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10 増幅回路

 湊川が有情と釣りに行った翌週の土曜日は予定通り千里中央の居酒屋で湊川、有情、白石、宇都美の四人で飲み会をした。有情と白石は時間通りに着いた。湊川から少し話聞いていたものの有情と白石が直接会い見えるのは初めてであった。当然顔も知らなかった。キャッシャーのところで


「有情といって待ち合わせをしています」


というと、後ろから


「有情さんですか」


と声をかけられた。


「白石です。初めまして」


その女性は言った。白のパーカーに薄いグリーンの長めのスカート、靴は低めのパンプスを履いていた。


「あ、どうもこんばんは。有情です。」


「あの二人まだのようですね。先に座っておきましょう」


「わかりました。」


二人は四人掛けの席に案内され、相対して座った。


「今日はわざわざすみません。れながいつも楽しそうに話すのでどんな人か興味があって」


「大した者ではないですよ」


「先に初めておきましょう」


白石はそう言って生ビールでいいですかと言いつつ中生2つと軽いつまみを頼んだ。白石は湊川とは全くタイプの違う外見をしていた。湊川は大柄な女性であったが、白石は背こそはさほど低くないものの湊川と比較するとずっと小柄に見えた。顔は湊川がシャープな輪郭と釣り目で眉毛と目の間が狭くきつね顔、それに対して白石の輪郭は細いが目と眉毛の間がほんの少し離れている。どちらかと言えば「かわいい」と言う部類に入る顔であった。一般的にモテるのはおそらく白石だろう。主役の湊川はまだ来ていなかったが、どうせすぐにくるだろうととりあえず二人で乾杯した。


「有情さんはお医者さんだそうですね」


「ええ、箕面の病院に勤めています」


「じゃあ、有情先生ですね」


「まぁそう言うことになります」


などと話しているうちに湊川が店にやってきた。今日は白のシャツに薄いブルーの太めパンツ姿だった。普通の高さのヒールを履いていたので背の高さが際立った。


「ごめんごめん、遅なってしもた」


そう言いながら、躊躇いなく有情の隣に座って自分も生ビールを頼んだ。


「先生に嫌味なこと言ってないやろね?」


湊川は白石に言った。


「さっき来たばっかりやし、そんなこと言うわけないでしょ。まだ自己紹介も済んでへんよ」


と白石に言われて


「ふーん」


と返した。


どうやら二人の間で何か有情の知らない会話が交わされていたようだった。


 白石は自分が緑地公園駅近くにある予備校で講師をしていると有情に伝えた。その予備校の場所は知っていたが、現役で大学合格していた有情はその内情がどんなものかはよく知らなかった。


「あかねは生徒とか男性講師に人気があるねんで」


湊川は言った。


「恥ずかしいこと言わんといてよ」


と返したものの満更でもない様子だった。


「ところで翔太先生は?」


「もうすぐ来るとは思うけど。土曜やから仕事もないはずやし」


「翔太先生って?」


有情が尋ねると


「あかねの彼氏で中学校の理科の先生」


と湊川が答えた。


しばらくすると紺色のジャケットを着て、細いチノパンを履いた男性が現れた。身長は175~176cmくらいで、最近の若者らしく細身でなかなかのイケメンだった。


「翔太先生、遅いよ」


と白石に怒られて


「昼寝してたら寝過ごした上に山田で乗り換えを逃してしもた」


と言い訳した。


翔太先生も生を注文し、それが運ばれてきたときに


「れな、企画おめでとう」


と白石が乾杯の音頭を取った。


「おめでとう」


とそれぞれがいいグイッと一口飲んだ後に翔太先生は有情に


「遅れてすみません、宇都美翔太です。早大摂津で理科の教諭をしています。」


と言った。


有情の家から比較的近くであった。それで白石が宇都美とともに自分を観察することができたのかと納得した。早大摂津とは別の関連もあったが、今話すと話がややこしくなりそうなので黙っていた。早大摂津はもともと摂津北と言う名前であったが、早京大学に経営権を移譲し、早大摂津となった。確か7〜8年前の話である。以前は振るわない学校であったが、今では中堅の進学校になっていた。年齢から考えると宇都美はその過渡期に採用されたか、修士課程などを終了してから、直接、早大摂津に入職したかと思われた。理系がいて有情も少しほっとした。


しばらくは概ね自己紹介のような話をそれぞれがして、和気藹々としていた。その時、宇都美が唐突に


「日本三景って知ってますか?」


と有情に聞いた。


一瞬、湊川が白石に厳しい目を向けたような気がしたが、すぐ先に迫ったゴールデンウィークのことかと思い


「ええ、松島、天橋立、安芸の宮島ですよね。ゴールデンウィークにでも行くんですか?」


と言ったが


「いや、そう言うわけではないですが」


となぜか言葉を濁された。


 その後はしばらく湊川が有情にF国のカレーを食べさせてくれたり、同僚の医師に中南米の料理のことを聞いてくれて、企画の立案に役に立ったと言うような話をしていた。やがて話は趣味の話に移り、湊川が先週有情に釣りに連れて行ってもらったが、本人は上手なのに教え方がすごく下手で釣れるには釣れたが大変だったというようなことを言った。宇都美も釣りはするようだったが、主に海釣りで、もっぱら食べることを目的に釣りをしているとのことだった。

その時またいきなりその会話と直接関係のない


「硬骨魚類を分類するときに重要なのは鰭条数、側線鱗数の他に何がありましたっけ?」


という質問を有情に投げかけた。


この時、湊川はさっきよりはっきりとキッと白石を見た。


「は?確か鰓把数だったように思いますが」


「そうでしたね」


と言って


「冬場に釣ったカワハギの肝はうまい」


とまた普通の会話に戻っていった。


確かに冬のカワハギの肝は美味いが今ひとつ質問の意図が分からなかった。

話が犬の話になり、湊川が


「有情先生とこの犬すごく賢いよ」


と言った。


そして先週自分のミスで不必要に興奮させてしまったとか、すごく朝早く散歩に行っているとか言った。


「朝早く行くと夏でもオリオン座が見えたり、月の隣に明けの明星が見えたりして、まるでれなさんがそこにいるようです」(注)


と有情が言った。


湊川はなんのことか全く分かっておらず


「なに、なに、なんの話?」


と言い、白石もキョトンとしていたが、宇都美だけはニコニコと笑って


「有情先生もなかなか言ってくれますねぇ」

と言った。


ここでまた例の質問が飛んできた


「そういえば冬の大三角ってオリオン座のベテルギウスとおおいぬ座のシリウスともう一つはなんでしたっけ?」


「冬の大三角ですか、渋いことを聞いてきますね。こいぬ座のプロキオンですね」


今度は少し呆れたような顔をして湊川が白石を見ていた。


 話が大学時代の話になり有情は世代の違いを感じはしたが、なんとか会話について行っていた。3人が同じ京都のD大学に通っていたので話は尽きないようだった。今でこそ通信手段はスマホ中心であるが、有情が大学に通っていた四十年ほど前はアマチュア無線や違法CB無線が主流だったと言ったときにまたも宇都美が


「エミッタ接地のバイポーラートランジスタの・・・」


と言いかけた。


湊川はとうとう


「もう、あかね、翔太先生がかわいそうでしょ」


と言った。


白石はエヘヘと笑い、宇都美は少し照れたような、申し訳なさそうな顔をした。有情にはなんのことか全く分からなかったので


「どないしたんや?」


と湊川に聞いた。


「この人ら、先生がどの程度常識があるのか知りたいって画策してたんや


日本三景はともかくとして、どう考えても「エミッタ接地のバイポーラトランジスタ」が一般成人の常識に入るとは思えなかったが、有情はこういった話は嫌いではなかった。


「エミッタ設置のバイポーラトランジスタは電圧と電流両方の増幅ができて、基本的な増幅回路の中では最も主要な回路になってるよ」


と簡単に答えた。


「そんなんだれも知るわけないないやん。知ってる方が非常識や。理系の常識はピントがずれてる」


と湊川は言った。


「じゃあ、れな、こないだ作ったF国のカレーで本場では必ず入ってるのに、うちでは手に入らんから入れんかったスパイスはなんや?」


と聞いたら


「えっ、あぁ、忘れたかも」


と焦っていたので


「カレーリーフな」


と答えてやった。


シャーロットを興奮させた後からは「れなちゃん」から「れな」に変わっていた。



「自分の企画やのにそれぐらいは覚えとかんと」


と有情に言われ4人は笑った。


 そうして奇妙な4人のダブルデートは和やかな雰囲気で終わった。



・明星(金星)は地球より太陽に近い惑星です。英語ではヴィーナス(Venus)と呼ばれ、有情は、「夜明け前に月に照らされたれなはヴィーナスのようにきれいだ」と表現したつもりでしたが、宇都美以外には理解されなかったようです。


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