009「闘争本能の目覚め」
「何言ってんの、正気!?」
「……」
小鉄はセツナの問いに答えず、腰に下げた鉈を抜き出した。それを左手に持ち、右腕につけた腕甲を前に突き出して構える。
「ヴェロキィを食う化け物か……おっかねえな」
「ちょっとコテツ!」
「セツナ、最初の牽制を撃ったら後は任せてくれ。逃げる準備はしておけよ」
「コテツってば!」
苦労してようやく勝った相手を一瞬で屠る怪物。そんなものを相手にして、どうしてそんな感情が湧き出るのか、小鉄自身にも分からなかった。
今でも逃げ出したい気持ちは強い。なんなら、セツナを見捨ててでも駆け出したい衝動にも駆られる。
だが。
そんな“人間としての感情”を上回る衝動が、彼の全身を駆け巡っていた。
――こいつと、殺り合いたい。
自分がこの異世界で、どこまで通用するのか。
自分の命は、この世界ではどれほどの価値があるのか。
それを試す相手としては、まだ見ぬ強敵ヒィグは、うってつけの相手にも感じられた。
「……ゴォフ」
「……来るぞ」
「もう、知らないからね!」
そう言い捨てたセツナは、小鉄から少し離れた位置でクロスボウを構えた。
「鏃には毒塗ってあるけど、期待はしないでよね!」
――ゴォフ。……ゴォォオオオオオッ!!!!
岩の向こう側の雄叫びが一際大きくなった。次の瞬間。
ガゴォォォオオオッ!!!!
暴力的な破壊音と共に、真っ二つに割れた岩の向こうに、さらに巨大な黒い影が見えた。
「でけぇ……」
身の丈は恐らく3メートル近い。仮に頭が弱点だったとして、そう簡単に届きすらしない。
「……っ」
「コテツ! ちょっとコテツ!」
「! っといけねえ、呑まれかけてた」
「だから逃げてって……!」
「もう大丈夫だ! 踏み出してきたら足を狙って一発だ!」
「んもうっ!!」
ヒィグの視線が小鉄を捉えたらしい。その瞬間の顔は、新しい獲物を見つけ、歓喜に歪んでいるように小鉄には見えた。
「ゴホォォ……」
「……なるほど、こいつぁやべえ」
鉈を握る左手に力が入る。前に顔を覆うように構えた右手にも、筋肉の筋が浮き上がっていた。
真っ黒な剛毛に覆われた筋肉の塊。
それは彼の想像通り、元の世界の羆に良く似ていた。違うところといえば、その下顎から上に向いて大きく伸びる牙くらいである。
「牙に気をつけて! 大木も一撃で掘り抜くよ!」
「ブルドーザーだな、まるで。……来るかっ!」
ヒィグが、割れた岩に手をかける。ぐい、と岩を押しのけるように、その巨体を小鉄に向かって動かし始めていた。
「まだだ、まだ撃つな! 引きつけて、一歩踏み出したところに……撃てっ!」
「いっけえっ!!」
バシュ!
クロスボウの矢がヒィグの足元に飛ぶ。それは狙い通り、右足の甲に突き刺さった。
「ゴォウ!」
刺さった矢に目を向けるヒィグ。その隙に、小鉄は巨熊の左側に回り込んだ。
と同時に、腕盾を装着した右腕で、ヒィグの脇腹あたりを殴りつけた。
「おらああっ!」
ドム、と鈍い音がする。が、それでヒィグにダメージを受けた様子はない。
「くそ、タイヤぶん殴ったみてえだ」
ヒィグの後ろで距離を取った小鉄は、右腕をぶんぶんと振った。
「ちっくしょ、肩まで痺れてやがる……」
「コテツ! 前!」
「やべえっ!」
セツナの声で、小鉄は横に飛んだ。その直後、今の今まで小鉄がいた場所に、丸太のようなヒィグの腕が、低い風切り音を唸らせた。
「早まったかなぁ……」
小鉄はそう呟くも、その瞳は爛々と輝き、口角はつりあがっていた。
心臓は飛び出すかという程バクバクと音を鳴らし、肺はこれまでにないくらい大きく動いている。手足の震えは止まらず、今にもちびってしまいそうだ。
比喩ではなく、野生の巨大な獣に、自分の命を晒している。
それを感じた小鉄は、自分の無謀を後悔し、絶望し、そして歓喜した。
「……やっべぇ」
身体を大きく沈み込ませ、右拳を地面に突き立てる。左に持つ鉈の感触を確かめるように強く握り、小鉄は肺の空気を、咆哮と共に吐き出した。
「滾るじゃねえか、熊公っ!!!!」
――――
セツナは、初撃を入れた後、少し離れた場所に移動していた。射手にとって、攻撃した場所に居続けるのは自殺行為だ。それを充分に理解している彼女には、それは当たり前の行動だった。
ニ撃目の矢を用意する。さっきと同じ、神経毒を鏃に塗ったものだ。よほど上手く急所に当たらないと致命傷にはならないが、それでも相手の動きを制限することは出来るはずだった。事実、撃たれた右脚を、ヒィグは上手く動かせない様子だった。
「……でも、きついよね」
セツナは、この後小鉄がどうなるのかを予想した。それは、最悪の結果と同義である。歯が立たないだけでなく、掴まって嬲られ、無惨に食い散らかされる可能性すらあると踏んでいた。
小鉄を信頼していないわけではない。だとしたら一も二もなく、村へと全力疾走しているだろう。実際、ヴェロキィを吹き飛ばした腕力といい、その後の冷徹なまでの鉈使いといい、もしかしたらという思いがないわけではない。
だが、それでも。
今の小鉄の装備では、ヒィグを相手にするには分が悪すぎる、とセツナは考えていた。
「おじいちゃん、呼んだ方が良かったかな……。ううん、でも」
それじゃあ間に合わない、と彼女は考えた。ならば自分に出来ることは、少しでも彼の助けになる様、いつでも援護射撃をすることだけだ。
「……っと、その前に」
何かを思い出したのか、彼女は自分のベルトの後ろにくくりつけてあった、やけに口径の大きいピストルを抜き出した。そこにジャケットに下げた小さな袋から取り出した、暗赤色の丸い弾をこめる。
携帯用の信号弾である。
「……気づいてよね」
そう呟き、セツナは銃口を空に向けて撃った。
ぼひゅんという頼りなさげな音と共に、強敵遭遇を意味する、赤い信号弾が打ち上がる。
「気づいてくれればなんとかなる。気づかなければ……」
セツナは再びクロスボウを抱え、ヒィグと小鉄が戦っている方を向いた。
ヒットアンドアウェイで攻撃を仕掛ける小鉄。
それを受けながらも強引に反撃するヒィグ。
ぱっと見は大きな怪我があるようには見えないが、一撃の重さが違う。
ヒィグの攻撃を避ける小鉄の動きには、見た目以上の疲弊が感じられた。
回避に、必要以上に神経を使っているからだろう。
「コテツ……!」
クロスボウを抱えて、セツナが疾る。
「気づかなかったら、後で骨二人分だよ、おじいちゃん!」
次回も戦闘、続きます!
これからも応援よろしくお願いしますーヽ(´▽`)/