第04話 沈黙の台所と、少しの笑顔
夜明け前、カイはいつも通りに目を覚ました。
だが、今朝は何かが違う。
自分の右腕には、ミィナの小さな手。左足のほうにはティノが丸まって寝ている。
そして、部屋の隅ではリゼルがうつ伏せになって、目だけをこちらに向けていた。
「……よく眠れたか」
返事はない。ただ、リゼルは少しだけ目をそらして、布団をかぶる。
その反応に、カイはふと口元を緩めそうになった。
▽
台所に立つのは、まだ慣れない。
パンを焦がした初日の失敗は、記憶に新しい。
でも、今日こそは――と思っていた。
ほんの少しでも『できること』を見つけたくて。
米をとぎ、かまどに火を起こす。野菜を刻む。
卵を割る。フライパンに油を敷く。
昨日のリゼルの動きを、記憶をなぞるように再現する。
「……よし」
出来上がった卵焼きは、ちょっと端が焦げていたが、ふっくらとしていた。
それなりに、形にはなっている。焦げパンよりは、きっとマシだ。
そのとき、足音がした。
「おじちゃん、なにしてるの?」
ティノが、眠そうにしながら目をこすりながら現れた。
「……朝飯を作っている」
「また焦がした?」
「……今日は、たぶん焦げてない」
「ほんと!?やった!」
ティノが駆け寄り、卵焼きをのぞきこむ。
「わっ、すごい。ちゃんと卵焼きだ!昨日のは……えーと、黒いオムレツだったもんね!」
「……そんな名前はない」
「あるよ。うちだけのオムレツ!」
ミィナも続いてやってきた。ティノの後ろに隠れるように、カイを見上げる。
「きょうは……くろくない?」
「……たぶん、大丈夫」
「……たべる」
その一言が、なぜか心に刺さった。
(この子たちは、俺が作ったものを、ちゃんと食べようとしてくれる)
それだけのことが、どうしてこんなに、胸に沁みるのだろう。
▽
やがて、リゼルも寝間着のままやってきた。
無言でテーブルにつき、卵焼きを一口、口に入れる。
もぐもぐ……もぐもぐ……
「……うん、悪くない。昨日よりずっと」
「……リゼル、おいしいって!」
「……べつに、『おいしい』とは言ってない」
「言ってた!」
「言ってない!」
「いってた!」
「……うるさい!」
いつもの朝――だけど、少しだけ笑いが増えた。
カイは黙ってコップに水を注ぎながら、三人の様子を見つめていた。
「……俺が、朝飯を作るのは……変か?」
ぽつりと、思いがけず口から出た。
リゼルがきょとんとした顔で、箸を止める。
「……ん? いや、別に……」
「じゃあ……明日も作る」
その言葉に、三人とも、ぽかんとした。
でも、次の瞬間――子供たちは楽しそうに叫ぶ。
「やったー!おじちゃんの朝ごはん!」
「……たまごやき、またたべる」
目の前の子どもたちが、そろって小さく頷いた。
その光景を見ながら、カイはふと――この家で初めて、胸の奥があたたかくなるのを感じた。
それは、昔の仲間たちと火を囲んで食べたときとも違う、もっと――静かで、深いものだった。
▽
朝食を終えて、食器を片づける手がふと止まった。
ティノが、まだ座卓の前でうとうとしている。
ミィナはカイの椅子の下に潜り込んで、テーブルの足を抱えていた。
そして、リゼルは水を汲みに立ち上がり、台所で背を向けている。
カイは、洗い物を始めながら、なんとなくその背中に声をかけた。
「……リゼル」
「なに」
「……昨日は……すまなかった」
静かに、その場の空気が止まる。
リゼルは振り返らず、水を注ぎながら返した。
「別に。こっちこそ、ごめん。ちょっと、言いすぎた」
「……ああ」
水音だけが続く中、しばしの沈黙。
けれど、それはもう『気まずさ』ではなく、『落ち着いた余白』だった。
「……私ね、怒ってたの。お母さんに何も言わずに、どこか行っちゃった人が、今さら何しに来たのって」
「……そうだろうな」
「でも、昨日の夜……カイおじちゃんが、ミィナのこと、ちゃんと見てくれてるの見て……ちょっと、びっくりした」
「……見てた」
「うん。ずっと、見てた。すごく、優しくて、……不器用だった」
くすり、とリゼルが笑う。
振り返ったその表情は、昨日よりずっと柔らかかった。
「……お母さん、言ってたよ。『あの人は言葉で説明するのが下手で、でも行動でちゃんと伝えてくる人だ』って」
「……そんなふうに、思われてたのか」
「そう思ってたんでしょ?お母さんが、自分のこと頼むなんて信じられないって、どこかで思ってる」
「……ああ」
水を汲んだコップをそっと卓に置くと、リゼルがゆっくりと向き直る。
「私たちのこと、置いて行かないなら……それでいい。今はまだ、うまく言えないけど」
「……ここにいる。どこにも行かない」
「じゃあ、よろしく。お父さん……じゃなくて、“おじちゃん”」
リゼルの声には、ちょっとした茶化しと、少しの照れが混ざっていた。
▽
「ねーねー、おじちゃん!」
リビングの隅で、ティノが積み木を積み上げながら呼んでくる。
「オレ、この塔、どこまで高くできると思う?」
「……屋根に届くまでやればいい」
「マジで!?やるやる!ミィナ、手伝って!」
「うん」
二人が積み木を並べ始める。
崩れた音に一度は驚いたが、またすぐ笑いながら積み始めた。
「ミィナ、赤いのそこじゃないよ!」
「こっちが、きいろ……」
カイはその様子を見守りながら、リゼルにそっと尋ねた。
「……朝食、まずくなかったか」
「うん、普通に食べられた。……次は、もう少し出汁とか入れてみたら?」
「……だし」
「今度、教えるよ。……いちおう、うちのお母さんの味、ちょっとは覚えてるから」
「……ああ。……頼む」
その「頼む」という言葉には、彼の中で、何かが動き始めた音が確かにあった。
▽
日が昇って、洗濯物を干す頃には、三人の子どもたちはすっかり元気を取り戻していた。
ティノは庭で虫を追いかけ、ミィナは絵本を読み聞かせてほしいとリゼルにまとわりつく。
「……ほんとに、騒がしいね、うち」
洗濯物を干しながら、リゼルが呟く。
カイは、その横で黙ってハンカチを竿にかけたあと、静かに口を開いた。
「……騒がしいのは、悪くない」
「……うん。わたしも、ちょっと……そう思う」
リゼルが、ほんの少しだけ笑った。
その笑顔を見ながら、カイは、まだ口には出さない“ある言葉”を胸の中で静かに噛みしめて――守りたい。この笑い声も、小さな手も、今この空気も。
全部――
(必ず、俺が……守る)
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