15 破壊(はかい)
旅行から帰ってから湊川はしばらく溜まった仕事を片付けるのに忙殺された。有情でさえ事前に書いていった処方箋の薬が切れかけていたり、次の定期薬を処方しなければならなかったりとそれなりに忙しかった。有情が射撃場に行けたのは帰ってから10日ほど経ってからであった。そのとき2ラウンド目に初めて満射を出した。湊川に報告しようと思ったが、またそのうち遊びに来るだろうし、写真もまだもらってなかったので、その時に報告しようとスコアカードだけ写真たてに入れて書架のあまり読まなくなった本の前に立てておいた。11月になって二回湊川は有情の家に来た。一回目は遅くに来て、少し疲れたような顔をしていたので、チーズとスモークサーモンを肴にワインを飲んだ。湊川は飲んでいる間こそ楽しそうにしてはいたものの、本当に疲れているようでトイレに行くと言って出て行ったまましばらく帰ってこなかった。あまり長い時間戻ってこないので、奥にあるトイレを見に行こうと寝室に入って行ったらベッドで着替えもせずに寝ていた。有情もあえて起こさず、自分は軽くシャワーを浴びて隣のベッドで翌朝シャーロットの散歩に出る前まで眠った。シャーロットの散歩から帰ってきた後もまだ寝ていたが、午前6時近くになったのでそろそろ起こさなければと思い起こしたら、ごめん疲れていて寝てしまったと言って、さっさとシャワーを浴び、朝食を食べて仕事に行ってしまった。次に会ったときの湊川は妙にハイテンションだった。この時はピザを取って一緒に食べ、ビールとワインを結構な量飲んだ。一緒にベッドルームに行ったが、今度は飲みすぎていたためまたも寝てしまった。翌朝は前回同様さっさと会社に行ってしまったので、有情の満射の報告は出来ずじまいだった。
12月になり街はクリスマスムードが漂ってきた。そんな二週目の土曜日に湊川はまたやってきた。この時は至極普通で自分の勤めている会社の袋に野菜や肉を入れて持ってきて、有情にしゃぶしゃぶをしようと言ってキッチンテーブルを使い始めた。さすがにしゃぶしゃぶの野菜を切るくらいはできるようで、切り終えた野菜を大きめの皿に盛り付けて、有情に鍋を用意するようにいった。鍋を用意している間、湊川はダイニング・ルームをウロウロしたりしていたが、そんなものはすぐにできるので湊川を呼びダイニングにある座卓にカセットコンロを運ばせ、自分は両手に鍋持ちのミトンをつけて昆布で出汁を取っただけの鍋を座卓に運んだ。その足で冷蔵庫まで行きビール2本を取り出し、グラスと一緒に持ってきた。
「なぁ、先生。肉食べてみて」
湊川はにこにこしながらそういった。
肉はいつも湊川が好む多量にサシの入ったものではなく、少しサシの入った赤みという感じであった。クセのないロース肉だった
「一昨日届いたんやで」
そう言って Confidential(社外秘)と書かれた英文の書類を見せた。それにはN国の北島の農場の写真が載っており、飼育の方法も従来の放牧とは異なる牛舎で肥育されたものであり、グレインフェッドビーフという語句も見られた。有情もN国滞在中に日本向けに輸出するために国内消費用とは違う方法で飼育しているところがあるとは聞いたことがあったし、そこで生産された肉を食べたこともあったが、それほど美味しいと思わなかった。
「どう、おいしい?」
「うん、おいしいで。せやけどどないしてこんな牧場見つけたんや?」
「Aランドで肉いっぱい頼んだん覚えてる?」
「あぁ、高こついたけどな」
「あんときなWagyuって書いてあるのがあって、それ食べた時に思いつてん。和牛を日本とおんなじ方法で肥育したら、それなりに美味しいやないかって。そんで帰ってきてからあの店に電話したんよ。ほんでどこで和牛仕入れてるかって聞いてみてん。まぁ、最初は訝しがられて言い渋ってたけど、N国での販売とか、ステーキハウスの営業は考えてないし、そちらから聞いたとは絶対に言わんからて言うたら、仕入れ先は機密事項やから教えられへんけど、和牛を飼うてる牧場は二つほど教えてくれてん。そこに連絡してみてん」
「和牛いうたかて、そらあくまで品種やから普通に放牧して育てたら大してうもうないはずやけどな」
「そらわかってるがな。せやからそこから他に和牛育ててるとこないかて聞いてみてん」
「聞くいうたかて牧場なんてN国には大小含めたら星の数ほどあるんやないか?」
「あったよ。和牛飼うてるとこだけでもいっぱいあった」
「どないしてこれ見つけたんや?」
「二百軒以上電話した」
「はぁ、二百軒」
「うん、もっとしたかも知れん。先月、寝てもたときあったやろ」
「二回とも寝たがな」
「二回目は酔うてや」
「まぁ、ええわ。ほんで?」
「あんときは一日中電話してて疲れてたんや。しかも時差が4時間あるから朝早うから電話掛けどうしやったから疲れててん。ごめんな」
「ほんで2回目来たときにはなマスタートンの辺で見つけたんや」
「マスタートンて?」
「なんや長いことおったくせに知らんのかいな?」
「知らんがな」
「まぁ、ウエリントンの北の方やねんけどな、そこがバイヤー行かしてええか言うたらOKしたんや。それがその資料の牧場」
「Confidentialて書いたあるけど」
「先生に見せても無害やん」
確かに無害ではあった。
「無害て、外来生物みたいに言わんといてや」
「うちから見たら就業時間中に射撃行ったり、休みの日ぃにも射撃とか、釣りとかだけして、後はシャーロットと一日中家おったりする人は特定外来生物やわ」
「えらい言われようやな」
「ほいでな、バイヤーが持ってきた肉、まず先生に食べてもらお思て今日持って来てん」
「そら光栄やな」
「せやろ、れな、優しいやろ、そんで先生に尽くしてるやろ?」
どちらかといえば自分の方が尽くしているように有情は思ったが、あまりにも湊川が嬉しそうにいうので、特に反論はしなかった。
「れなも食いよ」
「うん、いただくわ」
そう言って肉を湯にくぐらせ食べた。
「これならいけそやわ」
と満足そうにしていた。
翌朝、シャーロットの散歩に行って帰ってきて、いつもの二度寝をして、再度目覚めたら湊川は起き出してきて、朝食を一緒に食べた。普段ならダラダラと過ごし、シャーロットの夕方の散歩に行ってから帰るのに、その日は
「今日はな、あかねとちょっと約束があるねん。送って行ってや」
と言った。
有情はいろいろ都合もあるのだろうと思い桃山台まで送って行った。家に戻ると三つあった灰皿がわりに使っている壊れていないクレーピジョンが二つになっているように思ったが、自分で使ったか湊川が使ってどこかに置いたかと特に気にはしなかった。このときも満射の話は出来ずじまいだった。
「ただいまぁ」
「ちょっと、れな、人に手伝って欲しいことある言うて朝帰りとはええご身分やな。どうせこないだの言うてた肉で有情先生と鍋でもしてきたんやろ?」
嫌味を言われたが、実にその通りであった。
「あかね、細かいことばっかり言うたらふけるで」
そう言われ白石は
「それで私に何して欲しいん?」
と聞いてきた。
湊川は大事そうにバッグの中からハンカチで包んだ新品のクレーピジョンを出していった。
「これと同じのチョコレートで作って欲しいねん。クリスマスイブのケーキのデコレーションにするん」
「こんな複雑な形のもんそう簡単に作られへんで」
「そこをなんとか、お姉様」
「どないしてしょうかな?」
クレーピジョンは一見ただの皿のように見えるが、発射された後にきれいに姿勢を保ち、ちゃんとした方向に飛ぶようにてっぺんに円形のくぼみがあり、それを取り囲むように同心円がいくつかあり、一番下の同心円は厚みも幅も違っていた。しかも裏側もそれを逆にした構造になっている上、表側のオレンジ色の面とは微妙に形が違っていた。
「適当でええよ。わかればそれでええ」
と湊川はいい加減なことを言った。
「せやけど、あんたが大事そうに持ってきたんやからきれいに作った方がええんとちゃうん。なんか重要なことに使うんやろな?」
「まぁ、重要といえば重要やけどな」
几帳面な白石は重要と言われればいい加減には出来ない性格であった。簡単に作ろうと思えばチョコレートを裏面に流し込みそれを外して皿状に裏側をくり抜けば出来ないことはなかったが、そうするとどうしても段差の部分が狭くなり、また裏面が平坦になってしまう。段差の部分を削ればもう少し段差の部分を広げることはできるが、手作業ですると同心円を描くことが難しい。そもそもてっぺんの窪みの部分が作れない。
「翔太先生に聞いてみたら?」
「翔太先生かて学期末で忙しいんやから、あんたの酔狂に付き合わされへんわ」
と言いつつ白石はいくつかの角度からクレーピジョンの写真を撮り、宇都美に送っていた。
返事はすぐに帰ってきたが
「まず外形を熱可塑性エストラマーモールドで作り、今度は対象物の窪みにそのエストラマーを入れてインサイドシェープを作って、その二つをオレンジの物体の厚みを考えていくつかのサポートメンバーをさして固定した間にチョコレートを流し込んでいけばいい。メンバーでできた穴はチョコレートで埋めると完成」
ともはや二人には宇宙語にしか思えなかった。
「理系はこれやから」
と湊川は言った。
「有情先生もこんな言い方するん?」
「あの人はせんよ。アホやし」
本当は有情が他の医者と電話で話している際に、その内容が皆目わからなかったことは黙っていた。特に「graft schizophrenia」と言う言葉がわからず、それは何か尋ねた記憶があった。「統合失調症の移植???」何それと思った。「接枝統合失調症」と言われたが、それすらわからなかった。「知的障碍と統合失調症が合併した病気、今はそんな言葉は使わない」と言われてやっとかすかにわかったぐらいだった。
「アホてあんた有情先生にどれだけアイデアもろてんのよ。しかも色んなところ連れてってもろて、なんぼなんでも失礼やよ」
「あんたかて就業時間中に射撃行ってるんは非常識や言うてたやないの。ええから早よ翔太先生に電話して聞いてみてよ」
白石はそう言われて宇都美に電話をかけて事情を話した。
「ああ、ほなシリコンモールド持っていくわ」
「学期末で忙しんちゃう?」
「大丈夫や。生徒らは割と大人しいし、期末の採点も終わってるし」
クレーピジョンをチョコレートで作るのに大の大人3人が集まることになった。三十分もしないうちに宇都美が結構大きな荷物を持ってきた。
「なんやこんなに小さいもんかいな」
宇都美はいった。
「れながクリスマスまでにこれとおんなじのチョコレートで作れ言うねん」
「ちょっと待ってや」
と言って宇都美は熱可塑性エストラマーを温める鍋と四角い箱を出してきた。
言葉は難しかったが、方法自体は単に鋳型のようなものを作るだけのことだった。手際よく外形を作り、そして内形も作った。箱に入った外形のところにクレーピジョンを入れ、モールドにいくつか印をつけて、チョコレートなら柔らかいから真ん中にメンバーを一本つけて、あとは印に合わせて動かせばいいかと呟きながら、いとも簡単に「鋳型」を作った。
「あかね、チョコレート溶かして、この隙間に入れて」
宇都美に言われ白石はその通りにした。冷蔵庫に入れてしばらくすると茶色いチョコレートのクレーピジョンが完成した。チョコレートがたくさん余っていたので、同じものを五つ作った。あとは食用の着色料を買ってきて表面をオレンジ色に塗れば完成である。
三人はその日、白石が作ったオムライスを食べた。白石と宇都美はその間もその後も湊川からN国旅行の話を聞かされた。湊川も忙しかったので、白石にさえあまり詳しく話していなかった。あとはクリスマスイブに有情を誘えば良いだけであったが、有情はクリスマスイブにはどこに行っても混んでいるのであまり出たがらないだろうなとは思っていた。食事と食後の会話が終わり、宇都美は帰って行った。ただ、なぜあんな奇妙なものを作らされたのかは宇都美にはよくわからなかった。
その日の夕方、早速有情に連絡し、クリスマスイブに会いたいと言った。案の定、有情は渋った。クリスマスイブにカップルで食事にいくのは日本だけだの、どこも混んでいて、良さそうなところはどこも予約でいっぱいだの言って、なんとか回避しようとしているのが明らかだった。桃山台の家で食事会をするからだというとなんだ、それなら先に言えばいいのにと快諾した。
クリスマスイブの昼間、桃山台の家はまるで戦場だった。とは言うものの実際に動いているのは白石だけで、湊川はせいぜいチョコレートで作ったクレーピジョンにオレンジ色の食紅を塗る程度ではあった。食紅が乾くと湊川はそれを冷凍庫に入れた。午後5時半ごろになってやっと食事の体裁が整った。あとは有情のためのケーキの装飾だけであった。湊川は冷凍庫から大事そうにお手製のクレーピジョンを出してきて、それをすりこぎで一気に割った。
「ちょっと、れな、何してんのよ」
と白石に言われた。
「ええの、割れてるから意味があんの」
白石は理解に苦しんだが、当の湊川がそう言うのだからそうなのだろうと見ているしか無かった。全て破壊されたチョコレートのクレーピジョンの中から一番見栄えがしそうなものを選んで特別に作ってもらった表面になんの装飾もないケーキの上に上手に並べ、それにケーキ屋に作ってもらったプレートを添えた。
待ち合わせは午後7時だった。有情はその時間に桃山台の二人の家に行った。ほぼ同時に宇都美も来て、お久しぶりですと挨拶をして一緒に二人の部屋を訪れた。部屋は独特な、そして懐かしい香りに満ちていた。
「メリークリスマス!」
湊川と白石は口を揃えていった。
「メリークリスマス!」
有情も宇都美もそう答えた。
メインの料理はなんとクリスマス・ラムだった。三人はビールで乾杯し、料理を楽しんだ。料理が少なくなってきた頃に湊川がシャンパンとシャンパングラスを持ってきて、有情だけを置いてケーキを取りに行った。ケーキは3つあり、それぞれは大きなものではなかった。一つは普通のクリスマスケーキ、もう一つには「れな 主任昇進おめでとう」と書かれてあった。もう一つのケーキは壊れたクレーピジョンが乗っていて「先生、満射おめでとう」と書かれていた。




