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case.014「爆速タイムアタック」


 覚悟していた以上に、痛い。


 図書室の扉を開けて、ありったけの空気で警笛を鳴らす。途端、さっきの指先を切ったような痛みとは比べ物にならない痛みが腕に走って、逃げるように図書室を出た。

「っぐう、さすがに頭だけ出して吹くのは出たことにはならないか…!」

 一応待ち伏せの可能性を考えて入ってきたのとは違うドアから飛び出したけれど、走ることを考えたらタイミングはここしかなくて。

 笛の音がミチカケ先輩の耳に届いたことを祈りながら駆けだす。

「痛い、しぬほど痛い…っ!」

 でも死んでない。だからとりあえず走るしかない。

 汗か血か。知りたくもないので見ないまま、ぬるつく


 強制的に始まった障害物競争とはいえ、途中で図書室に逃げ込むというカードを切ったのは怪異側にとって反則だったらしい。図書室のルールと言い、もしかしたらこの学校には複数の怪異がいるんだろうか。

 …出来ればそうあってほしくはないけれど、ミチカケ先輩と合流できていないのも気にかかる。もしかしたら僕の思っている以上に厄介で強力な怪異案件なのかも。

 後方から聞こえる笑い声はいつの間にかうめくように低く、より強く精神を蝕むような不快な響きに変わって僕のあとを追ってくる。

「…っ!」

 無限にも感じる廊下を延々と走る、ふりをしてぐっとUターン。背後から伸びていた腕を深く沈むことで間一髪避けて、床に手を付きもたつきながらなんとか反対方向へ。

 っぶねえー!転ぶかと思った!終わったかと思ったァ!!

 冷や汗をかきながら走れば、先の見えない廊下の風景が歪んで剥がれ落ちるように正しい姿に戻る。

「っしゃ!読み、通りっ!」

 事務所で眠気と闘いながら読んだ膨大な過去の事案、そしてネットで漁った眉唾のホラー話。そこからヒントを得た、ギリギリの方法。

 延々と続く長い廊下に閉じ込められたら、反対方向に素早く動く!攻撃が空振ったことは怪異側もおそらく予想外のはず!今のうちに距離を稼ぐ!

「かいっだん!?」

 見えた廊下の切れ目に飛び込むと床がない。念願の階段に勢いよく飛び込み、意地で踊り場に着地。そのままの勢いで壁にしこたま頭を打ち付ける、のをなんとか腕でガード。

「いっ…!」

 心臓が浮遊の恐怖で一拍遅れて暴れ出す。

 別の意味でしぬかと思った…!

「あ、くう…っ!」

 着地で足を捻ったらしい。

 もう全身がばきばきで、さすがにこれ以上は無理だ。

 踊り場の床に這うように片手をついて、恐怖を上回る疲労と痛みによる脂汗を流す。手に握った中身の少ない水鉄砲だけが頼り。

「…!」

 来る!


 歯を食いしばって指に力を籠めた時、ぐっと体を持ち上げるように引かれる。

「えっ」

「さすがにこれは手に負えないでしょ」

「…」

「っど、」

 ドールちゃん先輩!と、サカヅキさん!?え、なぜ?事務所にいるはずじゃ。いや、それよりもまずなんでここが分かったんだ?!

「まあまあ。細かいことは後でね。…さ、頼むよ」

「…」

 サカヅキさんの言葉にドールちゃん先輩の姿が掻き消える。…ドガン!とてつもない重量が落下したような音と振動。ハッと見上げれば、階段のうえ、巨大なハンマーを掲げるドールちゃん先輩。

 えっ。いまアレ打ち付けた?

「そのまま解体しちゃうから、被害は気にしなくていいよ」

「…」

 まるでハンコでも押すように軽い手つきとスピードで滅多打ちにされた怪異。すり潰されたのか、致命的なダメージで先に消えたのか。

 ほんの数秒で染みすら残さず消えた、僕にとっての強敵の最後に言葉もない。

 ぽかんと口を開けたまま見上げていると、大きな手が覆うように視界を閉ざす。近くで声。

「じゃ、残りもその調子で。ミチカケちゃんも見かけたらよろしく」

「…」

「うん、一足先に送って来るよ。…ああ、そうだな。じゃああとは任せる」

「…」

「あはは。分かったよ」

 何やら暗闇の向こうで話しているのが聞こえたけれど、心身ともにボロボロの僕には内容も上手く読み取れず。そのまま意識を落とした。



「っは!…いたたたた!」

 甘い香りに急速に意識が戻る。

 飛び起きろうとした体が痛みでうまく動かせない。中途半端にズレた態勢をそっといたわるように戻される。

 腰が深く沈むこの感触、覚えがあるような…。

「まだ寝てなさーい。のどかちゃん、全身ずたぼろのボロ雑巾なんだからねー」

「あれ、その声は…ミチカケ先輩?」

「そーだよー。ドールちゃん先輩も社長もいるよー」

「え…」

 どうにか痛む体を動かさないようにして、目だけを動かして周囲を確認。

 明るい蛍光灯の光、温かい温度とやわらかさ。ん?やわらか?

「ああ、動いちゃだめだよ。せっかくミチカケちゃんが膝枕してくれてるんだから。あはは」

「ん!?」

「しゃちょー、きょどらせないでくださーい。のどかちゃん、おとなしくして」

「はい!」

「っぷぷ」

「社長?」

「はーい」

 どうやら、ここは事務所で間違いないようだ。それにミチカケ先輩も含めて、全員そろっているらしい。

 …怪異はどうなったんだろう。あの学校は。いや、それよりも仕事は?まだ確認しなきゃいけない個所もあったはず!

「こら」

 安全な場所にいると分かったら、気がかりなのは任された仕事のこと。

 もぞもぞ動こうとすればすかさずやわらかな叱咤の声が耳を打って、反射的に動きを止める。

「のどかちゃん、仕事はこっちで終わらせたからだいじょーぶ」

「す、すみません…。やっぱり僕、足を引っ張ってばっかりで…」

 情けない。

 いくらここでは新人だとか、怪異に対抗する手段がないといったってこの体たらく。そもそも、飛び込む前にサカヅキさんへ連絡すればよかったんだ。それをちょっと廃工場でアシスト出来たくらいで調子に乗って…。

「った!」

 ぐるぐる思考のドツボにはまっていく僕の額に鋭い一撃。

「今回のはくねくね以上のイレギュラー。それにド新人が失敗するのはとーぜん。それ以上は傲慢だよ」

「!」

「ミチカケちゃんの言う通り。今回もイレギュラーの上、普通なら死んでるような怪異だまりのバッティング。…本当なら、今日はただ軽く体力を消費する程度の簡単なフィールドワークの予定だったんだ」

 いつも浮かべている笑顔をふっと消して、真剣な面持ちで話すサカヅキさん。

「どうやら本当に良くない流れが来ている…」

「…」

「うん、しばらくはドールちゃんにも動いてもらうことになるね。あまりここからキミを動かすのは良くないんだけど…、そうも言っていられなさそうだ」

 な、なんだか深刻そうな雰囲気…。

 ミチカケ先輩の膝枕状態で格好がつかない僕はとりあえず黙っておく。

「ミチカケちゃん」

「はい。準備します」

「よろしく。…ヒナタくん」

「っはい!」

 急に呼ばれた名前にびくりと反応し、その衝撃で走る痛みに眉をしかめる。

「今日からうちに泊まりね。荷物とかはこっちで用意するから、ヒナタくんは身一つで大丈夫」

「え」


 どうやら展開は待ったなしのようだ。



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