最終話 また、歩き出す
昼下がりの陽が、庭の花壇に斜めに差し込んでいた。
ミィナが両手で小さなジョウロを持ち、しゃがみ込んで花に水を注いでいる。
その横で、ティノが木の棒を振り回しながら「うりゃっ、そりゃっ」と叫んでいた。
カイは、縁側に腰を下ろし、その光景を無言で見ていた。
この家に来たばかりの頃、こんなに穏やかな昼が来るとは思っていなかった。
戦ってばかりいた日々、背中に背負っていたのは剣と沈黙だった。
今、代わりにそこにあるのは、子どもたちの声と、手のひらに残るぬるい土の感触だ。
「お父さーん、見て! この子ね、『かいのはな』だよ!」
笑顔で振り返り、カイはミィナの土まみれの両手を広げて、小さな蕾を指差す。
意味が理解出来ず、首を傾げてしまった。
「……かいの、はな?」
「そう。ちょっと強そうで、でもちゃんと優しくて、根っこが深いの!」
「……よく見てるな」
カイの口元がほんの少しだけ緩んだ。
ミィナは得意げに頷いて、また水を注ぎはじめる。
こういう時間が、少しずつ、心にしみついていく。
▽
夕暮れ前、リゼルからの手紙が届いた。
封を開けると、中にはいつもより少し丸い字で、こう書かれていた。
お父さん、こんにちは。
学舎での生活にも慣れてきました。
いろんな子と話して、勉強して、でもやっぱり、家のごはんが一番恋しいです。
次のお休みに、帰ります。
ミィナたちによろしく伝えてね。
便箋の余白には、小さな花の絵が添えられていた。
カイはしばらく、その絵を眺めたまま、動けなかった。
――あの子も、自分の足でちゃんと歩き始めている。
それが嬉しくて、どこか、少しだけ寂しかった。
ティノがふらりと帰ってきて、棒を肩に担ぎながら「今日、剣の練習したんだぞ!」と笑った。
「腰を落とせって言われた。あと、目を閉じるなって」
「……誰に言われたんだ?」
「お父さんに決まってんじゃん!」
「……そうか」
いつの間にか、そう呼ばれることに驚かなくなっていた。
▽
夕食の時間。
鍋の匂いが台所から漂ってきて、ミィナが鼻をくんくんさせている。
「ねえ、お父さん、今日のスープ、ミィナが味見したんだよ!」
「……それは、確実に味が変わってるな」
「えへへ、ちょっとにんじん足したの!」
ティノが食卓を整えて、カイは椀を並べる。
リゼルがいない食卓にも、ちゃんと笑い声がある。
カイの役目は、『彼ら』と共に、過ごし、成長するまで見守る事――ライナの家族を最後まで守るのが、カイの最大の役目だ。
普通の日常を、カイは一つ一つ噛みしめて過ごしている。
食卓に三人がそろい、カイがゆっくりと座る。
「……いただきます」
「「いただきます!」」
囲炉裏の火がぱちりと鳴る音。
湯気の立つ椀から、ささやかな香りが立ちのぼる。
あたたかな、何気ない時間。
カイは、その手を静かに椀へ伸ばした。
それが、どんな戦場よりも誇らしい動作に思えた。
▽
その日の夜。
ミィナが寝息を立てて眠り、ティノは布団の中でリゼルの手紙を読んでいた。
カイは縁側に出て、星を見上げる。
手には、折りたたんだ便箋。
何かを守るということは、きっと、力だけじゃない。
そこに「生きていてほしい」「帰ってきてほしい」と願える誰かがいること。
それを、ようやく理解できる場所にたどり着いた。
ずっと、味わえない事だと思っていた。
ずっと、一人だと思っていた。
けど、今は違う。
今は、「ただいま」と言えば、「おかえり」と言ってくれる、大切な家族がいる。
(……俺も、また歩き出せる)
まだ、自分には『未来』がある。
もう、あの頃の自分ではないと言う事。
静かに、カイは二人が寝ている姿を見つめる。
(……リゼルが帰ってきたら、ちゃんと『おかえり』を言わないとな)
次の休みに帰ってくる、『娘』を思い出しながら、目を閉じたのだった。
これで、彼らのお話は終わりになります。
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