第14話 村の魔獣騒動
空気が変わったのは、朝方だった。
小鳥のさえずりと一緒に聞こえてきたのは――遠くの鐘の音。
それは非常時を知らせる、緊急の合図だった。
カイはすぐに立ち上がり、腰にある剣を手に取った。
「……リゼル、ティノ、ミィナ」
三人はまだ朝の身支度の途中だった。けれど、いつもの彼らの目が、すぐに真剣さを読み取る。
「近くの村に魔獣が現れた……人が襲われている。俺は、討伐に向かう」
「……おじちゃん、行くの?」
「ああ」
迷いはなかった。
それが、剣を封じていた自分にできる、唯一の答えだった。
「絶対に帰る。……約束する」
そう言って、彼は静かに、剣を背に出発した。
▽
現場の村に着いたとき、すでに一部の家が焼け、柵が破られ、血の跡が点々と道に残されていた。
「子どもたちを隠せ!」
「後衛は東の柵を補強しろ!」
「やばい、また出た――!」
村の広場では、数人の若い冒険者と村の自警団が必死に立ち回っていた。
そして――その中央に異様な『気配』を放つ魔獣が立っている。
人の背丈の二倍はある異形――狼のような体躯に、獅子のたてがみのような毛並み。
口元には鋭い牙、目は血のように赤く、背中には骨の棘。
何より、その動きは「野生」ではなく、「理性」を感じさせた。
まるで――戦い方を知っている者のようだった。
「……『変異種』、か」
カイは剣を抜く。
黒の刃が空気を裂く音に、周囲の人々が振り返る。
「あいつ……!」
「まさか、あの『剣鬼』!?」
「違う」
カイは低く呟いた。
「今は、三人の子供を持つ、ただの『カイ』だ」
▽
魔獣が吼え、空気が振動した。
地を蹴り、鋭い爪がカイの首を狙って振るわれる――しかし、遅い。
刃が逆光のように走る。
ガッ――!
火花が飛び散る。
カイは魔獣の腕を受け止め、そのまま体勢を崩さず足払いを入れる。
が、魔獣はその巨体を活かして踏ん張り、口を大きく開き、吐き出したのは――赤黒い霧のような『瘴気』。
「くっ……!」
視界がぼやける。動きが鈍る。
知性を持つ魔獣――『瘴獣』と呼ばれる、上級個体だ。
「――相手が何であれ、関係ない」
呼吸を整え、重心を低く構え直す。
一瞬で詰め、膝裏へ斬撃――足元が崩れ、魔獣が叫ぶ。
そこへ斜めからの追撃、首筋を狙って振り下ろす――が、反撃の爪が先に来る。
シュンッ――
頬をかすめる爪。血がにじむ。
カイは反転し、わずかな隙を縫って背中に一太刀をし――肉を断ち、骨に達する。
魔獣が咆哮し、暴れる。
「……吠えるな。吠えていいのは、守るものがある者だけだ」
言い終わるより早く、跳躍。
上段からの剣が、真一文字に魔獣の頭部を――斬り裂いた。
刃は血を浴び、空気を震わせて、音もなく着地し、その瞬間、あれほど咆え猛っていた魔獣が――音もなく崩れ落ちた。
▽
静寂。
村人たちは固唾を呑み、ただその姿を見つめている。
カイはゆっくりと剣を鞘に収め――そして、誰にも何も言わず、背を向けた。
「……帰る」
家に帰りたい。
そんな事を考えながら、カイは帰り道をゆっくりと、歩き始めたのだった。
▽
帰り道、傷の痛みがひどくなっていた。
肩に深く爪が食い込んでいる。
呼吸も苦しい。
瘴気の影響がじわじわと残っている。
それでも、歩みを止めなかった。
『誰かを守るために戦った』という確かな手応えが、心の奥に、静かに燃えていた。
足が重い。
視界がにじむ。
けれど、意識だけは、はっきりとあった。
歩を進めるたび、身体のどこかが軋んだ。
右肩からは血が落ちている。
瘴気に焼かれた肺が、痛むたびに息を奪っていく。
それでも、進む。
もう二度と、あの背中を見せたまま、誰かを置いていくことだけはしたくなかった。
――ただいまを言うために。
夕暮れが村を染める頃。
カイは、ようやく家の前に辿り着いた。
扉を開ける音が、いつもより少しだけ重く響いた。
――次の瞬間。
「――おかえり!!」
叫ぶようなティノの声が、空気を破った。
カイが顔を上げるよりも早く、少年の小さな体が彼に飛びついてくる。
一瞬驚いた顔を見せたのだが、ティノは何度も叫ぶ。
「おじちゃん!ほんとに帰ってきた、ほんとに……!!」
「……ああ。帰った」
ティノの体が、震えていた。
カイの服の裾を掴む手が、力強かった。
続いて、ミィナがすすり泣きながら、そっと彼の左腕に頬を寄せる。
「……おじちゃん、いっぱい、けが……」
「大丈夫だ」
「うそ、だいじょうぶじゃない……でも、かえってきてくれた」
カイは、ぎこちなく、でも確かに二人を両腕で抱き寄せた。
痛みがあっても、それよりも――温もりの方が、ずっと強かった。
そして、リゼルが、薬箱を抱えて静かに近づいてくる。
「帰ってきてくれて、ありがとう……『お父さん』……」
それは、はっきりとした言葉だった。
初めて、正面から向けられた、家族としての“名前”。
カイは目を細める。
何も言えないまま、頷いた。
▽
静かな夜がまた始まる。
治療を終え、少しだけ横になっていたカイのもとに、子どもたちが順番にやってきた。
ティノは「また、つよいやつ来たら、オレも一緒に戦う!」と拳を握り、
リゼルは「ほんとは泣きそうだった」と、すこしだけ頬を膨らませた。
そして、最後に、ミィナが布団の端にぺたりと座り、顔を覗き込んで言った。
「おじちゃん、……おかえり」
「……ただいま」
そのやり取りに、そっと笑い声が重なった。
言葉が、絆をつないでいく。
それはきっと、当たり前の日常なんかじゃなかった。
何度も何度もすれ違い、確かめて、ようやく手に入れた「帰る場所」。
それを、カイは――初めて『自分のもの』だと思えた。
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