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16 会(かい)

 意外な料理が出てきたクリスマスパーティも終わり、今度は街が正月気分になってきた。有情の病院でも正月休みはある。もちろん入院患者全員が正月に家に帰れるわけでもなく、外来患者も薬を取りにやってくるので、正月休みといっても12月30日から1月3日までである。湊川にしても百貨店は大晦日まで年末商戦が続き、2日からは新春売り出しになり、さほどゆっくりと休みを取れるわけでは無かった。その点では人出の多い時期に旅行に行こうとか、どこかに遊びに行こうとか言われることがないので助かっていた。湊川からは大晦日の前の日までは忙しいが、その日になってしまえば、店頭販売員が商品を販売するだけなので、何か問題でもない限り早めに帰れるので会いたいと言われていた。旅行以来、二人でゆっくり過ごす時間がなかったので1月1日にはシャーロットの夕方の散歩にも行きたいとのことであった。


 31日の朝、シャーロットをいつも通り散歩に連れて行った。冬に散歩は寒い。気をつけないと氷を踏んで転倒する事もある。特に有情はライトが暗い時にシャーロットの目に入ると周囲が見えなくなるのではないかと危惧して、シャーロットの固形排泄物を片付ける時か、あるいは前後から自動車や人が来た時に急に発見されて驚かしてしまうと気の毒なので、それ以外はライトをつけないようにしていた。基本的にシャーロットは引き綱を強く引くことはなく、有情に歩調を合わせて歩く。その時もそうだった。空を見上げながら息を吐き、その息が白く変わるのと見届けて、再度歩き始めた瞬間、有情は氷で滑って前向きに転倒した。右手にシャーロットの固形排泄物、左手にシャーロットのリーシュを持っていたので、離せば終いのことであるが、そのまま転倒して右の頬を路面で打った。幸い誰もそんな時間に歩いている人はなく、恥ずかしい思いはしなかったが、結構痛かった。家に帰って鏡で見ると右側の頬に少し青あざができていた。いつも通りシャーロットに餌をやり、自分もいつもの朝食を食べて二度寝をした。休みだったので9時ごろまで寝て、パソコンでメールを確認したりしてしばらく過ごし、スーパーが開店する10時に買い物に行った。買い物の時に有情の方をチラッと見る人が何人かいたが、顔のあざが気になるのかと特に気にせず買い物と続けた。今日は大晦日なので鍋に少し蕎麦を入れて年越し蕎麦の代わりにしようと思っていた。食材を買い終え家に帰り、今晩使う予定の座卓を少し拭いて昼食のサンドイッチを食べ、歯を磨きに行った時に再度鏡を見て驚いた。あざが結構濃く、また大きくなっていた。これではスーパーでチラチラ見られるのも仕方ない。かといってどうすることもできず、どうせ今日は新年が明けるまで起きているのだろうと思い再度床についた。


 午後二時か三時ごろだろうか、玄関のインターホンが鳴った。特に何も注文したわけでもないのになぁ、と思いインターホンの受話器を取った。有情は何か欲しいものがあった時にはよくAmazonや楽天を利用しているが、大晦日に届くような注文はしていなかった。


「先生、早めにきたよ」


「えらい早いな。開けるからちょっと待ってて」


と言って玄関を開けた。


顔を見るなり湊川は


「何それ、喧嘩でもしたん?」


「そんなことするわけないがな」


有情は答えた。


確かに有情は喧嘩などするタイプではなく、そもそもそういう可能性のあるところには近づかないし、たとえ巻き込まれそうになってもさっさとその場から離れるだろう。争いごとが極端に嫌いなようにも見えた。


「今朝、散歩の時に氷で滑ってこけたんや。そこまで痛うはなかってんけど、さっき鏡見たら結構青たんなってた」


と言って湊川をリビングに通した。


スーパーの袋に冷蔵庫に入れる必要のないものが入れたままでキッチンテーブルの上においてあるのを見つけ


「その顔でスーパーにいったん?」


と言って湊川は笑った。


「朝はそうでもなかってんけどな。ところでその袋はなんや?洋菓子か?」


湊川がケーキ屋の袋を持ってたので尋ねた。


「あぁ、これは後でな」


と湊川は言葉を濁した。


その後、冷やしたらどうかとか、湿布でも貼ったらいいのではないかと言われたが、単なる皮下出血なので放っておけば自然に治るからと答えておいた。湊川に突かれたり押さえられたりもしたが、たいして痛くもなかった。


 二人で鍋の用意をしてからソファーに寝転がって主任になってからの話を少し湊川は話した。ただ、具体的な内容に関しては話さず、交渉ごとが忙しいとか、出来の良くない部下がいてそれを奮起させるのに気を使うとか、そういったどちらかといえば人間関係のことが多かった。夕方になりシャーロットの散歩に一緒に出かけた。


「なぁ、先生。前にあかねが翔太先生と結託して、先生に意地悪な質問したことあったやろ」


「あぁ、居酒屋に行った時やろ。面白かったよ。話が突然飛ぶから何言いたいんか初めは分かりにくかったけど」


「なんであんなこと知ってたん?」


「なんでて、知っててんから仕方ないがな」


「せやけど日本三景とか、冬の大三角くらいはわかっても後の二つは普通知らんと思う」


「魚綱の分類は高校の時に生物で習うたし、トランジスタの話は無線の免許とった時に出てきたんや」


「そんなん何十年も前の話やん」


「興味持ったことは覚えてるよ」


「ほな、れなのことも覚えててくれる」


「なんやねん、今生の別れみたいに」


「そういうわけやないけど、例えばどんなこと覚えてる?」


「せやなぁ、初めてうちきた日に小便たれたとか」


「そんなこと覚えとかんでええわ」


「せやいうたかてしょっちゅうたれるから忘れようないやないか」


「意地悪言わんといて」


「どっからかは知らんけど、生のカレーリーフ見つけてきたとか」


「えっ、あれ食べてくれたんか?」


「食うたよ。あの企画があったから今こないして犬一緒に散歩させてるんやないか」


「せやけど、そのために梅田まで出てきてくれたん?」


「しゃあからそない言うてるがな」


「知らんかった。なんで言うてくれへんかったん?」


「忘れてたわ」


「それてさっきから言うてることと矛盾してへんか?」


そう言って湊川は有情の右腕にしがみついた。


「ちょっと、れな。ウンコ、ウンコ」


有情の右手には出したてのシャーロットの固形排泄物が袋に入れてぶら下げられていた。


「げっ、先生、気分大なしやん」


「さっき拾うてんの見てたやないか」


「なぁなぁ、冬の大三角てどれなん?」


「さっき普通知っとる言うてたやないか」


「それは言葉のあやや」


「この時間やとまだ見えへんわ。飯食い終わる頃にはよう見えるさかい、忘れるといかんからちゃんと言うの覚えといてや」


映画の一シーンとしてみればどちらかといえばロマンティックな場面であるはずが、まるで漫才のようなやりとりであった。


 シャーロットの散歩を終え、手を洗って鍋を囲んだ。


「なぁ、先生。IQってどれくらいなん?」


「知能指数のことか?」


「せや」


「WAIS-IIIしかしたことないけど、言語IQと処理速度とかでばらつきが大きい」


「トータルでは145くらい。言語は151」


「はぁ!あほやないの」


「いや、あほではないと思う。平均以上はあるよ」


「せやなくて、なんでそれを例えば勉強にいかしてええ大学行くとか、仕事に生かしたりせぇへんかったん?」


「いや、人には向き不向き言うもんがあるがな」


「射撃かてそうやん。先生が出してるスコアやったら国体とか、どうかしたら国際大会でも通用する成績やん。でも公式試合とか出てるの聞いたことないし」


「射撃場に遊びに行って出すスコアと公式試合で出すスコアは違うよ」

「せやかてこないだその辺に置いてあったスコアカード、5ラウンドで121ってオリンピック選手や言うてもおかしないやん」


「いや、射撃は趣味やから。なんでオリンピック選手がそれくらいのスコアやて知ってるん?」


「興味あったからこないだのオリンピックのスコア見てみてん」

「射撃にしてもフライフィッシングにしても会心の一発が重要なんや。そら満射撃つのも大事なことやと思うし、こないだ初めて満射出て(いお)うてもうたけど、それよりも思た位置で思たように粉々に砕ける方が気持ちええんや。フライにしてもそう。単に魚をたくさん釣るいうことよりもここぞと思うところにフライが落ちて、それをパク〜て魚がくわえてピシッと合わせるんが楽しいんや」


「そんなもんなんかなぁ?」


「せや。ちょっと待っとり」


有情はそう言って一旦二階に行き何か箱を持ってきた。


「ライフルはエアライフルも小口径も体育協会の推薦受けなあかんかったからそれなりに試合には出たんや」


そう言って箱を開けるとかなりの数のメダルが入っていた。


「でもなぁ、会心の一発のために一人で撃ってる方がたのしいんや」有情はそう


言い


「おっ、れな。火ぃちょっと小さし」


「どないしたん?」


「ちょっとだけ外行こ」


「ええけど」


二人は玄関の門灯を消し、外に出た。有情が東の方の空を見て


「オリオン座はわかるか?」


「それくらいはわかるよ」


「真ん中の三つ星の外側に四つ星が並んどるやろ。その中で一番オレンジ色してるんわかるか?」


「うん」


「あれがオリオン座のベテルギウスや。ほいでなベテルギウスの真左のちょい下、わりと明るい星があるやろ、それがこいぬ座のプロキオンや。その二つを底辺にした下向きの正三角形の頂点がおおいぬ座のシリウスや。この三つが冬の大三角や」


「ほんまにあるんや」


「当たり前やないか」


「なぁ、先生」


「なんや」


「さっきは責めるみたいなこと言うてごめんな」


「なんや、俺責められとったんか?」


「もうええわ!さぶいし中入ろ。今日はまだサプライズがあるんやで」


「なんや?楽しみやな」


そういって再度中に入り座卓についた。

有情は締めの蕎麦を入れて


「どや、年越し蕎麦や」といった。


「あかんよ、これ終わらな年越されへんねやから」


と言って洋菓子の袋を持ってきた。


箱を開けるとケーキに「れな、30歳誕生日おめでとう」と書かれたホワイトチョコレートのボードが乗ったケーキが出てきた。


「なんやこれ、自分で書くように注文したんか?」


と有情は笑った。


「もう恥ずかしいから言わんといて。ほいで蝋燭立てといて。それとバブルある?」


「冷蔵庫の野菜室に一本あったと思う。こないだのクリスマスの時に持っていくの忘れた。とりあえず蕎麦食うてまい」と言い蕎麦を食べ、


「先に言うといてくれたらプレゼントも用意したのに」


「そんなんええよ。先生に祝うてもろたら十分や。大晦日やからあんまり祝うてもろたことないねん」


湊川はそう言って冷蔵庫に向かった。


「れな、蝋燭の数が全然足りへんぞ」


「3本でええわ!」


そう言ってバブルとシャンパングラスを二つ持ってきた。


「先生、開けてくれる。たまにフタ飛ばしてしまうねん」


「ええよ」


と言って封を切り針金を解いてから、持って来た新しい台拭きをふたにかぶせボトルを回した。最後に軽くポンと音を鳴らして


「れな、誕生日おめでとう」


と言った。


「ありがと、先生」

二人分のバブルをグラスに注いでそれを少し上にあげて乾杯をした。


「来年もいおうてくれる?」


「もちろんや」


有情はそんなことを続けていれば湊川が婚期を逃すのではないかと思ったが、今はその話をするタイミングではないと思いそう答えた。


 その後二人は笑ってはいけない24時間と紅白歌合戦を交互に見ながら新年を迎えた。

 翌朝、有情はいつも通りシャーロットを散歩に連れて行ったが、湊川は日頃の疲れが溜まっていたのか起きてはこなかった。散歩を終え、二度寝し、再び目を覚ますと湊川も起きてきて、有情のベッドに移ってきた。


「なぁ、初詣行けへん?」


「ええ、いやや。混んでるし」


「そんな有名どころやのうてええから」


うーんと悩みながら


「実家の近所に氏神さんがあるから、そこやったらそない混んでない思うからかまへんで」


と伝えた。


「そこでええよ」


「ほな昼前ぐらいに着くように行こか」


というと


湊川はうれしそうに


「何時ごろに支度したらええ?」


と聞いてきた。


「11時ごろでたらええよ」


「ほなゆっくりやな」


「昼飯、そこの商店街で食お」


 有情が氏神さんといった原田神社は実家のある隣の駅の商店街の中間あたりにある。商店街は最近見なくなったアーケードがある一昔前の街並みで雑多な商店が並んでいる。さすがに最近では商店街にもスーパーが出店してきて、肉屋や魚屋なども二、三軒しか残っていなかった。有情が子供の頃は卵の専門店やハエ取り紙とたくさん吊るした魚屋、雑貨屋、金物屋などが軒を連ねていた。神社の方も毎月一日には一日市というのがあり、金魚すくいやひよこ釣りなどがあったが、今では一日市こそありはするものの規模がかなり縮小され、境内の中心部にある一段高くなった部分の周りで骨董品が売られている程度である。


 二人は車で最寄り駅まで行き、そこから歩いて神社に向かった。普段はあまり人のいない商店街であったが、さすがに元日だけあって、いつもよりは多くの人出があった。商店街にある最初の四差路のところとそこを右に曲がり、少し奥のところに鳥居のある入り口があった。本来、その奥の入口の方が神社と正対しているので、正門に当たるのであろうが、二人は四差路のところの鳥居をくぐり境内に入っていった。混んでいると言うほどではないものの、割と人はおり、順番にお参りをしていた。二人も列に並んでお参りを済ませ、ちょうどくぐってきた鳥居の反対側にある社務所に行き、神籤みくじを引き、お守りを買った。有情はごく一般的な無病息災のお守りを買ったが、湊川は桃色をした恋愛成就のお守りを買っていた。


「おみくじ、なんて書いてあったん?」


「大したことは書いてなかったで。待ち人来らず、失せ物西方より出るとか」


「れなのは子宝授かるって書いてあったよ」


などと話しながら境内を出た。


 昼食はちょうど鳥居をでた左側にある昔ながらのうどん屋で食べた。この店は有情の記憶にある限りそこにずっとあった。ただ、前に行ったのが30年以上前なので中がどうであったかは覚えていなかったが、さすがに机や椅子は変わっているのだろうと思われた。有情はきつねうどん、湊川はけいらんうどんを食べた。おいしかった。


 帰路近くにあるユニクロに寄ったが、休みだったので、そのまま服部緑地公園を抜けて、湊川の家の近くまで行って新御堂に乗り彩都に戻った。シャーロットの散歩の時間まではまだ時間があったので、今年はどんなことをしようかという話を始めた。


 有情は今年もいつも通りだろうと言ったが、湊川は今年の休みにはぜひハンティングに行きたいと言った。そういえばN国にいった時もそんなことを言っていたなと思いだだし、N国の思い出話に花が咲いた。湊川はもう一度N国にいって豚狩りをしたいと言ったが、再度、同じところに行くのもいかがなものかとも思えたし、万が一、N国にいって、ヘリハンティングもするなどと言い出されてはたまらないので、今度はAU国のアウトバック(ジャングルやサバンナを合わせたようなAU国の広大な平原)に行くのはどうだろうかと提案した。そこであればほとんど4輪駆動車に乗って獲物を探し、見つけたら追跡して狩りをするスタイルなので体力的にも安心であった。


「でも車で追いかけて狩ってもそんなに面白ないんちゃうん?」


と湊川が聞いてきた。


「そらそれだけを考えたらそうかもしれんけど、N国とはまたちごた情緒もあるし、晩は晩であかりに集まる虫を目当てにフクロウも飛んでくるし、でっかいワニもおるで。そもそもN国は国土がそない広ないから、なんちゅうか広大ないう感じがせんけど、AU国は国自体が大きいからスケールがちゃう。そんなとこも経験には値するで」


と答えた。


「せやけど、そこやと銃で撃つんやろ?」


「基本的にはせやけど、他にも方法はある」


「どんな?」


「豚があんまり大きなかったら、襲うてきたとこをかわしてナイフで狩ってもええし、ピストルで撃ってもええ。前グァムいった時ピストル撃てんかったやろ。おっ、それからな弓矢でするんも趣あるで。ちょう待っとき」


そう言って有情は2階に上がり、半楕円形のケースを二つ持ってきた。


ケースを開けると迷彩柄のあまり見かけない形の弓が入っていた。


「なんやこれ、ランボーみたいやな」


「ランボー知ってんのか?」


「うん、前に見たことがある。なんやこんな弓矢使うてたような気がする」


 確かランボーはケースの中にあるようなコンパウンド・ボウを自分で組み立てて使っていた。ただ、コンパウンド・ボウを道具なしで組み立てることはできない。


「ちょっと古いけどな、ストリング変えたら使えるはずや。片方は70ポンドやから引くのが大変やけど、もう片方は50ポンドやから引けると思う。俺ももう70ポンドはよう引かんわ」


そう言ってHoytと書いてある方の弓を取り出した。


「こないして引くんや」


とリリースエイドを弦についている輪に引っ掛けて、左腕は伸ばしたまま右手だけで一気に引いた。


若干左腕が前に出てはいたが、きれいな会だった。


「まぁ、ええ会やけど、左腕が前に出過ぎてるな」


「わざとや。なんで会なんて言葉知ってるんや?」


「高校の時ちょっとかじった事あるんや。和弓やけどな」


「ほな話早いわ。まぁ、和弓は武道でこっちはあくまで遊びやけどな。ちょっと裏山で撃ってみるか?」


「うん」


有情は使えるのあるかなと言いながら二階へ矢をとり行き数本と的を持って降りてきた。シャーロットの部屋から外に出て戸を開けて、すぐ裏にある山の道を歩いた。少し行くと景色が広がり、先に貯水池と思われるごく小さなダム湖が現れた。そのダムの下に的をおいて、周囲に誰もいないことを確認して、有情がまず一本撃った。湊川はてっきり真ん中に当てると思っていたが、的にも当たらず的を貼り付けてある硬いスチロールの左上に当たった。


「こんなとこで撃ってええん?」


「誰もおらんし、多少外れても崖やし。そもそもマイ山や」


「は?」


「なんや?」


「マイヤマて何?」


「俺の所有地や。せやからマイ山や」


「これ全部?」


「そんなわけないやろな。そこの貯水池の向こうまでや」


「先生、何もんなん?」


道楽者もんや。開発話が出る前に買ったから二束三文や。早よ撃ってみ」


有情はリリースエイドの使い方を教え、くれぐれも撃つ直前まではトリガーに指をかけないように伝えた。


「和弓とちごて両手で開くんやないで。あくまで右手で引くんやで。指で引かんと腕で引くんやで。引きはじめが重いだけでちょっと引いたらあとは力要らんからな」


弦が戻りバンと音がしてタンッと矢が的に当たる音がすると同時に


「痛ぁ!」


と言う声がした。


「あっ、ごめん、ごめん。和弓とちごて左側に矢つがえるよってに弓返りせんからな。これ着けてもらうん忘れてたわ」


とアームガードを出した。


「わざとやな!」


「いや、会、見たときに左手が前に出てる言うてたからわかってると思うて」


「絶対わざとや。まぁ、ええわ。このシミは何?」


「それは血の跡。ハンティングで使うたから」


「なんかちょっと怖いな」


「食用にするために捌いた時についた血で、俺の血やないから大丈夫や」

「そうか、ほなまぁ、安心やな」


と言ってアームガードを着ていたパーカーの上から装着して再度撃ちだした。


しかし、弾着というか、矢のまとまりがなく、的には当たりはするものの非常にばらけた。


「なぁ、ちゃんと狙ろてるか?」


「狙ろてるよ」


「どうやって?」


「どうて、普通に射ってるよ」


「普通にて?」


「矢先を的に向けて軸の向きとで」


「ああ、和弓とちごてサイトがついてるんや。弓引いた時に右目の前に小さい穴の空いた丸いのがあるやろ。それがピープサイトいうてな、そっから覗いて矢を乗せるレールみたいなんの前に赤、黄、緑の棒が見えるんわかるか?」


「うん」


「それがフロントサイトや。ピープサイトからフロントサイトの先端を真ん中に持っていってやな。緑が30m、黄色が60m、赤が90mに合わせてあったと思うから、この距離やったら緑でちょい下を狙ろたら大体いけると思う」


「先言うてや」


「まぁ、それで撃ってみ」


そう言われ三本撃った。


中心部は外しているものの大体同じような位置に矢が集中して当たった。


「ちょっとサイトがずれてるな。長いこと使つこてへんかったから仕方しゃあないか。まぁ、今日はええわ。寒なってきたし戻ろか?」


「わかった」

二人は刺さった矢と道具を片づけ、家に帰っていった。


「どやった、弓矢」


「これは面白いかも。そやけど一発で仕留めな、矢つけたまま逃げて行けへん?」


「そらそういうこともある。実戦ではクイーバーに何本か刺していくから、二の矢が撃てる。あかんかった時のためにとどめは刺せるようにちゃんと銃も持っていく」


「ほな安心やな」


「ちょっとサイト合わせと練習のためにアーチェリー場に行ってみるか?」


「そんなとこあるん?」


「あると思う。ちょっと遠いけど淡路島にフィールドアーチェリー場があるから、そこへ今度時間ある時に行ってみよか?」


「うん、行ってみる」


 アーチェリーは有情が子供の頃、ボーリングと並ぶ国民的スポーツだった。各地にアーチェリー場があり、万博公園にも以前はあった。しかし、ブームも去り各地のアーチェリー場が閉鎖され、今ではしようと思ってもそう簡単には見つからない。むしろクレー射撃場の方が多いかもしれない。しかもボウ・ハンティングとなれば平坦な場所で撃つだけではなく、さまざまな地形や角度などが要求される。そのためには山野に設置されたフィールドアーチェリーが最適だった。ドレスコードも厳しくなく、迷彩色のコンパウンドボウでも問題なく撃つことができる。


 結局、有情と湊川はハンティング・トリップに行くまでにフィールドアーチェリーには3回行った。弓道の経験のある湊川にとってサイトのついたコンパウンドボウはとても簡単に思えた。


 ただ、相手が生き物であることを除いては・・・。



・会とは弓を完全に引いて発射可能になった状態のことです。


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