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18 迂闊(うかつ)

 湊川は翌朝まだ暗いうちにダン、ダン、と響く音で一度目が覚めた。しばらく続いていたが、また眠ってしまった。有情が目を覚ますとすぐにそのことを告げた。


「あぁ、あれな。今日はもうおらんから明日聴こえたらまた起こして」



「一体、なんなんよ?」


「百聞は一見にしかずやから、明日、自分で確認した方がええ。害はない」


「なんや周りくどいなぁ」


「それも旅行の楽しみの一つやろ?」


「そう言われたらそうやけど」


と今一つ納得がいかない様子であった。


「それより飯食いにいこや。今日の予定も聞いとかなあかんし」


ダイニングに行くとフルブレックファーストが用意してあった。


『You have to have enough breakfast, coz our lunch might be very simple during hunting』(朝ごはんきっちる食うたか?昼飯少ないで)


有情が言った。

『わかった、キッチリ食べとく』


確かに昼ごはん用に用意されているジップロックに入っている薄いサンドイッチは一人2個ずつだった。


『用意ができたらいつでも出発できる。今日はとりあえず案内がてら可能な限りステーションの敷地を回ってみる』


と言われ、


食事が終わるとすぐに部屋に戻り、歯を磨き、有情は「TOXIC」と書かれたプラスチックケースから非常に鋭利な刃物で作られた複雑な形の矢尻をそれまで付いていたシンプルな矢尻に付け替えていた。


「何それ?」


湊川は聞いてきた。


「これはブロードヘッドいうてな、的撃つんとちごてハンティングの時はこっちを使うんや。日本で矢ガモとかいうニュースに出てるやろ。あれは標的射撃用の矢で生き物を撃つからあんなことになるんや。かわいそうな話やで。ハンティングの時は確実に大血管切るか、脳天に当てな半矢になってしまう。半矢は絶対に避けなあかん」


「半矢って何?」


「矢ガモみたいに半殺しにすることや。矢ガモはまだええ、捕まえて抜いてやったらしまいや。そやけど、ここにおる豚は野生や。一旦見失うたら二度と見つからん。もののけ姫のナゴの神みたいに祟り神になって取り憑かれるで」


「怖いこと言わんといて」


「そのためにこれつけてるんや。万が一、変なとこ当たってもあれがあるから安心して撃てばええ」


と言ってライフルを指さした。


「ほな安心やな」

「まぁ、大丈夫や。ただし、慣れるまでは絶対俺のいうこと聞いてや」


「先生の言うこと聞かんかったことある?」


「あんまりないけど、状況が違う。撃つときはアドレナリンラッシュが起こってるから、つい自分で対処しようとすることがある。獲物が逃げ腰の時は、まぁ、大丈夫や。せやけど向こうも命かかってるから、距離が近いと突進してくることもある。そういう時は一旦身を引くんも肝心や」


「わかった。先生の言うことよう聞く」


「ほな安心やな。怪我して帰ってもつまらんよってな。それと矢尻は緩んだ時以外は絶対に触ったらあかんで。すごい鋭いから。緩んでも素手で触ったらあかんで」


そう言って五本の矢をクイーバーに刺し、ケースに残りの七本をしまった。


自分はタバコとライフルの実包20個ぐらいをウエストバッグに入れた。


「ああ、れな。タバコ忘れるなよ」


「大丈夫、持った」


二人はガイドの待つダイニングにそれぞれの「道具」を持って歩いて行った。


『Are you ready, guys?』(準備はできた?)


『Sure, mate』(もちろん)


ガイドの名前はスタンと言う名前だった。スタンは湊川の持つ矢にブロードヘッドが装着されていることを確認し、大丈夫だと言った。


 フルオープンのハンティング用車両は朝のうちは快適だが、日が高くなるにつれ暑くなり、また赤道にも近いので日差しも強くなる。湊川には長袖のシャツも用意しておくように伝えてあった。また、日焼けしたくないなら日焼け止めも汗をかいたら塗り直すように重々言って聞かせてはおいた。スタンは色々なところに連れて行ってくれて、さまざまな動物も見せてくれた。ただ、肝心の豚はなかなか見つからなかった。2時間ほど走ったところで割と小さな豚がいた。勇猛にも車に向かって突進してきていた。スタンは練習のために撃ってみろと言った。


『いや、これは夕食にしたいから俺がやる』


有情はそう言った。


湊川はボウを渡そうとしたが、それを制止して、隙を見て車から飛び降り素早く後ろ足を掴んで、シースからナイフを取り出し、肋骨の間に差し込み二、三回上下させた。ナイフの差し口から大量の血が吹き出し、たちまち有情の手は真っ赤に染まった。豚はすぐに息絶えた。首に巻いたタオルでナイフを拭き、別のシースから小さめのナイフを取り出し、首のところに穴を開け、気管と食道を分離した。そして雌豚だったので、生殖器と肛門の周囲を腹腔に達するまで円形にくりぬき、腹を割き横隔膜をきれいに切って、先ほど分離した気管と食道と掴んで引き出し、今度は直腸付近を掴み肛門と生殖器を抜き取った。頭を最初に開けた首の穴のところからナイフを入れ、骨を外して首を落とした。最後に腹の中の血を流し、タオルで手を拭いてそのタオルを再び首に巻いた。湊川は「げっ!」と思ったが、有情には往々そういう部分があり、入浴後のタオルも毎回は洗わずに元に戻しているのを何度も見たことがあったので、まぁ、しそうなことだと思った。

『レナのハズバンドはピッグハンターか?』


とスタンは湊川に聞いた。


『わからない、前にハンティングをしたことがあるとは言っていた』


と答えた。


『あれはかなりの手練れだ』


とスタンは言った。


何よりも湊川は有情が「手練れ」だと言われたことが嬉しかった。

 車は延々ステーションの中を走った。広いとは聞いていたが、いくら走っても終点の囲いに到達しないことに湊川は驚いていた。水辺には大きな角をした水牛がいたし、また、角が水平に生えたバンテンと呼ばれる牛も見た。インドネシアから移入されたというサンバー・デアも時折見かけた。ドライブしているだけでも楽しかった。


 2時間くらい走った時に湊川の出番となった。70mほど先に大きなオスの豚がいた。三人は車から降りた。湊川はそのまま狙おうとした。湊川の腕なら命中させることはできると思われたが、さすがのそのまま撃ったのでは面白みがない。有情はマガジンに3発実包を入れ、それを指で押さえてボルトを閉じ、チャンバーは空にしておいた。50mほどまで大きめの木の後ろに隠れつつ近づいた。雄豚は匂いで敵の存在を知ったようでこちらに頭を向けた。右側には他の木も生えており、横から狙うには左側のひらけたところまで出るほかなかった。ゆっくりと移動して斜めではあるが、心臓あたりを狙える場所まで移動し、一射目を撃った。ところが矢は風に煽られ、雄豚の尻のあたりに当たった。怒った豚は猛然と湊川の方に突進してきた。湊川は大して慌てた様子もなく二の矢をつがえようとしていた。ただ、突進してくる豚がいかに速いかを知らなかった。二の矢をつがえ、会を作った時にはすでに豚は20mくらいまで迫ってきていた。有情は実包をチャンバーに装填した。


『れな、一回退避しろ』


有情は言ったが、聞こえなかったようで湊川は二の矢を放った。湊川はこちらに向かってくる豚に対して見越し(この場合は手前を撃つ)を取ることをしなかった。矢が無情にも豚の上を通過した時点で自分が非常に危険な状態にあることに気づいた。足がすくんで動けなかった。次の瞬間、右側から大きな発砲音が聞こえ、怒り狂った豚の進路が少し左に変わった。あとは惰性で走り、湊川の左後ろあたりに倒れた。


「先生、怖かったよ」


と半泣きで珍しく外国人の前なのに日本語で有情に言った。


「こっちに向かってきてるんやからちょっと手前を撃たなあかんよ。それか座るか」


有情は笑いながら言い、首に巻いているタオルを外して、湊川の右腕をさすった。


「何してんの?」


「決まってるやろ、腕、みがいたってんねや」


湊川は始めキョトンとしていたが、どういう意味か悟ったようで笑顔を見せた。

「先生、もうええわ」


「いやいや、まだ初日やからチャンスはなんぼでもある。一回失敗しただけでやめてしもたら、せっかく遠いところまで来てんのにもったいないやないか」


と言いながらまだ腕をさすっていた。


「そんなことわかってるがな。その汚いタオルで腕さするん、もうええ加減やめていうてんねん」


結局その日はもう豚を見つけることはできなかった。


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