2 宮中晩餐会
黄昏時、ぽつりぽつりと城下の街灯が点き始めるのを横目で見ながら、私はレイを連れて宮中晩餐会の会場である、ヴェリテ宮殿へと向かう。
宮殿の近くで、石柱にもたれかかって通信石で誰かと話している人物がいた。
「げっ」
思わず、口を手で押さえる。
「おやおや。殿下とは初めて会うはずですが、どうしてカエルを踏み潰したような声を上げられるので?」
そう言ってこちらに歩いてくる黒髪金眼の男こそ、戦闘狂のハンス・レガリウス辺境伯。この乙女ゲームをアクションゲームと言わしめた最悪最強の魔法使いだった。
(ステータスオープン)
――ハンス・レガリウス好感度200%
「え……?」
(は? なんで? 私、死んだ?)
ハンス・レガリウスの死亡フラグは唯一覚えている。
……それは強くなる事。
前世のリスナーから、こいつと戦ってほしいとコメントがたくさん来ていたから記憶に残っていた。
目を見開いて固まる私に彼は目を細めて、そこに年頃の令嬢がいたら倒れてしまうような笑顔を見せた。
彼は旧レガリウス帝国たった1人の嫡子。もちろん完璧な状態のレガリウスの魔眼を持っている。
私がレガリウスの魔眼対策を探している理由はここにある。
「素晴らしい魔力量ですね。ですが……怠慢では? まだ成長出来る余地を残している」
「はっ、は?」
(私の怠慢? ふざけてるの? 私がこの歳でこの魔力量を持つにあたってどれだけ苦労したか、魔法使いなら普通わかるでしょ?)
赤ん坊の時から、毎日魔法を倒れる限界まで使って鍛えてきたおかげで今の私がある。
それもこれも、こいつに殺されて死にたくないからで、プロゲーマー根性としても誰かに負けるなんて嫌すぎる。
驚きよりも怒りが勝ってしまい、私はハンスを睨みつけた。
「おや? 恥の意識があるのか声も出ないご様子。私が指導しなければ、所詮その程度ですか」
ありえない返答に、かぁっと一瞬で顔が熱くなるのを感じた。
とっさに俯いてリスナーコメントを開く。
神1: 僕こいつ嫌い
名無し: 僕も嫌い
うさぎ: 言い返してやらないのか?
「……ふぅ」
(ナイス私。怒りすぎて魔法をぶっ放すところだった)
後ろ手で杖を抜きかけた右手を元に戻して、私はひくつく口元を存分に上げて、ハンスに微笑みかける。
「誰ですか、あなた。私はクランツェフト第二皇女アリアーデ・クランツェフトです。これ以上の無礼は許容できません」
私は堂々と、皇女らしく宣言した。
しかし、ハンスは何がおかしいのか目尻の涙を人差し指で拭って、紳士然とした態度で名乗った。
「ククク……。失礼致しました。私はハンス・レガリウス辺境伯と申します。先ほどのはほんの冗談ですよ。お詫びにこのネックレスをあげましょう」
ハンスは虹色の魔昌石で出来たネックレスを差し出してきた。
細くて整った指に摘まれた魔昌石は、菱形に加工されていてとても綺麗だった。
「いりません。貴方からいただく物は例え水晶で出来たお城だとしても呪われていそうですから」
「はぁ、そうですか……。やはり、殿下ではこの魔昌石に込められている魔法は解放できないようですね」
とても残念そうに、ハンスはネックレスを眺めている。
魔昌石には魔法が込められる。
石の色によってランクがあり、無色、青、緑、赤、紫、金と続き、虹色はどんな魔法でも込められるかなり稀少な物だった。
皇女の地位に居ても初めて見る色なのだから、恐らく皇都の貴族街に土地付きで豪邸が建つぐらい高価なものだろう。
(安い挑発。乗ってやろうじゃない)
「……その魔昌石を貸してください」
私はハンスからネックレスを受け取って、全力で魔力を込める。
「おっと、もうこんな時間ですね。それではお先に失礼します」
懐から取り出した懐中時計を確認したハンスは、くるりと背を向けて歩き出した。
「発動しない……? ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
ハンスはレイとよく似た壮年の従者を、指で合図して従えると、思い出したように言った。
「あ、そうそう。レイに聞けば、殿下が今どの魔昌石まで解放できるかがわかりますよ」
手をひらひらと振って去っていくハンスを追いかけるか迷いながら、私は後ろのレイを見た。
「……今の姫様ならば、紫の魔昌石まで解放できます」
(あの野郎、私が解放できないってわかってて虹色の魔昌石を渡してきたな!?)
あいちゃん: あらあら、どんな魔法が入っているか楽しみね
親衛隊: アリア様も急がないと!
「ああもう。レイ、私たちも行くよ。遅れちゃう」
ネックレスをポケットに入れて歩き出す。
晩餐会の会場に着くと、私が1番最後のようで、使用人に促されて末席に着席した。
その後、少しすると父である皇帝陛下、ジゼット・クランツェフトが上座から現れた。
「クランツェフトに太陽神カランドの栄光を」
皆がグラスを高く上げ、晩餐会が始まる。
ハンス・レガリウスは第三席に座っている。第一席は皇太子である兄のカイネル、第二席は宰相のリーブス・オブロン侯爵が座っているので、実質ハンスの実力はNo.1と言っても過言ではない。
そしてもう1人、警戒すべき人物がいる。
(ステータスオープン)
――ラビット・ラバー好感度100%
(は? どうしてこの人も初見なのに好感度が高いの……?)
第五席に座るラビットは、バーバリー大聖堂所属のこの国に1人しかいない聖騎士だった。
なんでも、神の声が聞こえるのだと噂になっている。
「アリアーデ、自己紹介をしなさい」
ジゼットの声を受け、私は立ち上がった。この晩餐会のメンバーは功績によって変わる。私だけが今回第八席の人と入れ替わった形になるので、初めましての人が多かった。
「はい。私はアリアーデ・クランツェフトと申します。まだ若輩者ではございますが、このような栄光ある場に招待して下さりとても嬉しく存じます。これからもクランツェフトの為に励んで参りたい所存です」
優雅なカーテシーで締めくくると、小さな拍手が起こった。
「そのお年でなんと立派な。やはり聖女に違わぬお姿」
「神託を受けていると言うのは本当ですか?」
ラビットが私を見つめて聞いてくる。
「はい。此度は干ばつの神託を受けました」
目を見開いて驚いた顔をしているが、やはりラビットも神の声が聞こえているのだろうか?
「……そうでしたか」
そう言ってラビットはブツブツと何事か考え始めてしまった。
ジゼットが、ハンスに話しかける。
「アリアーデが予知した干ばつの対処には、レガリウス卿の力が大いに役立った。レガリウス魔境での魔王復活の予兆も出てきているが、そちらは大丈夫か?」
「ええ。余力で各地に大雨を降らすぐらいには余裕がありますよ」
仏頂面のジゼットと、終始にこやかなハンスの組み合わせは側から見ていると水と油のようで見ていてヒヤヒヤする。
今回の件で、ハンスは皇帝に恩を売った形になる。
それが今後にどんな影響を及ぼすかが心配だった。
(やばい、もっと強くならないと。好感度の上昇速度が思ったよりも早い)
その後は歓談を楽しみながら晩餐会は無事終了した。
ハンスはと言えば、晩餐会の終わりにラビットと共にどこかへ消えてしまっていた。
私はポケットの中の魔昌石を握りしめる。
「ネックレス、返しそびれた……」
♢
「ひとまずはあの魔眼をどうにかしなきゃね……」
「当てはあるんですか?」
お風呂場で、赤ん坊の時から一緒の侍女ビビアニに体を洗ってもらいながら考える。
ゲーム開始年齢は16才。あと8年あるが、好感度だけを見るともうハンスに殺されてもおかしくはない。
(あの見透かしたような笑顔……。不気味すぎる)
ハンスに殺されるにしても、突然脈絡もなく刺されるのは考えにくい。だからと言って、対策をこまねいているわけにもいかないが。
「1人、私が知ってる魔具師がいるから、その人を訪ねてみようかな」
「その割には嫌そうですね」
ビビアニの言う通り、懸念があるとしたら彼が攻略対象者であることだった。
前世の知識でも、天才魔具師と言う肩書きと引きこもっているという情報しか知らない。
「アークリガリットって言うブランドの魔具は有名でしょ?」
「たしか作者不明で、優れた作品にも関わらず、出回っている数も少ない事から高額で取引されているブランドですよね。……もしかして、作者に心当たりがあるのですか?」
何も答えないでいると、ビビアニは目を見開いて驚いていた。
「誰にも言わないでね? 私も最近知ったことだから」
お風呂から上がって、ベッドに横になりながらリスナーコメントをチェックする。
神1: 居場所は宰相に聞くといいよ
うさぎ: 行かない方がいい。引きこもらせとけ
使用人: 今夜、執事が死ぬので助けた方がいいですよ
名無し: 死なせとけば?
不穏なコメントを発見した。
「レイが死ぬ? たしかに、いつも寝る前に白湯をくれるのに今日は見かけないね……」
私はベッドから飛び起きて外出の支度を始めた。
(好感度イベント……? 危険だけど、私の従者に手を出す輩がいるのは放っておけない)
神1: 行くんだ?
使用人: 北のラウルポール伯爵邸です
親衛隊: もしかして、前回第八席だった伯爵ですか?
「逆恨み? だとしてもレイを狙うなんておかしいし、何かトラブルかな」
杖を横に構えて、足音と姿を消す魔法を発動すると、静かにバルコニーへ繋がる窓を開けて外に出た。
今夜は満月の夜だった。
夜風が体に当たって気持ちいい。
うさぎ: 夜の冒険ってやつか?
リア: 気をつけて
(……気をつけて、か)
私の前世と同じ名前で、発言が珍しいリスナーからの忠告は気になるが、私の従者が怪我をするのは見過ごせない。
私は一呼吸置くと、地面を蹴り出して空を飛んだ。
♢
伯爵邸の庭はかなり広かった。
私は手入れが行き届いた庭園をゆっくりと歩いていく。
屋敷の様子におかしいところはない。
親衛隊: 静かですね
名無し: 早く帰ろうよ
(もしかして、間に合わなかった?)
生垣を沿って警戒しながら進む。
風にかすかに血の匂いが混ざっていると感じた時、突然後ろから首元にナイフを当てられた。
「ッ!?」
(透明な私を見抜いて背後を取るなんて、どこの手練れなの!?)
ぴくりとも体が動かせない中、耳元で聞き慣れた声が聞こえてきた。
「どうして姫様がここにいるんですか?」
「……レイ、どういうつもり?」