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case.013「崖っぷちタイムリミット」


「あ、ここだ…」

 エリア一番奥、入り組んだアトラクションのスタッフ専用通路。ではなく、その近くにあるトイレ。廃工場よりもずっと強く感じる違和感。

 少しの後ろめたさを抱きつつ踏み込んだ女性トイレは、しかしはっきりとその内装を変えていた。

「し、」

 今までとは違う、明らかにヤバいと感じる空気。禍々しさが渦を巻いて身が竦むような重圧。カチカチと歯がぶつかる音。

「しぬかも、しれない…」

 清潔に整えられたタイル地は古めかしい木目に。白くはじく様な蛍光灯の光は日没直前の赤いラインに。いや、あれは太陽の光じゃない。

「燃えてる、外周全体…!?」

 見覚えのない古い木造校舎、遠く見える揺らめく炎の壁、凍り付く様な冷たさ。

「ヤバい、これは本当に、ヤバい…!!」


 走る。

 太ももが痛い。ふくらはぎ爆発しそう。喉と肺が限界で吐きそう。

「アハハハハハ!」

「キヒヒ、ハハハハハ!」

 ざらついてひび割れた不気味な声が響く。

 猫が獲物をいたぶるように。決して追いつかないギリギリの距離で追い回し、爪でひっかくように小さな傷を作る。決定的な暴力はやってこない。

 遊ばれている。

 それだけが明確な事実だった。

「…っ!」

 脇腹に熱さ。背後から伸びた黒い腕が、握りこんだコンパスの小さな針を続けさまに3度刺して引っ込む。崩れそうになる体を無理やり押さえて、右へ飛ぶように転がる。

 流れる視界の端に異様に大きな剣山が置かれていたのを確認。転がった先、数歩分前に怪しげな水たまりを見て急ブレーキ。なんとか立って、避けたらまた走り出す。

「クソったれ…!」

 あまりに加害的な障害物。

 そう、僕は今、障害物競争の真っ最中なのだった。



 回想。

 とんでもないホラー現象に巻き込まれていることは考えるまでもなく分かった。

 一瞬放心し、しかし命の危機に心臓を傷めながら正気に戻る。とりあえず、ミチカケ先輩と合流したい。早急に。

 木造故に振動が響きやすいだろうという安直な考えで壁に耳を当ててみる。…あまり分からない。ので、床に寝そべって耳を当て、目を閉じて集中。

「たぶん、いた」

 ドンっと叩きつけるような衝撃を聞き取ったので、そこに賭けることにした。

 ひとまず階段を探そうと身を起こし、戦慄。

 当然ながら音もなく、しかし不自然に真っ黒な肌の子供が僕のすぐ傍に立っていた。

 手に三角定規、黄色い帽子、赤いランドセル。口が開き、真っ赤なそこから黒板をひっかいたような不快な音がとんでもない音量で飛んでくる。

「ぐぅっ!」

 ダンダンダン、と効果音がつきそうなほどの勢いで足を床に打ち付けた怪異が、1枚の画用紙をこちらに向ける。

 子供らしい、大きさやバランスがぐちゃぐちゃな文字。クレヨンらしき、真っ黒でかすれた書き跡。

「しようがいぶつきようそう…、障害物競争?」

 真っ赤な口が異様なほど吊り上がって。

 当たり前みたいに突き出された三角定規をとっさに避ける。右頬が薄く切れて、じくじく痛い。

「キイィイイイイィイ!」

「キハ」

「キハハハ」

「キャハハハッハハ!」

 どろりと溶けた怪異。床に画用紙が落ちる瞬間、僕は立ち上がって駆けだした。



 回想終了。

 ホラー。いや、むしろバイオレンスなデスゲームというべきだろうか。要素自体はホラーのはずなのに、あまりに物理的な生命の危機。

「おえっ」

 廊下、長すぎない…?!結構走ったはずなんですけど…!

 混乱の末の逆ギレで頭が沸騰しそう。

「アハハハ!!」

「なに、が!面白いんだっ、くそ!!」

「アハハハハハハハ」

「あーっ、もうっ」

 やぶれかぶれ。イチかバチか。

 とっさに開いていた教室の中へ。素早くドアを閉めて、物陰に潜む。

「…ふう、…ふう」

 小さく押し殺した呼吸。

 ああ、何かないか。どうにかこの状況を打破する何か。

 辺りを見回す。

「図書室…?いたっ」

 指先に鋭い痛み。まさかもう?

 とっさにかばうように壁についていた手を引いてみると小さな切り傷。まるで紙で切ったような。

 紙?

 バッと頭を上げれば、壁にポスターが張られている。


 としょしつのルール

 としょしつには、お水やものをもちこまない。

 としょしつでは、しゃべらない。

 としょしつから、かってにもちださない。

 ほんをよむこといがいのかつどうはきんしです。

 ルールをまもらないひとは、ばっそくです。


 …つまり、ここに居る限り障害物競争は開催されない。

 ほっと息を吐き、いや待てよと思いなおす。ここに来るまでにすでに残り時間は2時間を切っていた。一時的に怪異に上書きされていようとも、現実の時間は通常通り。ここに来てから10分は絶対に経っているはずだし、そもそもこの怪異を何とかして出られても、まだチェック箇所は残っている。

 …悠長にかくれんぼなんてしている余裕はない。さっさとミチカケ先輩を探して合流して、怪異を何とかしてもらわないと。そのうえ、仕事も残っている。

「すーっ…」

 ウエストバックを漁って、銀の塊を右手に。左手には唯一の武器を。

 靴紐をきつく締め直し、ゆっくりと立ち上がった。



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