2.女神アナスタシアの提案
そもそも、異世界までやってきて、どうしてストリーマーをやることになったのか。まずはそこから話さなければならない。
時を遡ることしばらく。話は女神アナスタシアとの出会いから始まった。
***
「日本人なら八百万の神々って知っているでしょう? 実際、アレって言葉の通りで、世の中にはいろいろなところに神様が存在しているのよ」
周囲を真っ白な空間に囲まれながらも、目の前に対峙する女性は、それを気にするそぶりをまったく見せず、オレに語り続ける。
「で、そんな神様たちも、結構、暇を持て余していてね。人間たちと同じようにいろんな娯楽を楽しんでいては時間を潰しているわけ」
薄藍色をしたロングヘアを編み込み、胸元に垂らしているこの女性は、名前をアナスタシアといい、自らを女神だと名乗ってから様々なことを話し始めた。
不運なことにオレが死んだこと、とはいえ、第二の人生を異世界で歩めるチャンスがあること、そして、そのチャンスを有意義に活かす可能性が存在すること……。
八百万の神々とか、暇を持て余した神様とか、それはもう、ご丁寧にいろいろと説明してくれるのはいいんだけど。
その前に、オレとしては是が非でも問いただしたいことがあってだね。
「あの、ひとついいですか?」
「なにかしら?」
話の腰を折られ、アナスタシアはやや不満げな面持ちをこちらに向けた。とはいえ、そんなことを気にしている場合ではない。
「え? オレ、死んだんですか?」
あたりには何も見当たらない、どこまでも続く白い空間に身を置きながら、女神を自称する女性に尋ねる。
「うん。死んだわよー、過労死ってやつ」
お前は人の命をなんだと思っているんだという、あっさりとした返答に、オレは頭を抱えてしまった。えええええ? 本当に?? そんな過労死するほど働いていたかな???
……いたわ。
いやあ、残業時間三桁の中、昨日も終電間際に帰宅して、椅子にもたれかかりながら動画配信見てたんだよなあ。見ている途中から意識なくなったから、てっきり寝落ちしたものだと思って、これも夢かなって思っていたんだけど。
「ざんねーん。夢じゃありません。これが現実、現実なのよ」
同情の色など、微塵も感じさせない口調のアナスタシアは、オレを見つめながらかぶりを振った。
「私も女神だしね。正直、あなたのような人間は多く見てきたの。だからその、いちいち感傷なんて抱いていられないというか、ね?」
むしろ清々しいまでの笑顔まで浮かべる自称・女神に、許されるなら頭突きの一発でもお見舞いしてやりたい衝動に駆られたものの、暴力沙汰でおロープを頂戴するわけにはいかないので、ぐっと堪える。
「うん、それがいいわよ。のちのち天界に与える影響とか考えたら、表面上は取り繕うほうが賢いと思うもの」
……何も言っていないのに、もしかして思考を読んだのか……?
「そりゃあ、人間の考えぐらいわかるわよ。こちらは女神だもの」
控えめな胸元をエヘンと張ってみせながら、アナスタシアは得意げな顔を浮かべるのだった。
……はあ。こうなったら仕方ない。アナスタシアという女性が女神だということを信じないと話は進まないっぽいし、とりあえずは大人しく言うことを聞いておきますかね。
「それで? 暇を持て余した神様たちがどうしたんです?」
ため息交じりの俺に、アナスタシアは表情を輝かせた。
「そうそう。そこの話に戻るのだけれど。あなた、神様の暇つぶしに配信者やってみない?」
「……はい? なんですって?」
問い返すオレに、アナスタシアは真っ白な空間へ大きなディスプレイを出現させる。そこには様々な動画のサムネイルが映し出されていた。
「これ、天界の動画配信サービスで、名前を『ヴァルハラ』っていうのだけれど」
「ネーミングが安直すぎません?」
「こういうのはわかりやすいほうがいいのよ。でね、この『ヴァルハラ』には、あなたと同じような立場の人間たちが、異なる世界でストリーマーとして生きているのね」
よくよく画面をのぞき込んでみると、なるほど? そこには確かに、色鮮やかなフォントで『ダンジョン、爆速で攻略してみた』とか、『神様からもらったアイテム使ってみた』とか、『魔物食試してみた』なんて描かれている。
……え? 本当の本当に、神様たちが見るための動画配信なの、これ? ドッキリとかじゃなくて?
「正確にいえば、神様をはじめ、天界の関係者たちが閲覧しているの。人間界にもこういうサービスあるでしょう? YouTubeとか」
そりゃあ、オレだって毎日アクセスしていたから、よくわかりますよ。はあ~……、神様たちもこういうのを楽しんでいたっていうのは親近感がわきますなあ。
……ん? ちょっと待って。この人、なんて言ってたっけ?
「だーかーらー。この『ヴァルハラ』で、あなたのチャンネルを作って欲しいの。そこでストリーマーとして活動して欲しいなって」
「お断りします」
くるりときびすを返し、真っ白な空間を歩き出す。
冗談じゃない、動画を見るほうならまだしも、配信する側なんてやってられるかっ! こちとら三十年間陰キャで過ごしてきているんだぞ。そんなこと、できるわけないだろう?
「待って待って、話は最後まで聞いて」
瞬時にオレの前へと回り込んだアナスタシアの身のこなしに驚きながらも、オレは怪訝な眼差しを女神に向ける。
「私もね、死んだ人間、全員にこんな提案を持ちかけているわけではないの。あくまで才能を秘めた人間にだけ、こういった話を持ちかけているっていうか」
「失礼を承知で言いますけれど、節穴なんじゃないですか?」
大きなため息を吐きながら呟くオレとは対照的に、アナスタシアはコバルトブルーの瞳を輝かせた。
「そんなことはないわ! あなたは輝く何かを持っている! いまはまだ原石かも知れないけれど……」
それなら原石のまま放っておいてくれないかなあ。そんなこちらの思いをよそに、女神は語をついだ。
「それにね、この提案はあなたにとっても悪い話じゃないと思うの」
「どう考えても悪い話としか思えませんが……」
「これを見てもそんなことが言えるかしら」
不敵に笑ったアナスタシアが指をパチンと鳴らす。すると、ディスプレイに映し出された画面が切り替わり、『スローライフ・ストリーマープランのご提案』なる文字がでかでかと表示された。
「ジャジャーン! どう? いまならスローライフをテーマにしたストリーマーとして活動できるわよ」
「……スローライフ?」
「そう、スローライフ。『ヴァルハラ』でも人気ジャンルでね、閲覧者がかなり多いのよ」
自宅のDIY、田畑を耕す、周辺の開拓などなど……。のんびりまったり暮らす動画というのは、忙しい神々の中で根強い人気を誇るらしい。
「……で、あなたにもそういう生活を送りながら、その様子を配信して欲しいってわけ。これなら性格に関係なくできるでしょう?」
「…………」
「それに、これはあなたにとっても魅力的な提案のはずよ」
「どうしてそう思うんです?」
「だって、ほら。日本人はスローライフに憧れるものなのでしょう? 慌ただしい日々を送っている影響なのかしらね? それともラノベやマンガとか?」
くっそう、黙って聞いていれば、言いたいことを言ってくれるな、この女神……。概ねその通りなので反論の余地がないのが悔しい……!
「それなら、決まりね!」
再びこちらの思考を読み取ったのか、満面の笑みで両手を打ち合わせたアナスタシアは、空間に一片の書類を取り出すと、何やら忙しく記述を始めた。
「ああ、安心して。異世界での生活に必要なスターターキットは、こちらで用意しておくから。あなたは日々の暮らしを配信してくれればそれだけでいいわ」
「いやいやいや、待ってください。配信も何も、そんなことやったことないんですから。いきなり見知らぬ土地に放り出されても、配信なんかできないまま、野垂れ死ぬのがオチですよ!?」
「その点についても抜かりなし!」
親指をビシッと立てて、アナスタシアはウインクした。
「サポート役をこちらから派遣するわ。その子に従ってくれれば、問題ナッシング!」
「サポート役?」
「配信のノウハウについても、その子ならバッチリ! そんなわけだから、安心して第二の人生を歩んでね?」
言うと同時に、オレの身体がまばゆい光に包まれていくのがわかる。こんな簡単に異世界へと飛ばされてしまうのだろうか?
困惑の中、最後の最後に確認したいと思い、オレはアナスタシアへと視線を向ける。
「あの、本当にスローライフを送るだけでいいんですか? 神様たちが気に入るような配信とか、絶対に無理だと思うんですけどっ!」
「もちろんよー。あなたはただ、異世界でスローライフを楽しんでくれたら、それでいいの」
両手を振りながら見送る女神。その言葉に、若干の安堵を覚えつつ、まばゆい光に身を任せていると、アナスタシアは消え入るような声で呟くのだった。
「……もっとも、スローライフを送れるならの話だけれど、ね」
――瞬間、視界は暗転した。