第6部、第2章~みたび訪れた雑居ビル
由花理さんとの電話でショックを受けたものの、忙しい毎日が3日も続くと平常心を取り戻しました。
「何事も経験経験!」
「次にこんな事があっても、同じ轍を踏む事だけは避けないとね」
ぼくは、そんな事を思っていました。
それから数日後、ぼくはまた不思議な夢を見ました。
赤黒い背景の中、ぼくは只管光の差し込む方向に歩いていました。
「ここは何処だ…」
「一体、いつまでこんな空間が続いているのだろうか…」
ぼんやりと遠くの空を眺めていると、ぼくの背後から砂混じりの突風が唸りを上げて吹き荒れました。
その風が、下降気流になるにつれ、目の前の風景が顕わになってきました。
「ん?向こうの方に何かが見えたような…」
そんな事を思っていると、再び視界が失われました…。
突如発生した旋風によって、周辺の砂が巻き上がったのです。
「うわっ、何だよこの砂塵は…」
ぼくは、咄嗟に目を閉じて、両手で顔を覆い隠しました。
数分後、強風が落ち着いたところで、顔から手を下ろし、恐る恐る目を開きました。
すると、さっきまでの赤黒い背景が一変していました。
「おっ、この先に街が見えるぞ!」
「それも、そんなには遠くないみたいだ!」
ついさっき迄は、視界の悪い砂漠でも歩いているような感覚でしたが、街が見えた瞬間にぼくの心は踊りました。
「よし!このまま街に直行して探索しよう」
「ついでに、街中に着いたら軽く飲み食いしよう」
ぼくは、旅路を急ぎました。
ここで、少しばかり話は変わりますが、ぼくはあまり夢を見ない方だと思います。
しかしながら、定期的に何だかよく分からない内容の夢を見る事があるのです。
それは、高い建物から落ちる夢だったりします。
夢である以上、高い所から落ちても何も影響は無い筈なのですが、落ちきる前に目覚めてしまうのです。
他には、無実の罪を着せられたり、複数の人から追い回される夢を見る事もありました。
後者の夢では、精神的に追い込まれるような事態が多く登場するので、起き抜けの心拍数が高めでした。
ただ、ぼくが見る夢は、短時間で終わる事が殆どでした。
なので、長々とした夢はかなり印象に残るのです。
ここで本題に戻ります。
この日も長い夢でした。
ぼくは、見知らね街に迷い込んだ筈だったのに、街に着くなりずんずん先に進んで行きました。
そして、左前方に見えたファーストフード店を目指して、急加速をしました。
しかし、人通りの多い地点に差し掛かった瞬間に、ちょっとした違和感を覚えました。
「あれ?この場所は前にも来た事があるよな…」
「確か、ここは新宿の繁華街だったかな…」
徐に周辺を見回すと、見覚えがある巨大なビルが聳えたっていました。
「もしかして、あのビルの角を曲がれば例の場所に着くんじゃなかろうか?」
ぼくは、その場でゾッとしました…。
「は~、もう2度と来たく無いって思ってたのにさぁ…」
嫌な予感がしたので、もと来た道を引き返そうとしました。
しかし、そのタイミングで、ぼくの後方から人波がどっと押し寄せてきた為に、1歩たりとも戻る事は出来ませんでした…。
「押さないで、押さないで下さ~い!」
そんな声も一切届かずに、ぼくは先へ先へと押し出されました。
気が付くと、ぼくはとあるビルの正面にいました。
あろうことか、そこは嘗て夢の中で幾度か訪れた新宿の雑居ビルだったのです。
その時、ぼくはこう思っていました。
「はいはい、どうせ抵抗したって無駄なんでしょ」
「行きますよ、行きゃあいいんでしょ」
ぼくは、雑居ビルの入り口手前で立ち止まりました。
外観を見る限り、前回の夢の時と変わった様子はありませんでした。
「ビルの中は綺麗に清掃されているのか、将又廃墟同然なのか?」
「いや待てよ、ここでなら引き返せるんじゃないか?」
そう思っていた矢先に、ぼくの背後で悲鳴が上がりました。
振り返ると、ガラの悪い人達が1人の女性をめぐって乱闘騒ぎになっていました。
ぼくは、思わず身を竦めました。
「ヤバい…、こんなのに巻き込まれたら一巻の終わりじゃないか…」
「類が及ぶ前に逃げ切らないと…」
「でも、他に逃げ場はなさそうだしな…」
「う~ん、これはやむを得ないと判断するのが得策だろう…」
ぼくは、眼前にある雑居ビルに入るしかありませんでした。
一抹の不安はありましたが、雑居ビルの構内に入ってしまうと、不思議と嫌悪感は消えていました。
辺りを見回すと、入り口付近だけは綺麗に清掃されていました。
「ふぅ~、いきなり蜘蛛の巣だらけって事はなかったか」
「果たして、ビルの内部はどうなっているのやら」
ぼくは、以前雑居ビルに来た時の事を思い出しました。
「確か、このビルには居住区に向かう階段があったよな?」
そこで、ふと階段があった方を見ると、防犯対策につき封鎖中になっていました。
「何だよ…、上に行くのはエレベーターしかないのかよ」
そんな事を思いながら、エレベーターホールに向かいました。
すると、エレベーターのドアが開いた状態で停止していたのです。
「何だよ、既にお迎え体制がバッチリじゃないか…」
「とにかく、これに乗れって事か…」
ぼくは、意を決してエレベーターに乗り込むと、行き先ボタンを確認しました。
すると、驚いた事に、ぼくが操作する前から5Fのボタンが点灯していました。
「マジか…、これじゃ考える余地もないっていう事か」
ぼくの額には、ジワりと脂汗が滲んできました。
それでも、深呼吸をして冷静になろうと努力をしました。
「ふ~ん、とにもかくにも5Fに来いとな」
試しに、他の階数ボタンも押してみましたが、どれも反応しませんでした。
「まあいっか、とりあえず5Fに行ってみるか」
そう思い、閉じるボタンに触れようとした瞬間に異変が起きたのです。
何と!想像を絶する様な物凄いスピードで、エレベーターのドアが閉まったのです!
「ゴゴゴゴゴゴッ、ガガガガーン!」
轟音と共に、かなりの振動が体中に伝わりました。
ぼくは、思わず仰け反りました。
「お…、おいおい、何だよ、危ないなぁ…」
びくびくしながらそう呟くと、エレベーターはゆっくりと動き出しました。
そして、ガタガタしながら5Fに向かったのです。
「ゴ、ゴゴゴゴー」
エレベーターが5Fに着くなり、ぼくは勢いよく飛び出しました。
その理由は、エレベーターのドアが高速で閉まる恐れがあったからです。
もし、あんな勢いで体が挟まれたとしたら、骨折は免れないでしょう。
それと、エレベーター内に閉じ込められる危険性も考慮した上でした。
ただ、5Fに着いてからのエレベーターの動きに異常はありませんでした。
エレベーターのドアも、閉まる時だけは通常通りの速度だったのです。
「ゴ、ゴゴゴゴー」
「ふ~、やれやれ」
「とりあえず、あの乱闘が終わる迄はここにいないとな…」
「でも、ここからすんなりとビルの外に戻れるのだろうか?」
試しに、エレベーターホール側から下ボタンを押してみましたが、反応はありませんでした。
それならばと、下に向かう階段はないかと探し回りました。
しかし、それらしき扉は何処にも見当たりませんでした…。
「仕方がない…、この先を進むしかないのか…」
ぼくは、緊張感が高まった状態で5Fの室内を見回しました。
すると、以前の夢では綺麗だった事務所が、辺り一面埃だらけになっていました。
それどころか、埃にまみれた蜘蛛の巣が、あちこちに張り巡らせていました。
室内を見上げると、天井灯は全て消灯していて、窓ガラスから射し込んでくる光だけが頼りでした。
ただ、室内の奥側に向かう通路だけは、蜘蛛の巣が取り除かれていました。
ざっと見た限り、縦は天井面迄、横幅は1メートル以上のスペースが確保されていました。
よって、そこを通れば先に行くのは容易でした。
通路には、何とも古臭いオフィス窓が、等間隔で設置されていました。
ぼくは、建付けの悪いオフィス窓を数十センチだけ開けて、ビルの入り口付近の路上を確認してみました。
すると、既に乱闘騒ぎは終わっていました。
「何だ、もう終わりか」
「だったら、長居は無用だな」
ふと足元を見ると、通路の右端にゴツゴツした石が転がっていました。
ぼくは、近くにあった石を拾い上げました。
「これは、何かあった時に武器として使えるかもしれないな」
「でも、あんまりデカいのは使えないかな」
「そうだ!殺傷能力がありそうな石を隠し持っておけば安心じゃないか?」
「いやいや、それだと確実に殺人犯になっちゃうよな…」
「凶器の石は、どうしても必要な時にだけ、この辺りから取りに来るとしよう」
ぼくは、手の平サイズの石を選んで柱の近くに並べました。
「まあ、5個もあれば事足りるだろう」
「それにしても、汚い部屋だなぁ」
以前の夢では、鮮やかだった赤色の絨毯も、埃に覆われてくすんで見えました。
ぼくは、おどろおどろしい雰囲気の中で深呼吸をしました。
察するに、右側にある通路以外は誰も立ち入らないのでしょう。
左側の空間は、何年も使われていないオフィスでした。
そこの、天井から事務机に至る迄の空間は、蜘蛛の巣が幾重にも張られていたので、簡単には入り込めない状況でした。
ですが、そのエリアにさえ入ってしまえば、身を隠すのには便利ではないかと考えました。
幾重にも張られた蜘蛛の巣は、目隠しになるだけでなく、見た目の不気味さから態々近付いて来る人はいないだろうと予見しました。
それに、事務机の1画だけでも蜘蛛の巣を取り除いてしてしまえば、人の出入りを観察するのに最適なスペースが作れそうでした。
ぼくは、蜘蛛の巣を取り払う為に長い棒を探しました。
しかし、棒状の物は何処にも落ちていませんでした…。
そこで、手先を使って豪快に蜘蛛の巣を取り払おうかと考えました。
ですが、程なくしてその案は棚上げする事にしました。
「よくよく考えてみれば、滅多矢鱈に蜘蛛の巣を撤去してしまうと、ぼくがこの部屋に潜んでいるのがバレてしまうのではないだろうか?」
「それに、後方に逃げ道が無い以上、警察を呼ばれてしまったら袋の鼠じゃないか…」
「仕方がない、腹を決めて先に進むか…」
ぼくは、蜘蛛の巣に注意しながら先に進んで行きました。
少し先には、事務所の入り口がありました。
非常口に向かうには、どうやらここを通過するしかなさそうでした。
本来ならば、用も無いのに雑居ビルの中に入ったり、ましてや事務所に入ってしまうと、不法侵入で捕まる危険性があるでしょう。
しかしながら、夢の中ではそんな選択肢は用意されていませんでした。
危険を冒してまで、事務所の内部に侵入したくはありませんでしたが、戻ったところで出口が無いのは明確でした。
結局のところ、非常口が見当たらない限り、目の前にある事務所に入るしかありませんでした。
入り口扉のドアノブには、埃が溜まっいる様子はありませんでした。
それに、つい最近誰かが触ったでしょう。
ドアノブの表面には、指先の脂が何個も付着していました。
「この中に誰かいるのだろうか?」
そう思った途端に緊張感が高まりました。
試しに、ドアノブを捻った状態で、入り口扉をほんの数ミリだけ手前に引いてみました。
すると、この扉が未施錠なのが分かりました。
「という事は、この先には高い確率で人がいるって事じゃないか?」
「これはマズいじゃないか!」
そう思いながら、入り口扉を押し戻し、ドアノブをソッと離しました。
そして、エレベーターホールに戻って、事務所の入り口付近を監視する事にしました。
ぼくが、ここまで警戒したのには、理由がありました。
ドアノブを捻った時に、少しばかり音を立ててしまったからでした。
ですが、5分以上経っても誰1人出てきませんでした。
腕時計を見ると、エレベーターホールに来てから10分以上は経っていました。
その時、ぼくの頭の中ではこんな事を考えていました。
「そういえば、確か、今日は日曜日じゃなかったっけ?」
「という事は、土日休みの会社なら営業時間外って事も考えられるな」
「それならば好都合じゃないか!」
「よし!今のうちにサッサと通り抜けてしまおう」
怪しさは残るものの、ここを通らなければ非常口には辿り着けないと思い、改めて事務所の前へと足を進めました。
すぐにでも、この事務所を通り抜けたいという願望はありましたが、もう1度だけ中の様子を窺ってみる事にしました。
ぼくは、事務所の入り口扉にソッと片耳を当ててみました。
何か音がしないか、注意深く聞き耳を立てましたが、話し声や生活音はしませんでした。
そこで、事務所の入り口扉を軽くノックをしました。
「コン、コンコンコン」
返事はありませんでした。
「それならば、迷う事なく前進あるのみ!」
ぼくは、自らを奮い立たせ、事務所の中に突入する事にしました。
「ガチャリ」
「キューーーー」(扉を半分開ける)
「すいませーん、誰かいませんか~」
「シーン…」
「いないんですか~?」
「あの~、申し訳ないんですが、向こう側に通り抜けたいので、ちょっとだけお邪魔しますね」
「シーン…」
「エレベーターが動かなくなってしまったので、非常口から帰らせて下さ~い」
大きめな声でそう言ったものの、誰も出てきませんでした。
「よし!今ならば誰にも会わずに通り抜けられる」
ぼくは、周りに注意しながら薄暗い事務所の中を進んで行きました。
「何だ、大して障害もなかったじゃないか」
と、思っていた矢先に異変が起きたのです。
事務所の中央付近を通過しようとしたタイミングで、天井照明が全灯したのです。
その上、ぼくのすぐ横にあった黒色のデスクトップパソコンが、“ガチャガチャ、ギギギギー”と起動音を鳴らしたのです。
それを見て、ぼくは恐怖心で震え上りました…。
「ヤバい…、ここにいたら確実に誰かが来るだろう」
「事務所の方と鉢合わせた場合、犯罪者扱いされて部屋に閉じ込められる可能性もあるな…」
「だとしたら、強引に突っ切るのは限りなく危険だろう…」
「とりあえず、引き返した方が無難かな」
ぼくは、足音を立てないようにして、事務所の入り口付近に向かいました。
せっかく、ここまで来たのに、態々引き返したのには理由がありました。
パソコンが立ち上がった頃に、誰かが来るんじゃないかと思ったからです。
それに、もし誰かに見付かってしまっても、入り口付近にさえいれば、怪しまれないと思ったからでした。
最悪、凶器を持った人が現れたとしても、すぐに逃げられるような態勢にしたのです。
ただ、辺りには人らしき人はいませんでした。
「ふ~、何だよ…、脅かすなよ」
「パソコンがいきなり起動したのには肝を冷やしたけど、照明に関しては人感センサーか遅延タイマーで点灯しただけだろう」
「とりあえず、早々にここから出よう」
この事務所さえ抜けてしまえば、非常口にはすんなり行けるような気がしました。
「よし、とにかく先を急ごう」
そうは思ったものの、向こう側の扉から軋み音がしたような気がしました。
ぼくは、警戒するあまりに、事務所の入り口扉を少しだけ開けた状態で佇んでいました。
しかし、数分待ったところで、壁掛け時計の秒針の音がするだけで、何の変化もありませんでした。
それならばと、ぼくは慎重かつ速やかに先に進もうと思いました。
ただ、事務所の入り口から2、3歩進んだ所で胸騒ぎがしました。
「この先には、高い確率で誰かがいそうな気がする…」
「出くわしてしまうと面倒だから、事務机の下に隠れてやり過ごすしかないかな…」
先に行くのを躊躇っていると、ぼくの左側からグレーのスーツで黒縁の眼鏡を掛けた女性が、音もなく近付いて来ました。
その女性は、忍者の様に気配を殺していたので、すぐ近くに来る迄全く気が付きませんでした。
ぼくは、ドキっとしました。
「ヤバい…、見付かった」
「よくよく考えれば、未施錠なのに人がいない訳ないよな…」
ただ、その女性もぼくの事を相当警戒していたに違いありません。
ですが、態々ここまで出向いたのは、彼女の正義感によるものなのでしょう。
「仕方がない…、さっさと謝罪して道に迷ったと言ってやり過ごそう」
ぼくは、深々と頭を下げて謝罪しました。
剛史「申し訳ございません」
剛史「この辺りに不馴れなもので、迷い込んでしまいました」
剛史「どうか、通報だけはご勘弁下さい」
そんな事を言ったところで、問答無用で通報されるだろうと思っていました。
恐らくは、数分以内に警官か警備員に取り押さえられる事になるのでしょう。
ところが、その女性はぼくを咎めもせずに、こんな事を言ってきました。
「あら~、こんな所で何をしてるの?」
「あっ、分かったわ!私に会いに来てくれたんでしょう!」
ぼくは、動揺しながらもこんな事を思っていました。
「えっ?何を言ってるんだこの人は…」
「こんな所に知り合いなんていないのに…」
「早く人違いだって説明しないと…」
「でも、怒っていないみたいだから、交渉の余地はあるんじゃないかな?」
彼女が、危害を加えてきそうな気配が無かったので、ぼくは恐る恐る顔を上げました。
「あの、人違いではありませんか?」
そう、言い掛けたところで、ハッと息を飲み込みました。
ぼくは、彼女の顔を見るなり酷く狼狽しました…。
驚いたことに、そこにいたのは、先日のお見合いパーティーで会ったばかりの女性だったのです。
「確か、渋谷のパーティーにいた人だよな」
「さっきから、どうも聞き覚えのある声だと思っていたけど、こんな所で再会するとは」
彼女は、ぼくと目が合うと、にっこりと微笑みました。
剛史「あの…、貴女がどうしてここに…」
「どうしてって、貴方から会いに来てくれたんでしょう?」
剛史「いえ、それは誤解です」
剛史「ぼくは、偶々このビルに迷い込んだだけなんですよ」
「ふ~ん、そうなんだ~」
剛史「だから、疚しい事は何も…」
「で、私がそんな話を信じると思うの?」
剛史「でも、本当の事なんですよ」
「恥ずかしいからって、本心を隠さなくてもいいのよ」
剛史「別に、隠している訳じゃ…」
「貴方は私の愛が欲しかったのよね?」
剛史「ぼくが、貴女の事を慕っているって言うんですか?」
「そうよ、何を隠そう私も同じ気持ちなの」
「今、貴方が私の目の前にいるって事は、そういう認識で間違いないかしら?」
剛史「う~ん、何を言ってるんだか…」
剛史「あ、もしかして、昨日の仕返しって事ですか?」
「嫌だわ~、私は貴方の事をこんなにも思っているのに」
剛史「でも、僕達の仲は何も進展しなかったですよね?」
「そんな事はないわ!私と貴方は近いうちに会う約束をしていたじゃない」
剛史「約束?さあ、何の事やら…」
「でもね、それは貴方と私の2人じゃなかったわね」
「貴方達と私達が、3対3でお酒を嗜む約束だったわよね」
「忘れたとは言わせないわ」
剛史「要は、6人で合コンをする約束になっているんですか?」
「早い話そうね」
剛史「因みに、合コンの幹事は誰がやっているんですか?」
「誰だと思う?」
剛史「もしかして、貴女が幹事をしているとか」
「違うわ、幹事は貴方に決まっているじゃないの!」
剛史「ぼ、ぼくはそんな…」
「そうだわ!今日会えたのも何かの縁だと思わない?」
剛史「まあ、驚きはしましたけど…」
「だったら、これから私とデートしませんか?」
「ここから、代々木公園を経由して原宿まで歩きませんか?」
「それと、原宿に着いたら一緒にクレープを食べましょうよ」
剛史「申し訳ないですが、今はそんな気分じゃないんです」
「いいじゃないのよ~、そんなに時間は取らせないから」
剛史「でも、いきなりデートだなんて…」
「そう、それなら、この辺を散策するだけでもいいわ」
「合コン会場の下見って事なら付き合ってくれるわよね?」
剛史「いえ、ぼくはいち早くこの建物から抜け出したいだけなんです!」
「心配しないで、帰り道なら私が保証してあげるから」
剛史「いえ、結構です!」
「まあまあ、そんなに怒らないで下さいよ~」
剛史「ぼくは至って普通です」
「あのね、悪いようにはしないから、少しだけお時間を下さらない?」
「貴方と大事なお話がしたいの」
「だから、この辺にある椅子に座って落ち付きましょうよ」
剛史「いいえ、そういう訳にはいかないんです!」
剛史「出口の目星ならついているんで、お気遣いなく!」
「へ~、何でそんな事が分かるんですか?」
剛史「それは、以前にもここに来たからですよ」
「それは意外だったわ」
剛史「帰り道の案内を盾にしたって無意味ですんで!」
「な~んだ、だからそんなに強気なんだ」
剛史「この先の扉から、どんつき迄行けば非常口があるのは分かっていますから!」
「うん、確かに貴方の言う通りだわ」
「でも、非常階段が危険なのは以前のままよ!」
剛史「そんなの、行ってみないと分からないじゃないですか!」
「そう…、そこまで言うのなら行ってみなさいよ」
「以前、貴方がここに来た時は、非常階段から地上に下りられた訳?」
剛史「そ、それは…」
「そんなの無理だわ!」
「あんな所に1歩でも踏み入れたら、階段ごと落下してしまうわ!」
剛史「それでも、ぼくに残された道はそれしかないんです!」
「待って!エレベーターの鍵なら私が持っているわ!」(エレベーターの鍵を見せる)
「この後、ちょっとだけでもお茶をしてくれたら、エレベーターを操作してあげてもいいわよ」
剛史「いいえ、ぼくは貴女の恩は受けませんから!」
「そう…、それは残念だわ」
剛史「やっと、分かってくれましたか」
「じゃあ、お好きにしたら~」
剛史「では、そうさせて頂きます」
「私は止めないからね」
剛史「大丈夫ですよ、それではこれで失礼します」
「ちょっと待ってよ!」
剛史「まだ何か?」
「ひょっとして、貴方まだ私の事が分からないの?」
剛史「それくらい分かりますよ」
「そんな事を言っても、怪しいものだわ」
剛史「見損なわないで下さいよ、その証拠に名前だって覚えていますから」
「じゃあ、私の名前を言ってみなさいよ」
剛史「名前を当てたら通らせてもらえますか?」
「いいわ、貴方の提案に乗るわ!」
剛史「渋谷のパーティーで最後に話した方ですよね?」
「さ~あ、どうだったかしらね」
剛史「それじゃあ、言いますね」
「どうぞ」
剛史「貴女の名前は、佐原由花理さんですよね?」(ここからは、グレーのスーツの女性を由花理さんと表記します)
由花理「表向きは正解だわ」
剛史「よっし!」
由花理「でも、本当の名前は不正解だわ」
剛史「いやいや、正解に表も裏もないでしょう」
由花理「そう…、だったらこうしたらどうかしら」
由花理さんは、眉間に皺を寄せながら真横を向くと、黒縁の眼鏡を床に投げ捨てました。
すると、横向きとはいえ由花理さんの顔の輪郭が細っそりしたような気がしました。
「ははは…、まさかそんな事はね…」
「どうせ、よくある見間違えなんだろう」
そんな事を思っていると、由花理さんはゆっくりとぼくの正面に向き直りました。
剛史「えっ、何で…」
ぼくは、彼女の顔を見てしどろもどろになりました…。
剛史「まさか、そんな…」
ぼくは、息を吞んでから、せわしく瞬きをしました…。
ぶったまげたことに、ぼくの目の前にいたのは由花理さんではありませんでした。
そこにいたのは、以前の夢の中で合コンの約束をした木元燿さんだったのです。
ぼくは、驚きのあまり両腕に力が入らなくなってしまいました…。(ここからは、姿を変えた由花理さんを耀さんと表記します)
耀「どうしてなの?」
耀「何で、貴方は絵美佳さんの言う通りにしてくれなかったのよ!」
剛史「いや、それは…」
耀「こんな事になるなんて、思ってもみなかったわ」
耀さんは悲しそうな顔をするなり、ぼくの胸元に飛び込んできました。
そして、ぼくの右側の肩越しに顔を埋めながら、激しく抱き付いてきました。
燿さんの両手は冷たかったものの、胸元は生暖かい感じでした。
ぼくは、今までの人生の中で女性から抱き付かれるような経験はありませんでした。
メロドラマのシーンならば、男性側も追随して抱きしめる展開になるのでしょう、
ただ、思いもよらずいきなり抱き付かれたもんだから、感情が追い付いていきませんでした。
当然、ぼくは受け身なんて取れませんでした。
ぼくは、彼女を抱えたまま力なく後退しました。
そして、ふらつきながら後ろ側にあったロッカーに、後頭部を打ち付けてしまいました…。
「ガーン!ゴゴーン!」
「う、ううう…」
ぼくは、ロッカーに凭れ掛かった状態で、何とか直立していました。
予想外の展開が続き過ぎたので、ぼくの頭の中は混乱していました。
耀さんは、熱い吐息を漏らしながら、ぼくの首筋に顔を埋めてきました。
そして、人目に付きやすい場所にキスマークを付けようと、唇で強く吸ってきたのです。
ぼくは、耀さんのムンムンとしたお色気で、頭がクラクラしてきました。
激しく抱擁された時だけは嬉しい気持ちもありましたが、段々と苦しくなってきたので、手を離してもらうように懇願しました。
剛史「ううっ、苦しいです…」
剛史「早くこの手を離して下さい…」
剛史「お願いですから…」
しかし、燿さんの手が離れる事はありませんでした…。
剛史「あの、燿さん…」
剛史「あれっ、由花理さんでしたっけ?」
そうこうしているうちに、ぼくの胸元に抱き付いている女性が、燿さんか由花理さんなのかが分からなくなってしまいました。
それもその筈、由花理さんが眼鏡を外してからの展開についていけなかったからです。
それに、彼女自身が完全に燿さんに変化したものの、話し声に違和感があったのです。
ぼくは、耀さんが次に発する言葉を待つ事にしました。
耀「私は耀よ、間違わないでよね!」
その声を聞いて、ぼくは違和感の存在に気が付きました。
話し声が、由花理さんそのものだったからです。
意識が薄らいでくる中、ぼくは激しく混同しました…。
夢の中の由花理さんには恨みはないけど、現実の由花理さんとは完全に切れたんだよな…。
彼女の事は興味が無い訳じゃないけど、下手げに手を出して深みにはまってしまったら、目も当てられないじゃないか。
それに、こんな所で足止めを食らっている場合じゃないんだよな…。
剛史「や、やめろー、お前とはもう終わったんだ!」
ぼくは、自分自身を奮い立たせ、全身全霊でそう叫びました。
そして、燿さんの腕を乱暴に振り解くと、力一杯突き飛ばしました。
燿「キャッ!」
「ドン、バッターン!」(床に倒れた音)
燿「ギャアァァァー!」
燿さんは、床に転倒したまま悶絶していました。
ただ、不思議な事に、そんな彼女を見ても可愛そうだと思う気持ちが、これっぽっちもありませんでした。
何故なら、ぼくの思考回路の中には、ただただ向こう側の扉から脱出したいという事しか頭に無かったからでした。
通路の真ん中で、蹲っている耀さんをチラっと見ながら、
「多分、すぐには起き上がってこないだろう」
「よし、今のうちに通ってしまおう!」
そう思っていると、事務所の奥側から濃紺のスーツを着た女性がこちら側に近付いて来ました。
それは、紛れもなく絵美佳さんでした。
彼女の姿を見ただけで、かなりの圧を感じました。
ぼくは、全身に悪寒が走りました。
絵美佳「あ~ら、こんにちは!」
絵美佳「また、お会いしましたわね、フフフッ」
剛史「あ、あああ…」
絵美佳「何だぁ、燿でもダメだったのね、フフフッ」
絵美佳さんがそう言うと、耀さんはゆっくりと顔を上げました。
燿「そ、それは…、余りにも時間が無かったので…」
絵美佳「そんなの、あんたが私の言う通りにしなかったからだろうがぁー!」
燿「もっ、申し訳ありません…」
絵美佳「ふ~ん、それで燿は剛史さんのプロフィールシートに携帯番号を書かなかったの?」
燿「書いたわ!」
絵美佳「だったら、何でこんな事になっている訳~?」
燿「うっ、それは…」
絵美佳「一体どういう事かしら?、フフフッ」
耀「でも…、表に書くのは恥ずかしいから裏に書いたわ」
絵美佳「はぁ?何で裏なのよ!」
燿「だって、他の女の子は誰も携帯の番号なんか書いていなかったから…」
絵美佳「言い訳をするなんて見苦しいわ!」
絵美佳「結局、私の目論見は外れたって事ね」
燿「そんな事はないわ!これは何かの間違いよ…」
絵美佳「結果が出なければ同じ事よ!」
絵美佳「だいたい、耀は服のチョイスが間違っていたのよ!」
耀「男性受けはしていたわ!」
絵美佳「結果的には、関係ない男ばかり寄って来ただけじゃない!」
耀「そんなぁ、私だって頑張ったのに…」
絵美佳「あんたさぁ~、そこまで言うなら、最終投票で剛史さんの番号を書いたのよね?」
耀「いえ…、あんまり話せなかったから、書いても無駄かなと思って…」
絵美佳「書かなかったのね」
耀「はい…、だけど、裏面に気付いてくれるものだと思っていたの」
絵美佳「裏面に何か秘策でも?」
耀「それなのよ!女性の間では気に入った男性には裏面にメッセージを書くのが流行っていたのよ」
耀「だから、会場では裏面に気付かなくても、後で見返した時にサプライズになるかと思って…」
絵美佳「それが、空振りに終わった訳ね…」
耀「残念ながら…」
絵美佳「パーティーが終了してから、彼を追いかけてアタックしなかったの?」
耀「それが、剛史さんのお友達がカップルになっちゃったから、話し掛ける隙が無かったのよ…」
絵美佳「はあぁぁ~、うまくいかないものね」
耀「ごめんなさい…」
絵美佳「もう、燿は下がっていいわ、フフフッ」
燿「うっ、ううう…」
燿さんは、返答が終わるとガクっと項垂れました。
そして、事務所の奥に向かって、這うようにして進んでいきました。
絵美佳さんは、耀さんの無様な格好を覆い隠すようにして前に出ました。
そして、仁王立ちになってぼくを睨み据えました。
絵美佳「ねえ、貴方は何で私のアドバイスを聞いてくれなかったの?」
剛史「ご、ごめんなさーい!」
ぼくは、脅えながら答えました。
「何とかして早く逃げないと…」
ぼくは、後ずさりをしながら事務所の入り口をチラッと見ました。
ダッシュをすれば、逃げられない距離ではありませんでした。
ぼくは、うまく隙をついて逃げ出そうと考えました。
とりあえず、怪しまれないようにする為に、一旦絵美佳さんと向き合う事にしました。
ところが、絵美佳さんは鬼の様な形相になり、怒号を飛ばしました。
絵美佳「よ、よくも耀を投げ飛ばしてくれたな!」
絵美佳「私の可愛い部下だっていうのに!」
剛史「ひぃいいい~、ごめんなさ~い」
絵美佳「だから、てめえはずーっとモテねぇんだよ!」
絵美佳さんは、身振り手振りを加えながら、物凄い迫力で怒鳴り散らしてきました。
ぼくは、堪らず尻もちをついてしまいました…。
絵美佳「ねえ、どうかしら?」
剛史「何がでしょうか…」
絵美佳「次は、向こう側の世界で私と会う気はないかしら、フフフッ」
剛史「そ、それは…」
絵美佳「私以外の女は、向こう側の世界では違う顔になっちゃうのよね」
剛史「えっ…」
絵美佳「だから、どんなに耀が頑張っても、同じ姿では会えないのよ」
絵美佳「あの子にしては、策略を巡らせたみたいだけどね、フフフッ」
剛史「そんな事が…」
絵美佳「だ・か・ら、燿にも気付かなかったんでしょ、フフフッ」
ぼくは、恐怖で手が震えました。
「やっぱり、あの時交差点にいたのは絵美佳さんだったんだ…」
「それに、また会えないかだって?」
「いやいや、冗談じゃないよ…」
ぼくは、勢いよく立ち上がると同時に、事務机の上にある書類やら文房具を絵美佳さんの前方に散撒きました。
更には、近くにあったキャスター付きの椅子を、2脚ばかりすっ倒しました。
そんな事をしたところで、絵美佳さんを足止め出来る訳ではありませんでしたが、やらないよりかはマシでした。
ぼくは、急いで身体を反転させて、事務所の入り口に向かって走りました。
そして、入り口扉を荒っぽく開けると、エレベーターホールへ向かって全力疾走しました。
その時、足元に落ちていた四角張った石を拾い上げました。
「クソっ…、武器になりそうな物はこれだけか」
「でも、無いよりはマシか…」
「あの女が飛び掛かって来たら、この石で反撃してやる!」
ぼくは、息を切らせながらそんな事を思っていました。
程なくして、目的の場所に着いたものの、相変わらずエレベーターがどう動くかどうかは未知数でした。
その時です。
下向きのホールランタンが点灯し、エレベーターが動き始めたのです。
ぼくは、このチャンスに賭ける事にしました。
「こうしちゃいられない」
「急いで停止させないと!」
ぼくは、このチャンスを逃してなるものかと、下向きのホールボタンを強めに押しました。
「よし!上手くいけば乗り込めるかも知れない」
「確か、このビルは7階建てだったよな」
「という事は、籠があるのは7階より下って事か」
ぼくは、下向きのボタンを連打しました。
剛史「早くっ、早く開けよっ!」
焦りが募るばかりでしたが、一向に扉が開かないのです…。
向こう側を見ると、長傘を持った絵美佳さんが、じりじりと近付いて来ました。
ぼくは、絵美佳さんの足元に向かって、ゴツゴツとした石を投げ付けました。
しかしながら、大きく左に逸れてしまいました…。
絵美佳「反撃はそれでお終い?フフフッ」
剛史「ク、クソが~」
絵美佳「フっ、逃げても無駄よ!」
絵美佳「貴方は私と一緒になるのよ、向こう側の世界でね、フフフッ」
剛史「や、やめろぉぉぉぉーーー!」
「キンコーン」
その直後、エレベーターの到着音がしました。
ぼくは、瞬時に背後を見ました。
その隙に、絵美佳さんが一気に間合いを詰めてきました。
絵美佳「さーあ、捕まえたわよ!」
絵美佳さんは爪を立てながら、ぼくの左肩を力強く引き寄せました。
ぼくは、差し当たり絵美佳さんに捕まったフリをしました。
ただ、絵美佳さんに従うつもりは毛頭ありませんでした。
この場面で一番重要なのは、何としてでもエレベーターに乗り込む事でした。
それが、絵美佳さん諸共乗り込む事になっても、1階にさえ着いてしまえば逃げられなくもないからです。
しかしながら、絵美佳さんがこれまで以上に強い力で爪を立ててきたので、ぼくは首を竦めたまま歯を食いしばりました。
「シュウゥゥーー」
もうダメかと思ったタイミングで、エレベーターの扉が開き始めました。
ぼくは、エレベーターのドアが人が通れる幅になる迄じっと待ちました。
「よし、今だ!」
ぼくの左肩は、絵美佳さんに掴まれたままでしたが、そんな事はお構いなしに籠内に飛び乗りました。
その拍子に、絵美佳さんの手を振り解く事が出来たので、予期せずにぼくは解放されました。
「助かった~」
そう思ったのも束の間、更なる試練が訪れたのです。
あろうことか、エレベーターの籠内には床面が無かったのです。
藻掻きながらも、籠の壁面にへばり付こうとしましたが、敢え無く弾き返されました。
ぼくは、真っ逆さまに暗闇の深くに落ちて行きました。
「ああああぁぁぁぁーーー」
足をバタバタさせましたが、現状は何も変わりませんでした。
「ヤバい、このままだとエレベーターピットに激突するっ!」
そう自覚した瞬間、ぼくは勢いよく底部に打ち付けられました…。
「ザッパーーーーン!」
硬い床面だと思いきや、何故かエレベーターピット内には大量の水が溜まっていたのです。
「プーー、うわっぷっ」(水面から顔を出す)
「あれっ?これは…」
ぼくが、呆気に取られていると、上の方からチラチラと光が照らされました。
絵美佳「どうやら助かったみたいね、フフフッ」
絵美佳さんは、ぼくの顔面に懐中電灯の光を当てながらニタニタと笑っていました。
剛史「ふん、どうせこっちまで来れないだろ!」
剛史「ざまあみやがれ!」
絵美佳「あら、そんな大口叩いているのも今のうちよ」
絵美佳「今から私もそっちに行くから」
剛史「バ、バカな…」
絵美佳「だから、少しだけ待っててね、フフフッ」
剛史「や、やめろーーー!」
絵美佳「ふん、私達は暗闇の中で一緒になるのも悪くないわね」
剛史「く、来るなぁーーーーーー!」
ぼくは、身の毛が弥立つ恐ろしい思いをしました。
絵美佳「貴方が逃げるからこんな事になっているんでしょ!」
絵美佳「今度こそ逃がしはしないわ!」
絵美佳「そ~れ!」
絵美佳さんは、5階エレベーターホールから迷う事なく飛び込んだのです。
剛史「うわああああぁぁぁぁーーー!」
絵美佳さんは、みるみるうちにぼくの頭上に迫ってきました。
「ザッパーーン!」
絵美佳「ゴッホ、ゲッホゲッホ…」(水面から顔を出す)
絵美佳「驚いたかぁー!」
絵美佳「あんたが何処に逃げようが、私は何度も何度も追い回してやるーーー!」
剛史「い、嫌だーーーー!」
ぼくは、とうとう逃げ場がなくなりパニックになりました。
そこで、無駄な抵抗だとは思いましたが、溜まりの中に潜り込んだのです。
しかし、何故かぼくの体はすぐに浮き上がってしまうのです…。
剛史「クソが、何てこった!」
絵美佳「フフフッ、そんなに潜りたいなら私が重りになってあげるわ」
絵美佳さんは、ぼくの頭を抱き抱えると、緩やかに溜まり水の中へ押し倒しました。
「もうダメか…」
何もかも諦めかけたその時に、水の中にいるのにもかかわらず、息苦しくない事に気がついたのです。
「な~んだ、これって夢だったのか…」
ぼくは、ダウトの要素を見付けた為、これが夢である事を悟りました。
剛史「ふー、危うく騙されるところだったよ!」
剛史「もう、お前なんか怖くないんだからな」
剛史「この悪霊め!さっさと消えやがれ!」
絵美佳「クっ…、今回はこれまでか…」
絵美佳は、悔しそうにそう言うと、エレベーターピットに溜まっていた水と共に姿を眩ましました。
「もう、2度と出てくんなよ!」
夢の中のぼくは、力強くガッツポーズをしました。
しかし、実物のぼくは心中穏やかではありませんでした。
悪夢の幕切れの際に、強いストレスを感じたので、ぼくの全身には絶え間なく力が入っていたのでした。




