第6話 住めば都と言いますし
村長の家を出て「ほれ、あそこだ」と指さされたのは小高い丘の上にある一軒家だった。話し込んでいるうちに夜のとばりは落ち、辺りは既に真っ暗になっているが、ダイアンさんに「これを持っていけ」とたいまつを差し出された時は「あ、このオッサン道案内する気ないな」と悟った。勇者じゃないと判断されたためか、やや扱いが雑になったような気がする。警戒心を解かれすぎただけな気もする。それでも凛菜をお姫様抱っこしていて両手が塞がった状態のまま、微動だにしない俺を見たダイアンさんは「俺も晩飯まだなんだがな〜」とかボヤきつつ渋々ながらも道案内してくれた。
丘の上の一軒家に辿り着いて、ようやく俺は理解した。なぜダイアンさんが道案内を渋ったのか。
「……ボロッ!!」
ダイアンさんは『だから来たくなかったんだよ』と言いたげな、どこかきまずそうな表情をして沈黙を貫く。
「い、いや、ありがとうございます。寝泊まりできるだけでも助かります」
「……ベッドはある。鍵は壊れている。本の山や食器類など、ここにあるものは全て自由に使って構わない。雨漏りするようなら俺に言ってくれ。直す」
機嫌を損ねたかな? とビクビクしていたが、ダイアンさんはそれ以上何も言わず、黙って帰っていった。やっぱ機嫌悪くしたか。明日会ったら謝ろう。そして思う。つーか言霊を信じて声に出す。
「ここが『凛菜自律可動人形化計画』の拠点となる場所だ!!」
全てのラブドールオーナーが、自分の人形に意思が宿り自由に動き出すことを望んでいるわけではないし、夢見ているわけでもない。ドールは反応しないし動かないからこそいい、そういう側面も確かにあるのだから。しかし。
「魔術がある! ゴーレムがいる! ここなら、元の世界じゃないこの世界なら! 誰にも遠慮せずに凛菜と暮らせるし、凛菜に自分の意思を与えることができるかもしれない!! 俺はやるぞ! やぁっっってやるぞぉぉぉおおお!!!」
「うるっせーぞっ!! ノダァーーーーーッ!!」
丘の下から、壁ドンならぬダイアンさんの怒声が響いてきた。
朝になった。
かなり小さいが、あるだけマシなベッドの上、首をひねると隣には凛菜。
「……おはよう」
異世界転移が現実のことだと嫌でも実感させられる。なぜならば長距離移動で全身筋肉痛だからだ。そして昨日の出来事を思い出してみる。
昨夜、突然の異世界転移。こちらの世界ではお昼頃だったが。そこからひたすら歩いて夕暮れ時に村到着。10km位歩いたか? あとで方角を確認し、筆記用具を見つけてメモしておこう。それからダイアンさん、ギエン村長に会って、異世界人だと速攻でバレて、勇者とか言われて、色んな話を聞いて、この家を貸してもらえて、着いて早々に眠り込んで今に至る、と。てことはアレか、丸1日なんも食ってないのか。
「まずは朝食か……村でなんか食わせてくれるかな?」
痛む体でえっちらおっちらと丘をくだる。そして家に残してきた凛菜に想いを馳せる。
凛菜の自律可動人形化計画
……こんな馬鹿みたいな目的でも作らないと、突然飛ばされた異世界でなんてやっていけないのだ。俺みたいなやつは。
日の光の下、丘の上から見下ろす村の全貌はこうだ。
防犯だか害獣対策か、それほど高さのない簡素な柵で村全体を包み込んでいる。ちなみに我が家は柵の外だ。木製洋風の似たような屋根が点在し、数は50くらいか? そこかしこの煙突から煙が上がっている。朝食の準備かな? 昨日お邪魔した村長の家は村のほぼ中心にある、あの家だろう。あ、ダイアンさんが歩いてる。こっち向いたぞ目が合ったぞ。手を挙げてくれたので会釈する。まずはダイアンさんに声をかけるか。
───結論から言うと、村長に借金した。当面の生活費と家のセルフリフォーム代だ。だってお金ないもん。
まず朝食だが、この村には食堂がない! ってことで、ダイアンさんの口利きで食料品店のおばちゃんにご馳走になる。「村長達の紹介だからまぁいいけどさ、明日からは自炊しとくれよ? もちろん食材はウチで買っとくれ。安くしとくからさ♪」 なんというか、田舎の排他性と面倒見の良さの両方を持ったおばちゃんだなーと。
その後はもう大忙しだった。我が家は朝日の下で見ると想像以上にボロ小屋であり、大掃除と改装が必要だと判明。加えて自炊用の食材と足りない調理道具の調達、靴も必要だ。すれ違うたびに不審者を見る目を向けてくる村人達へのご挨拶……村長から、村人に対しては『王都の方から来た』と言え、と言われている。いいのか? 王都は行ったことないからすぐにボロが出るぞ? 幸い、村長とダイアンさんの紹介だということでか、深くつっこんでくる人はいなかった。ほとんどの人の目付きが変わることもなかったが。
で。
ダイアンさんに言われた通り諸々を村長のツケにしておいたら、村長から当面の生活費をもら……借りる時に「全額、ちゃんと働いて返すのじゃよ?」と言われた。異世界にきて2日目、俺はまさかの借金魔になっていた。
ところで。食えば当然、出るものもある。昨日は何も食べてないから『小』だけだったが、問題は「な、流れねぇ」わりと最近になって普及してきたらしい水洗トイレは、魔力を流さなければ機能しない。ダイアンさん「便を流す前に魔力を流せよ?」ってやかましいわ! 早急に最低限の魔力コントロール方法を習得せねば。子どもでもできるらしいから大丈夫だろうが。ひょっとしなくても最優先事項じゃね? 教えてダイアン先生ー! そんな「またお前かよ」みたいな、うんざりした表情しないでー! これでもコミュ障なりに必死なのー!!
『我が家』をざっと見渡したところ、とにかく本が多い。いくつかペラペラとめくると魔術の研究書ばかりだった。やっぱり文字も読めるのな。あと、よくわからない道具? 残骸? も、そこかしこに転がっている。今後使い道があるかもしれないから、捨てるに捨てられないな。そして山の小川から水を引いた水道は生きていて、裏手にある水車小屋を経由している。どうやら製粉もしていたようだ。しかし空き家になって随分と経つだろうに、ここも水洗トイレなんだよなぁ。時代を先取りしていたのか? それらの情報から推測するに、ここに住んでたのは魔女……とか? ともかく、魔術知識の宝の山なのは確かなので、拠点にするには最適な、計画に大いに役立つ施設だといえる。ボロいけど。
さて。まだまだやることは山積みだが、計画の取っ掛かりくらいは考えておかなくては。このままでは借金の返済と日々の生活に忙殺されて、元いた世界に暮らしていた頃と同じことを繰り返すだけになるかもしれない。
「ん〜。やっぱりまずは、耐久力を上げなきゃな」
ラブドールのボディは繊細である。色移りしやすいのはもちろん、シリコン製は長持ちするが脇とか裂けやすいと聞くし、TPE製は耐用年数が2〜3年程度と言われている。その期間を過ぎたらどうなるのだろうか? 崩れる? 溶ける? 何にせよ、いつまでもずっと一緒にいられるとは限らない、という点では生命体と暮らすのとそう差がないのかもしれない、とも思う。
そこで魔術である。いや、この世界の魔術に何ができて、何ができないのかすらまだ知らないけどさ、なんか万能そうじゃん? だって魔術だよ? きっとなんでもできるはず。そう信じる。まだまだ微量だけど、俺も魔力をコントロールできるようになったし。いやぁ、自転車に乗るより簡単だったね!
てことで。まずは凛菜の耐久力を上げる方法を探そう。今後、必要に応じて切開手術も行うことになるだろうし。そのためにもボディの耐久力は上げておきたい。
「時間はかかるだろうが待っててくれよ、凛菜!」
椅子に座らせた凛菜と目線の高さを合わせ、話しかける。そして、ふと思った。
───この世界に、コンドームはあるのだろうか?