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case.000「九死のファーストコンタクト」


「っはあ、はあ、はあ…っ!」

 荒い息がこぼれる。

 人気のない、閑散とした暗い夜道。でもここは割と都心で、夜と言っても夜中ってほど遅くもない。普段なら誰かしら出歩いていてもおかしくないはずなのに。

 不気味に点滅する街灯。不自然なほどに人も音もないのに、追ってきている見えないナニカの気配を強く感じる。

 幽霊か妖怪か、はたまた全く別の化け物か。

 分からない。分かるのはただ身の毛もよだつような薄暗い恐怖、じわじわと追い上げ近づいてくる終わり。

「だ、だれか…」

 誰か助けて、と声なき叫びが喉を絞るように漏れ出て目じりから涙があふれる。

 どうしてこんなことに。ホラーはさほど特別苦手な訳じゃないけど、だからって別に得意なわけでもない!


 くたびれたスーツががむしゃらな逃走にしわを作っては伸びる。擦り切れた革靴が限界を訴えたころ、視界の先、まるでスポットライトに照らされたようにひときわ明るい箱。

「…!!」

 思わずその灯りにすがるように入り込み、かかっていた受話器を取る。どこにかけるべきかとか、何というべきかなんて冷静な思考はない。

 ただ反射的に持ち上げて耳に当てたその受話器から、明るい女の声がするまで。

「お電話ありがとうございまーす」

「あ、…あの!」

 自分以外の、人間の明るい声にどっと安堵が押し寄せて、乱れる息のまま裏返る声で話しかける。電話代はもちろん、番号すら押していない。つまり、どこにもかけていないのに繋がっている。

 まあ、混乱の中でそんな不可思議に気付くことはなく。

「いっま、えと、追いかけられててッ!これ、どうし、どうしたら…!?」

「はい、はい。了解でーす。すぐそっち行くんで、ご安心を~。あ、でも成功報酬かかりますけど、いいですかー?」

「いいっ!いいから、はやく!」

 バンバンと透明な電話ボックスを外から叩く音。

 見えないのに、誰もいないはずなのに、夏なのに。外の寒さで白く曇った硝子に手形がついては重なって見えなくなる。

 ここから出れば死ぬ。

 そんな数秒先の未来に背筋が凍るように冷たい。冷や汗で全身がびしゃびしゃだった。

「ご利用ありがとうございまーす」

 耳元、左右から聞こえる。右耳に当てた受話器越しの音、左耳を打つ肉声。

「っとと。せま!」

「あ…」

 派手な髪色。動きやすいジャージに、フリフリのエプロン。エプロン?

 いつの間にか、狭い電話ボックスの中にもう一人。

「よいしょ」

 ガチャリと何でもないように扉を開ける女性。

「え、あ、」

「せーの!」

 危ない、なんていう暇もなく。

 ドッと鈍い音。振り上げた足が見えない何かを蹴り飛ばす。見えない何かはそのまま吹っ飛んで、道路にべしゃりと音だけが落ちる。

「ええー…?」

 物理攻撃、効くんだ…。


 そこから先はびっくりするほど一方的だった。女性はひたすらに見えない何かを蹴って、打ち上げて、踏んではまた抉るように蹴る。見えないながらに、なんだか可哀そうですらある一方的な蹂躙だ。いや、たぶん僕の命の危機だったわけだし可哀そうというのもおかしな話だと思うのだけれど。

 正直蹴られているであろう対象はまったく見えないけれど、彼女の行動がパントマイムだの演技だのには見えなくて。鈍い打撲音も聞こえるているし。

 10分か1時間か。気づくと嫌な寒さも消えて蒸し暑い夏の熱気が身を包む。じっとりとした空気に冷や汗じゃない水が噴き出る。

「あ、あなたは…、一体…」

「ん~?」

 けだるそうに振り返る。

 横髪だけがずっと長い不思議なショートヘアは目の冴えるような黄色やピンク、水色の混じった派手な髪色。一転して真っ黒な長袖長ズボンのジャージに白いエプロン。頭のカチューシャから察するに、メイドさん?…なぜ、メイド。

「あ、そうだった。ごほん」

 きゅっと足先を揃えて手は前に。

「お電話ありがとうございます。こちら、怪異討伐・派遣サービスです」

 流れるように深く、丁寧なお辞儀。おお、メイドさんだ。

 作られた可愛らしい声が弾むように明るい。

「あ、はい、どうも…」

「つきましては、成功報酬として…。こちら、サインとお振込みをお願いしますね。あ、いまお支払いいただけるならそのまま頂戴しまーす」

 差し出されたバインダーには簡単な誓約書。そして、そこに記された支払額…。

「ごっ…!?」

「ああ、分割は要相談なので。とりあえずサインお願いしまーす」

「五十万!?いやいや、無理です無理です!!僕なんてしがない社畜で!薄給だし!生活もカツカツでェ!?」

「あー。そういうの、いいんで。命に代えられないですよねー?じゃあ、サインするしかなくないですかー?」

「いやでもッ!?」

「サ・イ・ン」

「うう…」

 たしかに命には代えられないけれども!

 女性の圧に押されるままに半泣きで署名。ああ、五十万なんて大金、どうしたら…。

「はーい、たしかに。ありがとうございまーす」

「ごじゅうまんえん…」

「じゃあ、行きましょーか?」

「え、どこに?」

「そりゃもちろん、うちの会社の事務所ですよー」

 それって、合法な会社ですか…?

 なんて、当然ながら言えるはずもなく。ついでに言えば、命を救われた側の僕には命の恩人の言葉に逆らうなんて出来ないわけで。

 いろいろドロドロでボロボロの僕は、おとなしく彼女の後ろについていくしかないのだった。



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