耳に入れておきたいことがあるんですが』
『なんだ?』
『近々、また大きな取引があります。それで内容の確認を…』
『その件なら一切の権利をお前に任せたと言ったはずだぞ?俺はお前を信用している。好きなようにしたら良い。』
『…ありがとうございます』
イムファミリーにはルッチ率いるアビノファミリー以外にも、幾つも従えているファミリーが存在する。そんな中でも最も新入りで、最も若い集団であるアビノファミリーをヨナンは心底信頼していた。ルッチが自分を裏切らないという確かな自信があったからだ。
ルッチ自身、幼い頃にどんな大人達からも見捨てられ1人で生きていくしか道がなかった己を救い上げてくれたヨナンのためならどんな仕事だってやり遂げる自信はあった。
『……そういえば、』
『なんだ?』
『ミリは元気ですよ。会いに来られないんですか』
『……ああ、アレのことか』
思い出したように切り出したルッチの話題に、画面越しでも解るほどヨナンは顔をしかめた。
義理とは言え、自分の娘について語っているとは思えないほどに冷たい口調だった。
『アレの代わりぐらい、いくらでも連れて来れる。育ててやった恩義すら返せない道具などいらん』
『それはミリが貴方のことを本当に慕っていたからですよ』
『……しかしお前があの娘にそれほど執着するのは予想外だったよ。それを思うとあの恩知らずも少しは役に立ったということだな。ミリに関してはもう、お前の好きにしたら良い』
『ありがとうございます』
『一先ずお前は例の取引に集中しろ。次の報告は取引終了後だ。良いな』
『わかりました』
2人の会話が途切れ、部屋は静寂に包まれた。
ルッチはパソコンの電源を切ると、口許に薄い笑みを浮かべて顔を上げる。視線は、その室内を閉ざす一枚の扉の向こうへ向けられた。
『…終わったよ、ミリ』
『!』
――ルッチは、気付いていた。
その扉の向こうでミリが聞き耳を立てていたことに。否、正確にはルッチとヨナンの交わす話にショックのあまり動けなかったのだ。
ルッチは立ち上がって扉の方へ歩み寄り、静かにノブを引いた。そこには、ミリがいた。
『いけない子だな。仕事中は近付くなって、言ったはずだろう』
『……。』
『おいで、ミリ』
そう言って、ルッチは何も話さないミリを己の腕の中へ閉じ込める。……しかし、直ぐさまミリはルッチの腕を払いのけた。
キッ、と目上にある相手の瞳をミリは睨みつける。
『例の薬、って何』
『ミリは知らなくて良いことだ』
『私はヨナンに変な薬を飲まされそうになったことある!あれのことなんじゃないの!?あの薬のせいで、イムの家の使用人が1人殺された!』
『それで?』
『……もしかして今の話、私が聞いているのを解ってて聞かせた、の?』
『そうだと言ったら?』
『……。』
ルッチはミリからの詰問にも一切の動揺すら見せることは無かった。それどころか相変わらずその口許には薄い笑みが浮かんでいる。ミリはこのとき、初めてルッチが恐ろしいと感じて思わず一歩、相手から離れるように後退した。
『ミリのために聞かせたんだよ。君は最近、イムの家を気にしているようだったから。もう気にしなくて良いんだよミリ。君は、ずっと俺の傍にいれば良い』
『……ルッチ』
『なんだい?』
『ヒナタくんのこと、殺したの?』
頭がガンガンする。まるで答えを聞きたくない、聞きたくないと自分自身が拒否しているかのように。気を抜いたら耳を塞いでしまいそうで、ミリは必死に拳を握りしめた。
しかし、対するルッチは涼しい顔で。ミリの大好きだった笑顔で、口を開いた。
『なんだ、バレてたのか』
『………。』
頭が、真っ白になった。
握りしめていた拳からはいつのまにか力が抜けて。突然思い出したかのようにミリの双方の目からは涙が流れ落ちていた。
――裏切られたのだろうか?
ルッチに、ヨナンに。
……いや、違う。
ただ見えていなかったのだ。ミリ自身が見ようとしていなかった。見ないようにしていた。
そこからもう何も考えられなくなって、どうやって自分の部屋まで戻ったのかも覚えていなかった。
そして、その日の夜。
ミリは1人部屋から抜け出した。