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29 すみれ

 私の家族の話をします。


 私の家族は非常に複雑な構造をしています。そもそも父と母は苗字が違います。私がその全容を把握したのは高校に入ってからです。私の母は大手百貨店の輸入食品部に勤めています。父は母よりもずっと歳をとっています。元々は医者をしていたようですが、今は引退していて、母とは違うところに住んでいます。違うところに住んでいるからといって、両親の仲が悪いというようなことはありません。非常に仲が良いようにしか見えません。母は勤勉ですが、父が仕事の話をしたり、論文を読んでいたりするところを見たことがありません。父は母よりもずっと大きな家に住んでいて、敷地の中に大きな池もあります。その池によく鮒釣りに連れて行ってくれます。その習慣は今でも続いています。中学に入ってからは帰宅時間が遅くなったり、高校では受験勉強をしなければならなかったりで、回数は減りましたが、月に一度か、二度は父と釣りをしています。


 中学に入ってまず驚いたのは友達の両親が皆タトゥーを入れていないことでした。友達と話している時に大人になったらどんなタトゥーを入れたいかという話題を出すと怪訝な顔をされました。私はてっきり大人はタトゥーを入れているのが普通だと思っていたのです。


 小学校の頃にファミリーのクリスマス会というのに連れて行ってもらった時のことです。クリスマス会は父が以前にF国に住んでいた時に使っていた、今は別荘になっているところで行われました。年齢はまちまちで十人くらい参加していた記憶があります。家にはプールがあり、クリスマス会に参加した人たちは思い思いの時間にそのプールを使っていました。ファミリーメンバーは、大小の違いはあったものの、全員が何かしらのタトゥーをしていました。例えば私の兄は背中に大きくヒンドゥー教のカーリーが描いてありましたし、兄の彼女の背中には天秤を持って目隠しをした女性がありました。他のメンバーにもギリシャ文字のサイやアエスキュラピウスの杖などのタトゥーがあったことを覚えています。それ以外にもあかねおばさんも母と似たようなカエルが腰の辺りを這い上がっています。私自身、大人になったらどんなデザインにしようかと子供心に思ったものです。母に尋ねると、仕事に就けばそれにちなんだものにすれば良いのでは、というようなことを口にしていました。ただ、今思えばこれは酔いに任せて言ったことで、小さな子供に適当な答えをしたのではないかと思っています。母にはこういった鷹揚なところがあります。確かに佳奈子さんや奈央さんはそうでしたが、どうしてもカエルが食品の輸入や予備校で教鞭を取ることと関わりがあるようには思えませんし、異教の破壊神と会計の仕事がどのように繋がるかは今もって謎です。


 謎といえばこの家族旅行に関して疑問に感じたことがまだあります。家族といえば一般的には血縁がある人か、もしくはその配偶者という関係性があるはずです。この時の参加者は、兄の主税さんの彼女である佳奈子さんはともかくとして、他の人たちは全くの他人だったように思えてなりません。中学に入ってから複数の友人に尋ねてみても、異口同音にそんな家族旅行は聞いたことがないと言っていました。


 飛行機にしてもそうです。父や母と行く旅行は国内旅行が主で、大抵は車で行っていました。これは父が犬を旅行に連れて行こうとしたので仕方がなかったのでしょう。海外旅行と聞いて大きな飛行機に乗れると楽しみにしていました。しかし、いざ乗ってみると小さな飛行機で座席の数も少なく、父母と私、そして兄の主税さんカップルが乗ると満席といった感じでした。キャビンは小さい応接間のようになっており、前方にバーカウンターもありました。このことも同級生に話してみましたが、そんなはずはないと一蹴されただけでした。それ以降は口にしていませんが、そうだったのだから仕方がありません。


 父は私が物心ついた頃にはもう仕事はしていませんでした。私が小学生の頃には毎日、学校まで迎えに来てくれました。学校からはいつも父の家に帰りました。


 父は私に鮒釣りを教えてくれ、低学年の頃はこの鮒釣りと犬の散歩が二人の日課でした。冬の日暮れが早い時期は散歩だけのこともありました。高学年になると日課に塾通いが増えましたが、週末には必ず鮒釣りをしました。父にとって鮒釣りは単に釣りをする場ではなく、私と会話をする場だと今では理解しています。父の理科に関する知識は実に広範であり、深くもあります。鳴いていたり、飛んでいたりする鳥の名前はもちろんのこと、その分布や生態まで聞けば知っています。同時に仕掛けを投げ込んだ時にできる波紋の干渉についても詳しく説明してくれました。


 少し話はずれますが、あるとき何かで聞いた「天才バカボン」の主題歌を歌っていると、本当に西から登る太陽を見せたくれたことがありました。それも何か賞をもらった小学生が発表した櫓に高速で登るというのではない方法です。そこまで高い櫓は簡単に安全強度が担保できなかったそうです。きっと誰も信じてくれないと言われたので詳しくは書きませんが、私を乗せた飛翔体の前からだんだんと太陽が昇ってきて、その時に計器を見ると明らかに飛翔体は、地球の自転方向、つまり西を向いて飛行していました。父にどんなコネがあったのかわかりませんが、実に不思議な体験でした。


 父を一言で例えると「無理をしない人」です。私にも決して無理はさせませんでした。私たちは日課を終え家に帰るとお手伝いさんが作った夕飯を一緒に食べます。その後に私は幾許かの勉強をします。父は母の食べる分を取り分け、簡単に片付けをするといつもゴロゴロして、映画やドラマをストリーミングで見ているか、本を読んでいます。父の生活の中で座っていたり、立っていたりする時間はほんの少ししかないのではないかと思えるくらい寝転がっている時間が多いです。それは母や私がいる時でもそうで、私が勉強でわからないことがあって呼んだ時にはのそのそとねぐらから出てきて教えてくれますが、問題が解決するとすぐ元の位置に帰って行きます。週末など母に買い物に行こうと誘われてもよほどのことがない限り、一緒に出かけることを渋ります。たまに一緒に出かけることもありますが、それは自分がどうしても現物を見て買いたいものがあるときだけで、自分の買い物が終わると、人が多いだの疲れただの言って早々に帰ろうとします。ただ、毎日の犬の散歩と週に二回の射撃とは欠かさず行っているようです。また、これは母から聞いた話ですが、学校の休みの時期に母がどこか旅行に行くことを提案しても必ず一度は難色を示すそうです。主税さんの母親である雪葉おばさんからも無理に何かさせようとすると必ずしっぺ返しをくらうので、早々に連れ出すのを諦めたと聞きました。


 以前に知り合いの崎岡さんのぶどう園にぶどう狩りに行ったことがあります。その時も相当抵抗したようで、最終的に崎岡さんの奥さんから電話があって初めて重い腰を上げました。しかも、行ったら行ったで、ぶどうは数粒食べただけで、すぐに釣り支度をして、エルケを連れて敷地内にある大きな池で釣りを始めました。そのぶどう園では三日ほどお世話になりましたが、父がしていたのは釣りと農作物を荒らす野生動物を駆除する目的で仕掛けられた罠を見て回ることと、崎岡さん一家と食事をすることだけで、あとは用意された離れでゴロゴロしていました。釣りの腕前は確かなようで、二日目の午後に母と池の方まで行ってみると、父が操るフライロッドからはまるで生き物のようにフライラインが繰り出され、大きなループを作ってフライを水面に運んでいました。母にも少しの心得があるようで、用意されていたフライロッドを振っていましたが、父のそれとは全く異なるレベルのものでした。私にもルアーロッドが用意されていて、それを使って釣りを楽しみました。魚はたくさんいるらしく、父は投げると必ず釣れるといった感じでした。母も私もそれなりの数の魚が釣れました。また、一度、罠にイノシシがかかっており、父から携帯で連絡をもらって、私たちを崎岡さんがその場に連れていってくれました。普段は猟友会の方に回収してもらっているとのことでしたが、その時は父がそのイノシシを捌きました。まるでマグロの解体ショーを見ているかのような鮮やかさでイノシシが食肉になっていくのには驚きました。父もこのぶどう園は気に入ったみたいで、ここにはほぼ毎年連れていってくれます。ただ、必ず行くのに、今回は疲れたからまた今度にしようとか、今回は運転したくないからヘリをチャーターしなければ行きたくないとか、エルケの調子が悪そうな気がするから今年は見送ったほうがよさそうとか、後ろ向きのことはなるべく言って欲しくないです。


 母は仕事に行っていることもさることながら、体臭を気にしてか、毎日、入浴やシャワーを欠かすことはありません。これはよほどの高齢者か、病気で入院している方か、体の不自由な方かでもない限り、今どきの日本人なら一般的なことに思えます。しかし、父は特別なことがない限り、あまり風呂に入りたがりません。髪の毛が少なくなってきたせいか、射撃に行くと必ず帽子をかぶるせいか、頭は三、四日に一度くらいは洗ってはいるようですが、私の知る限りでは十日に一度入ればいい方です。冬場などの寒い時期は二週間以上入らないことはざらにあります。確かに父はあまり外には出ないので、それほど汚れはしないのかもしれません。でも、夏場に鮒釣りをしてかなり汗をかいた日であっても、さほど気にする様子もなく着替えだけして、そのまま過ごしています。


 また、父は汚いことを平気でします。まず、トイレに行っても手に固形排泄物でもつかない限り手は洗いません。そもそも、家に帰ってきて手を洗っているのを見るのは稀です。当然、エルケを触っても洗いません。食事の前にも洗いません。手を洗わないという消極的なこと以外にも積極的な不潔行為も行い、それは非常に多岐にわたります。このようなことをされても母は大騒ぎしたり、怒ったりしません。それは決して父の不潔行為を受け入れているというわけではなく、過剰に反応すると喜んで、さらに行為がエスカレートするというのです。このような行為がよその家庭でも一般的に行われているかどうかはわかりません。父や母が行なってきた様々な行動や彼らの生き様がいまだかつて普通だと言われたことがない上に、この件に関しては繊細な問題を含んでいるので誰にも聞いたことがありません。


 母は日本人にしては恵まれた体格をしています。百七十六センチ、七十キロ、こういえば背の高いおばさんと思われるかもしれませんが、決してそうではありません。高校、大学時代には弓道をしていたと聞きました。少しの間だけ陸上のフィールド競技をしていたとも聞いています。陸上競技は右腕だけを酷使するので、矢が当たらなくなるとすぐにやめてしまったそうです。私もそのせいか高校に入ってから身長は百七十センチを超えました。母は父とは正反対の生活をしています。一日中、ゴロゴロしている父に対して、母は仕事中心に世界が回っているようです。母がどうやって父と知り合い、その関係が深くなっていったかはよくわかりません。母はよく父と行った旅行が今までに経験したことがないようなものであり、仕事にも役に立ったといいます。確かに父は、他の友達の父親と比較すると、あくまでも年齢を勘案してですが、若々しく見えます。母と父が出会った頃とさほど体型も変わらないとも聞いています。しかし、日頃の態度を見ているとどうやって若さを保っているのか不明です。もちろん、ストレスが少ないせいはあるでしょう。私が生まれて比較的すぐに、小さな子供は手がかかると言って仕事はあっさり辞めてしました。その後、私にさほど手がかからなくなってからも、仕事を再開する気配は全くありませんでした。母はその間もずっと仕事を続けており、今では輸入食品部の部長です。よく母は仕事に関しても父からインスピレーションを受けたといいます。また、父がいなければ決して今の地位はなかったし、平凡に生きてきただろうともいいます。


 私は大きくて働き者の母と奇天烈で物知りな父、そして、私を優しく見守ってくれるファミリーのみんなが大好きです。


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