10.猫神様
湖畔で行った釣り配信から数日後。
ヨミ脱退のニュースを知ったミアは「わからないものねえ」と前置きした上で呟いた。
「人気絶頂だったのよ、『ワルキューレ』。ヨミったら、グループの中でも人気の高いメンバーだったのに、『やりたいことはやりきった』だなんて……」
そうなのだ。いわゆる『卒業配信』を実施したヨミいわく、『ワルキューレとしての活動に満足した』と、自らの脱退理由を述べ、リスナーに理解を求めたのである。
それに対する反応はといえば、賛同が三割、脱退を惜しむ声が七割といった感じで、依然として『ワルキューレ』としての活動を望む声が強く、なかなか理解は得られそうにないといったのが実情なのだった。
とはいえ、本人の意思は固い。
メンバーからも距離を置くようにヨミは引っ越しをしたらしく、その後、六人体制となった『ワルキューレ』の配信によれば所在不明なのだという。
配信を楽しんで見ていた一視聴者として、その動向が心配になるものの、同時に、あれだけの人気を誇っていたヨミですら、人目を忍んで生活をしたくなった心境になるのだろうかとも勘ぐってしまう。
まあ、本人に聞くしか、実際のところどうなのかわからないけどね。そんな機会があるとも思えないし。
ともあれ。
『ワルキューレ』とヨミのことはさておき、オレはオレで、当面のことを考えなければならないと、三次元ディスプレイに映し出された『祝福商店』のラインナップとにらめっこを続けていたわけである。
……いや、オレもね、ヨミの脱退を聞いて、多少なりとも考えを改めたんですよ。
あれだけの人が「やりきった」と言っているのに、いまのオレはどうなんだと。ただただ流されるように、ダラダラとした動画配信を続けているだけでいいのかと。
そりゃあね、根が陰キャだから、いきなり変わるのは難しいかも知れないけれどさ。
スローライフな生活の配信を行うにしても、いまよりもう少し、自分が楽しんでいる姿をお届けできればいいなあなんて、そんなことを思ったりしたわけ。
そうすれば、やりきったまではいかないにせよ、充実感っていうの? そういったものが得られるかもなあ、と。
いまは辣腕プロデューサーのヨミにおんぶにだっこの状態だけど、いずれは自分のアイデアを動画配信という形にしたいな、なんてね。
「いいじゃない、いいじゃない。そういう前向きさ、大事にしていきましょう!」
パタパタと部屋の中を漂いながら、ミアは声を弾ませる。
「ユウイチがやる気になってくれるなんて、私も嬉しいもの!」
「やる気になるっていうか……、いまのままではさすがに良くないと思っただけというか……」
照れ隠しに応じ返すものの、ツインテールの妖精は瞳を輝かせたまま、ウンウンと何度も首を縦に振るのだった。
「初めのうちはそれでいいのよ! やりたいことがあったら何でも言ってね? 私もそれを尊重して企画を考えるから!」
心強い宣言と共に、三次元ディスプレイをのぞき込むミア。オレが何を買おうとしているか、気になるらしい。
「当たり前でしょう? ユウイチが自分の考えで動画配信をやろうっていうんだから」
……うーん。そこまで気にされると、若干、頼みにくくなるというか。
「いいからいいから。……で? どういうものを買って、何の配信をしようとしているの?」
「これなんだけど……」
そういうわけで、オレは商品画面をミアに見せたんだけど。返ってきたのは、これまた苦い顔でして。
「……陶芸セット?」
「そうっ。陶芸をやろうと思っているんだよ!」
陶芸。心と向き合うことで生まれる芸術性に優れた作品の数々。
食器類などを作れば実用性もあるし、なにせ、作っている間は喋らなくていいのが素晴らしい! 余計なことを話して、集中力が欠けるようなことがあってはダメだからね。
実を言うと前々から興味もあったし、これはトークスキルが皆無なオレにうってつけなんじゃないかと思って、手軽に始められるセットがないか探してみたのさ。
いやあ、さすがは『祝福商店』。ろくろに土、コンパクトなかまどもセットで用意しているという手厚さですよ。
これはもう、始める理由がすべて揃ったな! ……と、喜び勇んでポチろうと思っていたら、ミアのうなるような声が耳に届いたのだ。
「陶芸……陶芸かあ……」
腕組みをして、考え込むような表情の妖精。
「なんだよ、陶芸をやると都合が悪いのか?」
「悪くはないけど……、そのなんていうか……」
言葉を濁しながらも、最終的には言わなきゃいけないと思ったようで、ミアは表情をあたらめて続けるのだった。
「地味じゃない、陶芸って。配信向きじゃないっていうか」
「お前、世の陶芸家さんたちに謝れ」
なんだよー! いいじゃん、陶芸! ろくろを回す姿だって絵になるぞ? ひとつのものができあがっていく光景は、見ていて十分に面白いじゃんか!
「ユウイチがそこまでいうなら反対しないけれど……」
オススメはしないと言いたげなミアの姿に、半ば反発の気持ちを抱いたオレは、こうなったら意地だと、勢いそのままに購入ボタンをポチることにした。
いいもんね! こうなったら意地でも陶芸でチャンネル登録数を増やしてやるもんね! どうせ四十七人しかいない弱小チャンネルなのだ。好きなことをやって、固定ファンを増やしたほうが今後のためになるってものである。
そんなこんなで、『祝福商店』のティナが陶芸セットを届けてくれるのを、自宅で待ち構えていたのだが。
ボーイッシュな配達員の少女は、陶芸セットだけでなく、珍しい客人まで自宅に送り届けてくれたのだった。
***
「ちわーっす! 祝福商店っす!」
いつもと変わらないティナの声に、はいはいと応じながら玄関を開ける。そこには爽やかな笑顔をしたボーイッシュな少女が立っている……はずなのだが、今日に限ってはまったく異なる姿を視界に捉えたのだった。
二足歩行をした猫を模した巨大な物体が佇立していたのである。モフモフとした柔らかな毛が全身を包み、ピンク色をした鼻、手の平――前足といったほうが正しいのか?――からみえる肉球、そして茶トラの柄はまさしく猫そのものだ。
……猫そのものなんだけど……、なんというか、ただただデカい。
二メートルはあるんじゃないかっていう身長から、オレを見下ろす様は可愛いと言うより威圧感を覚えるほどだ。
何が起きているのか理解できないとばかりに口をパクパクさせていると、猫のような物体の後ろから、爽やかな声が響いたのだった。
「すいませんっす! お届けに伺う途中で、ユウイチさんにお目にかかりたいっていう神様と会っちゃいまして。道に迷っているようだから、お連れしたんすよ!」
はあ、神様。……は? 神様? この巨大な猫が?
「はじめまして。貴殿がユウイチチャンネルのユウイチ殿ですな?」
ものすごく渋いバリトンボイスを発し、巨大な猫は印象的な三白眼をこちらに向ける。
「そうですけど……」
「いやはや、お目にかかれて嬉しいですな。私は猫神が一柱。茶トラ猫神のトランと申します。以後、お見知りおきを」
そう言って、トランは手(前足)を差し伸べては握手を求める。肉球がぷにぷにしていて気持ちいい。……いや、そうじゃなくて!
「その、猫神と仰るからには、神様なんですよね?」
「左様。茶トラ猫を司る神をしております」
ずいぶんと物腰の柔らかい神様がいるもんだなと感心を覚えるものの、いまはそんなことを気にしている場合じゃない。
「……その、神様がオレに何の用事なんです?」
「それです! 私、前々から懸念していたことをお伝えしに来たのですな!」
憤りを隠せないと言いたげに、声を荒らげるトラン。知らないうちに、なにかお気に召さないことでもしでかしていたのだろうかと身構えていると、トランは意外なことを口にした。
「どうして、貴殿の配信にはネコチャンが映らないのです!」
***
「ミアさーん! これ、どこに置けばいいっすか!?」
「あー、ちょっと待って。かまどはちょっと離れた場所のほうがいいから……」
陶芸セットの配置はミアとティナの二人に任せておくとして、オレは自宅の中へトランを招き入れては、腰を下ろすように勧め、それから改めて話を聞くことにした。
なんでもこのトランさん。例のバズった配信を偶然見ていてくれたらしい。それ自体はありがたいことなんだけど、綿雲猫が出てきたことに、正直、興奮を抑えきれなかったと。
「あれは感動しましたな。我々、猫神の中でもめったに見ることができない神秘的な猫でしたから」
「はあ、そうなんですか」
「真に猫を愛し、猫に愛される者の前にしか綿雲猫は現れないのです。それを貴殿はおわかりなのですか?」
……そんなことを言われましても。猫は好きだし、可愛いとも思っているけどさ、そこまで熱を入れていないのでなんとも言えないというのが本音というか……。
まあ、話したら最後、何を言われるかわかったもんじゃないので黙っておくけどね。だいたい綿雲猫が配信に映り込んだのも偶然に過ぎないしなあ。そこをこのトランさんはわかっているのかね?
こちらの様子などお構いなしにトランは続ける。
「……にも関わらず、以降の配信では猫の姿など皆無。貴殿は他の生き物に気を取られる始末。挙げ句、私がどれだけコメントで『ネコチャンを映せ』と書き込んでも無視を決め込むではないですかっ」
テーブルを叩く勢いで、拳を振り上げるトラン。あの書き込み、何だと思っていたら、この神様のコメントだったのか! いやあ、謎が解けてスッキリしたなあ!
……じゃなくてだな。
「その……、要するに猫を映さないことの苦情を言いに、わざわざいらしたのですか?」
そうとしか受け止められない内容だけど、一応、確認を取ってみる。だとしたらなかなか厄介なクレーマー気質じゃないかと身構えているオレをよそに、一転、トランは穏やかな表情を見せた。
「いえ、そうではありません」
「……?」
「あなたがいかに猫に愛されているか、そして猫を愛しているか。身をもって実感していただこうと考えた次第なのです」
……何を言っているのだろう? そう思っていた矢先、トランは胸のあたりをごそごそとまさぐると、中から茶トラの子猫を取りだしては両手に抱えてみせる。
「男の子の子猫です。生後三ヶ月ほどですな」
元気に「にゃあ」と鳴いて見せる子猫は、見るだけで心が癒やされる愛らしさがある。……で、この子猫がどうしたんです?
「この子をあなたにお預けします」
「……は?」
「子猫とはいえ、この子も立派な神の遣い。共に暮らすことで、務めを果たしてくれるでしょう」
いやいやいやいやいやいや! 待って、待って、急展開過ぎる!
「猫を飼え、そう仰ってます?」
「いえ、そうではありません。共に暮らしていただこうとお伝えしているまで」
「言葉は違うけど、ニュアンスは一緒ですよね!?」
「些細なことではありませんか。ほら、抱っこしてあげてください。嫌がらない子ですので」
……わあ、ふわふわして可愛らしい! ……じゃない! どうしたらそういう話になるわけさ!?
「申しましたでしょう? あなたは猫に愛されていると」
「思い違いでは……?」
「いえいえ、私の見立てに間違いはありません。いずれあなたは、『ヴァルハラ』を代表する猫配信のトップストリーマーになられるお方だと信じております」
なんです、その『猫配信』て。
「ともあれ、この子のことはお任せしました」
話は終わったとばかりに席を立つトラン。全然、終わってないんだけど、こちらのことなど気にも留めないとばかりにきびすを返す。
「これで、『ネコチャンを映せ』というコメントにも対応いただけるものでしょう。今後ともご活躍を期待しておりますぞ」
むしろこれが本音なんじゃないかと思うような言葉を残し、トランは「ではまた」と自宅を後にした。
胸の中には相変わらず茶トラの子猫が抱かれていて、オレの顔を見上げては、元気よく「みゃあ」と鳴き声を上げるのだった。
……猫に罪なし!
というか、あんな無責任な神様に任せておくよりも、オレが面倒を見たほうがこの子も幸せになるんじゃないか?
相棒の妖精はいるけれど、一人暮らしっていうことには違いないわけだし。猫がいる生活のほうが暮らしも賑やかになって楽しいだろうしね。
そう思い直したオレは、胸元に抱いた子猫へなるべく優しく語りかけた。
「いきなりこんなところに連れてこられて迷惑かも知れないけれど……。仲良くやっていこうな」
「にゃあ」
言葉を理解できるのだろうか? 愛らしい鳴き声は心なしか聡くも聞こえ、オレは喜びと困惑がない混じった眼差しを子猫に向けるのだった。




