第02話 静かな朝と焦げたパン
――朝が来る。
そのことに、久しく感謝したことなどなかった。けれど今朝は、少し違う。
目を覚ましたカイは、布団の端にいる小さな温もりに気づいた。
ミィナが、彼の腕にくっついて静かに眠っている。
小さな手が、無意識に彼の服の裾を握っており――その手を見下ろしながら、カイは静かに息を吐いた。
「……昨日のことは、夢じゃなかったか」
家の中にはまだ誰も起きていない。
眠るティノは布団の中で大の字、リゼルは少し離れた場所で布団をきちんと整えて寝ていた。小さな寝息が、かすかに聞こえる。
カイはそっと布団から抜け出し、物音を立てないように立ち上がる。
慣れない家。だが、記憶のどこかに、似た匂いがある――ライナの匂いだ。
昔、一緒に冒険していた頃。キャンプの朝に、彼女が焼いたパンの匂い。
焦げてばかりで、味もたいして良くなかったのに、彼女は笑顔で言った。
「おいしいでしょ」
そのように言いながら彼女は笑っていた。
あれから、何年が経ったのだろう。
台所に立ったカイは、棚を漁り、食材らしきものを探すと、固くなったパン、数個の卵、干したハーブ。使えそうなのはそれくらいだ。
火を起こすのは慣れている。
パンをフライパンに乗せ、焼いてみる。
――じゅううう……っ。
立ちのぼる煙。焦げた匂い。
カイはフライパンを慌てて持ち上げたが、パンの裏側は真っ黒になっていた。
「……」
フライパンをじっと見つめるカイ。
何故、黒くなったのだろうかと言う言葉が、頭から離れない。
無言のまま、トーストを裏返す。もう片面も、似たような結果になりそうだった。
その時だった。
「なに、くさい!?」
バタバタと足音が廊下を駆ける。ティノが、まだパジャマのまま飛び込んできた。
「おじちゃん、なにしてんの!?火事!?火事!?燃えてる!?」
「……違う」
「じゃあ……くさっ!え、なに?パン!?パン焦げてる!?」
続いて、リゼルも現れる。寝癖のまま、眉間に皺を寄せながらフライパンをのぞきこむ。
「えっ……これ、パン?……パンなの?」
「……ああ」
「黒い……いや、黒すぎるでしょ!?石!?石にしか見えない!」
「焦げただけだ」
「焦げすぎだよ!……何やってんのほんとにもう……」
「……朝食だ」
「こんなの食べられないよ……!」
「食える」
無表情に言い返すカイに、リゼルが思わず息を呑む。だが、その目には怒りというより呆れと、ほんの少しの――困惑。
彼が“なにかしようとしてくれた”ことは、理解していたからだ。
「……まあ、ありがと。でも、料理は任せて。私の方が慣れてるから」
「……任せる」
そのやりとりの横で、ティノがパンを手に取り、じーっと見つめていた。
「……オレ、食べてみていい?」
「えっ、やめなよティノ!」
「でもさ、こういうのって案外うまいかも!」
ティノは焦げパンを一口――かじって、バリッと音を立てた。
「…………んー……うん、かたい!!」
「やっぱりじゃん!!」
「でも、かりかりでちょっとおいしいかも……おじちゃん、ありがと!」
「……ああ」
カイは小さく頷いた。
そこに、ミィナがゆっくりと現れる。手には毛布を抱え、寝ぼけた顔のままふらふらと近づいてくる。
「……おじ、ちゃん……?」
「……起きたか」
「おなか、すいた……」
「じゃあ、私がちゃんと作るからね」
リゼルが袖をまくり、台所に立つ。
小さな釜に水を張り、米をとぎ、卵焼きの準備を始める。手慣れた動きだった。
「……料理、できるんだな」
カイの言葉に、リゼルは驚いたように振り返った。
「……喋るんだ」
「……ああ」
「……意外」
でもその声に、とげはなかった。
それどころか、彼女の口元には、小さな笑みが浮かんでいた。
やがて、朝食ができあがる。
卵焼きと、おかゆ。そして焦げパンの“端っこ”を、ティノが嬉しそうに皿にのせる。
「いただきまーす!」
「……いただきます」
ミィナも、そっと手を合わせる。
カイは、無言でおかゆをすくう。
「……どう?おじちゃんのパン、意外といけたでしょ?」
「……おまえが、すごい」
「え?」
「……焦がさなかった」
「……なにそれ、褒めてるの?」
照れくさそうに言いながら、リゼルは笑った。
それは、ほんの少し、母の笑顔に似ていた。
誰かと食べる朝ごはんが、こんなに温かいなんて、知らなかった。
沈黙が、心地よいこともある。
カイは何も言わず、ただ黙々とおかゆを食べた。
でも、ふと目をやると、ミィナが隣にぴたりとくっついて、カイの椅子に手を添えていた。
「……ん」
声にならない小さな返事をしながら、カイはスプーンを差し出す。
ミィナはにこりと笑って、そのスプーンから一口、おかゆを食べた。
ああ、これが――これが、「家族」なんだな。
カイの胸の中が微かに温かくなったのを、感じているのだった。
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