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4 崇徳院(すとくいん)

崇徳院


 翌日の朝、有情は朝食の買い出しに行こうとも思ったが、結局、家にあるもので簡単に済ませようとグラノーラにヨーグルト、目玉焼きの簡単な朝食を作った。湊川は少しぐずぐず言ったものの比較的すぐに起きてきて有情と一緒に遅めの朝食を取った。昨日会った時は綺麗にまとまっていた髪も結構バサバサだった。それもまた一興である。普段、綺麗に身なりを整えている女性がラフな装いをしているのもいいものだと思った。


 万博公園前にあるららぽーとのユニクロで買い物をして、釣りに連れて行こうと考えていた有情だったが、湊川がユニクロはどうも好きでは無いだの、どうせ買うならもっと本格的なアウトドアウェアを買いたいというようなことを言った。ららぽーとにはモンベルも出店していることを告げると、それなら行ってみようということになった。


 日曜日だったので駐車場探しに時間を取りたくなかったため、車は彩都西のコインパーキングに停めてモノレールで行こうと有情の家の駐車場に湊川を案内した。駐車場には年代物のミニと真新しいスバルのワゴンが停めてあった。有情は躊躇なくスバルの方へ歩いていったが、湊川がどうしてもミニで行きたいと言った。


「乗り心地悪うて疲れるで」有情は事実を伝えた。


「こんなん乗ったことないし、オートマやから運転さしてな」それは構わないが、果たしてパワステのついていない車を運転したことがあるのだろうか。


 この四十年で自動車は異常に進化したなと感じた。おそらくミニと八十年前の車はほとんど変わっていない。(トランスミッションはオートマになってはいたが)ミニとスバルでは雲泥の差だ。スバルはブレーキを踏まなくても追突はしないし、渋滞時にはハンドルから手を離していても大丈夫だ。フライフィッシングや射撃は旧態依然としている。竿を振る装置を腕につけて釣っても面白くないだろう。同じコースを飛翔するクレーピジョンはロボットなら確実に全弾命中するだろう。やはり趣味的なものは腕が介在していくらの物だなと独りごちた。


 話は逸れたが、有情は渋々ミニで行くことにした。通勤で使っているし、整備はきっちりしてあるので真夏の炎天下にクーラーをかけたりしない限りは止まったりはしないだろう。有情の家から彩都西までは道も空いている。まずは湊川に乗せてみようと思った。


 ミニのオートマのセレクターレバーの配列は一般的な自動車のそれとは少し違う。まずPレンジがない。普通の車は上から順番に高速ギヤ、そして下に行くに従って低速ギヤになる。つまりニュートラルのすぐ下がドライブレンジだ。ミニはニュートラルの下が低速ギヤで一番手前が高速ギヤになっている。これ自体は伝えるだけですぐに理解したようだった。問題はパワステがついていないことだった。しかもラックアンドピニオン式のステアリングのlock to lockは2.7と極めてクイックだ。止まっている状態ではハンドルは回せない。駐車場から出すのに向かいのガードレールに当たりそうになりながら切り返しを繰り返し三分ぐらいかかった。それでもなんとか公道に出た湊川はカーブでハンドルを切りすぎたり、真っ直ぐ走ることができなかったり、その度にコロコロ変わる湊川の表情は見ていて楽しかった。それでもなんとか彩都西のコインパーキングまでは辿り着けることができた。


 モノレールは比較的空いており、万博記念公園前までは快適だった。さすがに日曜ということもあり、ららぽーとはすでに賑わいを見せており結構な数の人がいた。案内板でモンベルも場所を確かめてシャツを見にいった。湊川は気に入った色のシャツを何着か試着した。「果たしてこのシャツを他の誰かが買うのだろうか?」と有情は思ったが口には出さなかった。昨日、有情のベッドの上で汗をかいた湊川は有情がそうしたように事後のシャワーは使わなかった。それを思い出すと少し笑みが出てしまった。


「何笑てるん?ちょっとこれ袖が短い。」湊川はいった。


モンベルは日本のブランドで肩幅の広い湊川が着るとどうしても袖が短くなってしまう。USサイズというのもありはしたが、湊川の目に止まったものは全て日本サイズしかないモデルだった。サイズが合わなくてはどうしようもないので、気乗りはしなかったが、有情は湊川をPatagoniaに連れていった。


 Patagoniaはエコロジーを提唱し、USサイズ展開はしているものの財布に対して決してエコロジーではなかった。昨日、結構散財していたので、ここでたくさん買い物をされると直接来月の予定に響く。ゴールデンウィークの後には四国か広島にフライフィッシングにも行きたい。アルミニウム製の映画で出てくるようなプロのスナイパーが持っていそうなガンケースも欲しい。しかし現実は厳しかった。


「先生!早よ来てぇや。ちょっとどれが似合いそうか見て」


声のする方向を見るとフィッティングルームのそばに5〜6着のネルシャツやシャンブレーのシャツを抱えた湊川がいた。ネルシャツから1枚、シャンブレーから1枚選んでくれと言ってきた。シャンブレーは無難に薄い水色、ネルシャツは黄色か赤で悩んだが、体格が大きいので黄色地に燕脂のチェックを選んだ。


「どう?」湊川がフィッティングルームから顔だけ覗かせてから一気にカーテンを開けた。オレンジのネルシャツは困ったことにとてもよく似合っていた。メンズのLサイズだったので割と余裕はあったものの、大きめを着るのが最近のトレンドになっていた。冬場には少し厚手の下着やタートルネックもアンダーに使えそうだった。シャンブレーも着てみたが、水色はストーンウォッシュジーンズと重ねると若干色がかすんだのでブルーも着せてみた。輪郭がはっきりして、フィットな体型が強調された。シャンブレーは来ているうちに色落ちする。こっちにしておけば色が濃いうちはチノパンや色落ちしたジーンズ、色落ちした後はインディゴがしっかりと残ったジーンズやブラックジーンズとコーディネートの幅が広がりそうだった。シャツ二着で三万円弱の値段だった。この上スニーカーも買わなければならない。


 有情と湊川は次にABCマートに行った。ここではなるべくブーツのコーナーを見せないようにしなければならない。アウトドアブーツとして一世を風靡したDannerがABCマートの傘下に入り、一番人気のDanner Liteは使っている革がタンニンなめしではなくなったものの、非常に人気が高く、見たら気にいるに違いない。幸いなことにブーツのコーナーにはDanner Fieldしか展示していなかった。FieldとLiteでは見た目はほとんど同じではあるものの、細部や生産国の違いがあり、倍ほど値段が違う。湊川はFieldブーツを履いてはみたもののシューレースが面倒などと言っていた。


 ブーツはシューレースの結びにくさに反比例してその使用頻度が減る。


「結ぶのめんどくさかったら履く回数減るで」有情はそう言った。


湊川は一瞬「そうかもね」というような顔をした。そして有情の足元をチラッとみて、有情のパンツの裾を少し引き上げた。有情は「しまった、なんでこんな時に自分はこれを履いているんだ」と思った。


「あれ、これ上の3つがフックになってるやん」湊川は目ざとかった。


長年の使用でくたびれてはいたものの、それは十五年ほど前に買ったDanner Liteの黒タグモデルだった。


「れな、先生のとお揃いがええ」


「いやこれはタンニンなめしの古いブーツでもう売ってないんや」などと言って誤魔化したが、そばにいた店員に「これと展示品のブーツはどう違うのか」などと聞き始めた。間の悪い事は重なるもので、対応した店員はブーツに詳しく、その違いを的確に説明し、ご丁寧に「確かに全く同じものは現在販売されてないが、ほぼ同様のものが違う階のセレクトショップにあるはずだ」とまで言った。


「先生、そこ行ってみよ!」


「またよろしくおねがいします」という店員に有情は愛想笑いを浮かべて店を離れ、案内板を確認しに行った。そして「ちょうどいいサイズがありませんように」と祈りつつセレクトショップに向かった。


 セレクトショップはいわゆるアメカジの店で雑貨や服、パンツが並んでいた。それにはあまり興味を示さず、湊川は真っ直ぐにブーツのコーナーへ向かっていった。展示されていたブーツの中にDanner Liteはあった。ブーツの内側の白いタグには8EEと書かれていた。有情はさすがに大きすぎるだろうと思った。湊川もちょっと緩いといった。対応はオーバーオールのパンツを履いた小柄な女性店員だった。女性店員は胸の前で右手の肘を左手で掴み、右手の人差し指を頬に当てて、天井を見上げるような仕草をした。「ちょっと待っていてください」と店の奥に消えていって、しばらくするとDannerの箱を持ってきた。


「サンプルで取り寄せたものですが、幅が日本人には狭くて、しかも先端に薄い傷がついているので陳列はしていませんでしたが、一度これも試してください。」と言った。箱には8Dと書かれていた。


「さら買いに来たんで傷がついているのはちょっと」と苦し紛れに有情は言ったが、


「先生の靴、どれだけ傷ついてるんよ」と湊川に切り返された。


 確かの有情のブーツは、今こそはしていないが、ハンティングに何度も履いて行き、丁寧に補修はしてあるものの傷だらけであることには変わりなかった。湊川は再度厚手の靴下に履き替えて試着した。傷というのは先端をほんの少し爪で擦ったようなものだった。「ほんの少しだけ緩いようなちょうどいいような。指先は当たらないのだけれど」などと曖昧なことを言っていると店員はごく薄い革製の中敷きを持ってきた。「こいつできるな」と有情は思った。


 Danner Liteは中敷きがなく、普通はそのまま履くようにはなっている。しかし、ゴアテックスがたまにシワになったり、中心部の縫い目が気になったりというような人がいて、そういった人たちは薄い皮の中敷きを敷くことがある。滑りが良くなって履きやすくもなる。ここまでくると有情ももうサイズが合わないのならやめた方がいいとは言えなかった。破格の二割引きにしてくれたが、皮の中敷も一緒に買ったので、五万円近くになった。


 結局、その日、湊川は観覧車に乗りたいだの、動物園があるから入りたいなどと言い出して、釣りに行けるような時間は無くなってしまった。有情は高いところが怖いので、観覧車はあまり好きではなかったが、かなり遠くまでみはるかすことができ、大阪市内のビル群や伊丹空港に着陸していく飛行機、高速道路を走る米粒のような車が見えた。すぐ近くに太陽の塔が見え、有情が学生時代には中に入ることもできたことなどを話すと湊川は満足そうだった。動物園にはホワイトタイガーがいた。初めはどこにいるかわからなかったが、天井が網になっており、そこでうたた寝を決め込んでいるかと思うと突然起き上がり、壁に向かってマーキングをした。「あー、れなみたい」などと軽口を叩いている。有情はシーツを洗濯カゴに入れてくるのを忘れていたことを思い出した。


 釣りに行けなくなってしまったのでどうしようかと考えたが、有情は湊川がカレーの話をしていたことを思い出し、F国風カレーを作ってやることにした。一旦、千里中央までモノレールで行き、阪急百貨店でひねどりの切り落としとパクチー、カレーができるまでの酒のあてにスモークサーモンとブルーチーズを買った。スパイス類は家にあった。


 有情にとってカレーを作るのは慣れていたので、造作ないことだった。ただ、どうしても匂いが付く。油物はほとんど作らない有情だったが、換気扇は必要以上に大きなものを用意していた。カレーを作っている間、湊川はサーモンとチーズをあてにビールを飲んでいた。カレーが完成し、皿に盛る時点でそれを湊川に任せた。その間にさっさとシャワーを浴びて油の匂いを落とした。有情がシャワーから出てきた時、ちょうどカレーが皿に盛られてテーブル置かれ、何も知らない湊川がその皿を覗き込んでいた。


「これがF国のカレーなん?」


「まぁ、近いけど本物はカレーリーフを入れるんや。ええから早よ食うてみ」


「ほな、いただきます」そう言って食べ始めた。


「辛っ。こんなに辛いもんなん?」


「辛さは好みによるよ」


 翌日は仕事だったので、早々に食事を終え、歯を磨いて早々に寝室に向かった。湊川は「シャワーを浴びたい」と言ったが、シャツとブーツの対価は払ってもらわなければならなかった。


 朝、六時前に起きると湊川はシャワーを浴びていた。シャワーを浴び終えると

「桃山台まで送ってや」と言った。有情もそのつもりでいたので快諾した。湊川は昨日食べたカレーが美味しかったことや、今週は企画をまとめなければいけないなどと他愛のない話をしていた。有情も月曜日は外来担当の日だった。


 桃山台に着き車内でキスをして集合住宅に入って行こうとした時に有情は言った。


「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の」


湊川は一瞬キョトンとした表情をしたが


「われても末に あはんとぞ思ふ」と言って笑った。


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