case.007「帰還リフレッシュ」
何とか舞い戻った事務所。当然ながら中にいた2人はボロボロの僕に少し驚いていた。いや、ドールちゃん先輩が驚いたかどうかというと正直分からないけれど。
「おかえり。…うーん、ずいぶんドロドロだね。そんなに大変だった?ミチカケちゃんがいてあのレベルなら大丈夫かと思っていたけど。イレギュラー?」
室内に足を踏み入れて、一声。
大きな椅子にゆったりと背を預けて窓の方を見ていたサカヅキさんが、振り返らないままに言った。
「ただいまでーす。ですねー、イレギュラーだし失敗しました。すみません」
「あ、いや、僕が体力ないせいでもありますし!ミチカケ先輩だけのせいじゃ…!」
「ああいや、ヒナタ君は気にしないで。まあ体力は今後のためにもつけるに越したことはないけど、今日は初勤務なわけだからね」
にこやかなのにどこかひんやりとした声。
笑顔のままっていうのがより怖いというか、圧を感じるのは僕だけだろうか。
「ミチカケちゃん」
「はい」
「わかってるね?」
「はい」
そんな風に言葉少なに、けれど確実な響きを持って何やらミチカケ先輩と話を済ませたサカヅキさんがひとつ頷く。
「じゃあよし。さ、2人の初案件について話を聞こうかな。ああでも、まずは着替えか。うーん、ヒナタくんって他人の服でも大丈夫なタイプ?」
「え、まあ、さほど気にはしませんけれど…」
「じゃあこっちにおいで。ミチカケちゃんはゆっくりしてていいよ」
「はーい」
「え、あの」
「ヒナタくんはこっちだよ」
「あ、はい」
サカヅキさんに連れられるままに部屋を出る。受付の前、急に足を止めたサカヅキさん。どうしたんだろうか。
「あの」
「ヒナタくん、三半規管大丈夫だよね」
「は」
「シロモ、開けろ」
「んみーぃ」
「え、今の」
サラッと何やら言われたかと思えば、置かれていたぬいぐるみを手に取って放り投げる。
放り投げる?!
突然の奇行に驚いて思わず声を出すも、それよりも早く投げられたぬいぐるみから鳴き声。不自然に空中にとどまって震え、ぐわっとその体積を増やしたかと思うとその大きな壁のような状態で停止。
な、なんだ?これ…。
「じゃあ、行こうか」
ガチャリ。
白いふわふわの壁、その端にある見慣れた金属製の取っ手。
「ドア…?」
「さあ、入って入って」
「え、あ、失礼します…?」
混乱の中、促されるままに足を踏み入れる。
…深くは考えないでおこう。世界には僕の知らない常識や現象がたくさんあるんだ。これもその一つ。そういうことにしておこう。
扉の向こうはごく一般的な部屋だった。いや、むしろシャープでスタイリッシュな空間。モデルルームのような整頓された部屋。こころなしか、いい匂いすら感じる。
「ここって…」
「ああ、俺の部屋だよ」
ですよね!
「えーっと、ってことはつまり?」
「シャワー浴びてきて。ああ、中にあるのは好きに使っていいよ。その間に服とか用意しておくから」
「…はい!」
深くは考えない。全力疾走で汗もかいて、転んだせいで砂や土でドロドロ。ありがたくお借りしよう。
ボスに逆らってはいけない、そういうことなのだ。きっと。
そうして慣れないピカピカの浴室でザっと熱いシャワーを浴びて、用意されていた服を借りて出る。髪は多少湿っているけれど、そのうち乾くだろうし。
「上がりました。いろいろ、ありがとうございます」
「ああ、サイズもそんなに問題なさそう。気にしないで、俺が目についただけだから。うん、じゃあ戻ろうか」
「はい」
十数分ぶり3度目の事務所。
部屋に入る前から漂っていたいい匂い。机の上には人数分のティーカップとケーキ。
「のどかちゃん、初仕事おつかれー」
「…」
ぱあん、とクラッカーが鳴らされる。え!ドールちゃん先輩もクラッカー持ってる。ってことは、いま、紐を引いたのか?!動くんだ、ドールちゃん先輩って!?
「あはは。ヒナタくん、ドールちゃんのことなんだと思ってる?」
「す、すみません」
「さー、こっちどーぞ。のどかちゃんは特別におっきいやつだから」
「あ、ありがとうございます」
優しい…!祝いの席なんていつぶりだろう。少なくとも大学の新歓以来な気がする。
ソファに座り、カップを持つ。
「のどかちゃんの初仕事の完遂と、うちへの仮加入を合わせて。かんぱーい」
少し高く上げ、そしてひと口。温かい甘さが体中にしみわたっていく。
「おいしい…」
「ミチカケちゃんは紅茶を淹れるのが上手いから。今日もそうだけど、基本うちは朝のティータイムを採用してるから明日からも飲めるよ」
「最高ですね!」
「んん、そこまで言われるとちょっとむず痒いかもー。でも、期待してていーよ」
「あ、ちなみにそのケーキは俺のお気に入りのところ。この近くにあるから、気に入ったならまたたまに買ってくるよ」
「…!」
飴と鞭!でもわかっていても普通に嬉しい…!そしてこのケーキ、すごくおいしい!
シンプルなショートケーキ。スポンジもクリームの控えめな甘さも甘酸っぱいイチゴも、どれも相性がいい。家を出てからはケーキなんてコンビニのものをたまに買うぐらいだったけど、今度からはちゃんとケーキ屋さんで買うのもアリかもしれない。
なんて美味しい紅茶とケーキに舌鼓をうっていれば、感じる視線。
「…あの、なにか?」
じいっとこちらを見つめる3対の目にたじろぐ。うう、僕何かしてしまっただろうか。食べ方?食べ方が変なのか??
「変じゃないよ」
「心を読まないで…」
「のどかちゃん、美味しそうに食べるから?」
「んぐ」
「…」
「…」
まあ、変じゃないならいいか。
視線を気にしないようにしつつ、ケーキをペロリ。最後に紅茶で口の中の余韻をすっきりさせたら、タイミングを見計らったようにサカヅキさんが口を開く。
「じゃ、聞かせてくれる?」
サカヅキさんはそう言って手を組んだ。




