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case.005「相対ヴァイオレンス」


 まだ顔が赤い気がする。耳がジンジンする。

「そ、そういえば、怪異と近くなるってどういうことなんですか?いわゆる見えるようになる、みたいなことなんですか?」

 誤魔化すように気になっていたことを聞いてみる。手はなんとなく、着けたばかりのイヤーカフに触れる。金属特有の冷たさが気持ちいい。

 こういう特殊なアイテムって、なんかいいよな。学生の頃だったらもっと露骨にテンションが上がっていたかもしれない。


「そのままだよー。んー、怪異と人間って別の存在なのはわかるよねー?」

「はい」

「多少影響はし合っているけど、基本的には薄皮一枚向こうの世界っていうかー。重なり合わない隣人、なんだよねー」

「重なり合わない隣人、ですか」

「そーそー。たまーにそのバランスが崩れたりして怪異に出会っちゃう人もいるってところかなー。大体そういう時は人間側の世界が怪異側の世界に部分的に上書きされちゃうんだよねー。のどかちゃん、昨日襲われた時何か変じゃなかったー?」

 変。

 というとやはり、あれだろうか。

「えっと…普段通らない道とはいえ初めて通るわけでもなかったし、時間帯だってそこまで深夜って程じゃなかったですけど、でも、人がいなくて音がなかったような…。あ」

「そーいうこと。…いまも、音がないでしょ?」

 そうだ。

 過去だとか田舎だとか電柱がないとか。それ以上に、ここにはおかしなところがあった。

 違和感。そう、音がないんだ。


「過去の田舎って言っても、動物や人はいるはずだよねー。それに、くねくねの話がネットに出回り出したのは遡っても30年以内。でも、ここは電柱もなければ見渡す限りずーっと無人。どころか風もないし、草木の揺れる音もない。つまりー?」

「ここは過去であると同時に、怪異側に上書きされている状態…?」

「だーいせーいかーい。よく出来ましたー」

 パチパチパチ、と口で言いつつ手も打ち鳴らしてミチカケ先輩が大げさに褒める。

 んん、なんだかむず痒い。会社ではみんな生気がなくてげっそりしているかイライラしているかのどちらかだったし。教えられたことを理解できなくて舌打ちされることがあっても、理解できたことを褒められたことはなかったから。

 …やっぱ、ここ居心地いかもしれない。ちょろい僕はそう思った。

「っていっても音が出せないわけじゃないけどねー」

「ああ!昨日ミチカケ先輩が蹴ってた時とか、音してました!」

 質量のある何かを蹴る鈍い音とか、質量のある何かが落下する音とか。

「だからこれも渡しとくねー」

「ホイッスル…」

「基本的にはバディとして一緒に行動するけどー、場合によっては怪異に引き離されちゃうこともなくはないからねー。見失ったら吹くこと」

「はい!」

 やっぱり、頼もしい…!

 この際、怪異に引き離されるかもしれないとか怖いことは聞かなかったことにしておく。


 それから体感にして10分以上。

 何もない田舎道を歩いて行くと、ようやっと人里らしきところが見えるようになった。

「うーん」

「どうしたんですか?」

「んー、なんかいろいろぐちゃぐちゃかも」

「?」

 なんだか腑に落ちないといった微妙な表情でぐっと眉間にしわを寄せて考え込む。

 キョロキョロ自分でも周囲を見渡してみるけれど、さっき言った違和感ぐらいしか分からない。

「…わかった。急ぐよ!」

「え、あ、はい!」

 突然走り出したミチカケ先輩について走る。先輩、結構足早やっ。いや、デスクワークで僕に持久力がないせいもあるかもしれないけど。

「っは、ミチカケ先輩っ、どうしたん、です、かっ?」

「イヤーカフの話したよねー?怪異と近くなるっていうのは、いわゆるエンカウント率も上がるってことなんだけどーっ」

「はいっ」

「それにしてはっ、結構長い間何にも出くわさなかったでしょーっ?」

「はいっ」

「それってさーっ、つまり他にターゲットがいるからかもしれないんだよねーっ」

「な、なるほどっ?」

 走りながらのせいで上手く頭が回らない。そもそも、昨日の全力疾走のせいで太ももとか筋肉痛なんだよなあ~!

 返事とダッシュでいっぱいいっぱいの僕に、ミチカケ先輩が分かりやすくまとめてくれる。

「誰か巻き込まれてるかも、ってことーっ!」

「そ!それは、やばい、ですねっ!」

 誰か他の人が、今この瞬間にも怪異に襲われているかもしれない。

 それは良くない知らせだった。

「ちょーっとギアあげるねーっ!のどかちゃん、なにかあったらそれ吹いてねっ」

「っはい!」

 ぐんっとミチカケ先輩が遠くなる。どうやら僕に合わせてセーブしてくれていたらしかった。とはいえ、身を守る術も知識もない誰かが命の危機に瀕しているのなら優先順位は考えるべくもない。

 すこし心細くはあるけれど、僕にはさっきもらったホイッスルもある。

 荒れる息とボロボロの足に鞭打って、ホイッスルを握りしめながら遠ざかっていく背中を必死で追いかけた。


「っはあ、はあ、はあ」

 ここ、どこだ?ミチカケ先輩はどこに行ったんだろう。

 ようやく町、いや、村らしき場所にたどり着いて足を止める。いつの間にかミチカケ先輩の姿を見失ってしまったけれど、ここのどこかにいるのは間違いないだろう。

「っ!あっちか!」

 ガシャン!と大きな物音。

 音の方へ走っていくと、蹲って震える小さな背中を守るようにミチカケ先輩が立っている。

「っ先輩!」

「!のどかちゃん、この子任せるねー?」

「はい!」

 ダンっと強く踏み込んだ先輩が前方に躍り出る。白い何かが視界の端に揺らめいたのを無視して子供の傍に駆け寄る。

「大丈夫っ!?どこか痛い所とか…っ!」

 背に触れた手が凍るように冷たい。反射的にバッと手を離して後ずさる。

 ああ、もしかしなくても、これって…。


 ぐりんっと不自然なほどに後ろに傾いた首。

 ぽっかりと空いた眼孔。

 不気味なほど白い肌。


「やばいかも…」

 それは巻き込まれた子供なんかじゃなく、人間ではない何か。

 怪異だった。



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