008「英雄に生まれた感情」
「平和だな……」
ココノ村に戻る道すがら、小鉄はぼそっと呟いた。
この世界に来てまだ一日しか経っていないが、来た直後の“こっちの世界”の住人との出会い、元の世界では見たこともない恐竜のような生物、要塞のような村、そこで知った転移者の歴史。
それらをたった一日で体験し、知ることとなった彼にとって、この村への帰り道がこの世界で初めてといっていいくらい落ち着ける時間だった。
「平和、なんですかね……」
「ここが異世界って時点で平和も何もないと思いますけど」
松永と荒木が口々に異論を唱える。
が、小鉄の感覚は、彼らとはちょっと違っていた。
「異世界なぁ……」
「どうしたんですか?」
「いや。あのな、これは同意されないとは思うんだけどな」
小鉄の隣を歩く敏恵の問いに、彼は前置きをして話し始めた。ちなみに敏恵の荷物は、荒木と松永が分け合って運んでいる。
「そうだな……例えば、全然知らない土地に旅行に行くとする」
「はい」
「そこはまぁ国内でも海外でもいい。行ったことのない場所に、電車なり飛行機なりで行くと。で、その土地に踏み入れる一歩目な。そこは、自分にとって異世界みたいなもんじゃないか?」
「……はあ?」
「分かんねえよな。俺もここに来るまで感じたことはなかったし。ま、ぶっちゃけて言えば“こんなもんか”って思ってるってことだよ」
疑問の表情を浮かべる敏恵の後ろを歩く荷物持ち達は、小鉄の言葉を受けて呟いた。
「神経太い人だよなぁ……」
「会社でもそうでしたけどね」
「まぁ、どこに行っても変わらない人ってのは安心感ハンパないけどな」
「ですな」
「それにしても松永」
「はあ」
「お前、重くないの?」
「いえ、全然。俺の潜在能力なのかもしれませんね」
そう答えた松永の荷物は、荒木の持つ荷物の比ではない。段ボールを、180センチ近い松永の身体とほぼ同じくらいに積み上げ、ビニール紐で縛り上げたものを背中に背負って歩いている。その手には自分の荷物を鞄に下げていた。
荒木はと言えば、自分の荷物はもちろんだが、布のトートバッグに入れた数冊の本くらいのものだ。
「夜逃げする二宮金次郎みたいだな」とは、松永の恰好を見た小鉄の感想である。
「俺と似たような力なのかもな。だとしたら松永、お前もヴェロキィぶん殴って飛ばすくらい出来るかもしれんぞ」
「だとしてもやりたくはないですよ」
「あ、そうそう」
小鉄達が会話しているところ、道案内を兼ねて少し前を歩いているセツナが振り返る。
「村に着いたら、みんなそれぞれのチカラを、おじいちゃんが見てくれるって。それで、出来ることをお手伝いして欲しいんだってさ! 一度にこんな沢山、英雄さんが現れるなんて今までなかったから、村の発展が楽しみで仕方ないって言ってたよー」
「はぁ、まぁご厄介になる以上、俺らに出来ることがあれば手伝いますが」
「働かざるもの食うべからず! だもんね!」
「よく知ってるなぁ、そんな言葉」
「おじいちゃんが言ってたんだー。それも記録とかで読んだみたいだけど」
「文才のある英雄さんもいたのかな……」
和気あいあいとした空気が漂う。
そんな時、ふいにセツナが声を落として言った。
「……コテツ、なんかついてきてる」
「む」
「三人はこのまま気にせず歩いて行って。もう少しで村が見えてくるから。コテツはあたしに付き合って。……気のせいじゃないと思うのよね」
「了解した。じゃ、お前ら、後でな」
「先輩……」
「大丈夫だ、ちゃんと武装もしてる。時間稼いだら後を追う。焦ることはないが、足は止めるな」
「わ、分かりました」
三人を先に行かせ、小鉄とセツナは歩みを緩めていく。やがて二人が足を止める頃には、彼らの姿は豆粒ほどの距離にまで離れていた。
「……またヴェロキィか」
「うん。……でも、ちょっと雰囲気がちがうかも」
「どういうことだ?」
「あたしたちを追い込む感じじゃないんだよね。どっちかっていうと、ヴェロキィが追われてるような……」
「なんだって?」
小鉄の少し前で辺りを見回したセツナが、振り向いて手招きをしてきた。岩場に隠れようということらしい。
セツナに付いていき、大きな岩場の陰に隠れる。そこでセツナは、やにわに武器の準備を始めた。
「別の方向に行ってくれればいいけど……」
「ヴェロキィが追われるって、相手はどんなやつなんだ……」
「多分だけど、この辺りのボスかな。ヒィグっていうんだけど」
「ヒィグ……どんなんだ」
「茶色で毛むくじゃらで、顔はちょっと犬っぽいかな。手足が太くて、チカラがすんごい強いの。そんで、威嚇する時に立つんだよ」
「二本足でか?」
「うん」
「まるで熊だな……」
小鉄は自分の言葉にはっとした。
「熊……ヒィグ……まさか羆」
その時だった。
——ゴォァァアアアアア!!
「きた! やっぱりそうだ!」
「ギィヤアアア!」
「ヴェロキィもきた!?」
「こっちに逃げて来たのか!」
甲高いヴェロキィの鳴き声がものすごいスピードで近づいてくる。
そして、ドォン! という衝撃音と共に、彼らの隠れている岩が大きく揺れた。
「ギャッガッ!」
「ゴォフゥゥゥ……」
「コテツ! 離れて!」
セツナの声に、小鉄が後ろに飛びのいた。
「逃げて来たんじゃないよ……岩に叩きつけられたんだよ!」
「……みたいだな」
そう呟く小鉄の目の前で、それまで身を隠していた岩に、縦一文字に太い亀裂が入っている。
「バケモノすぎるだろ……」
——ギョォオゲェ……
——ガァルルルゴフッ
——ガッ、ギャッ、ギァァアアア!
ひびの入った岩の向こう側では、恐らく凄惨な殺戮行為が行われている。やがて甲高い悲鳴が短く聞こえたかと思うと、岩の頂点からヴェロキィの顔が逆さに現れた。
それはもはや断末魔の、苦悶と苦痛に満ちた顔に見えた。
「ぐっ……ぉえっ」
「大丈夫コテツ!?」
「あぁ……ちっとばかしにおいにやられた」
「……食ってるんだ、ヴェロキィを」
「ああ、だろうな。……今の隙に逃げるぞ」
「あ、だめ、今動いたら」
村に向かって走ろうとした小鉄をセツナが止める。
だが、それは少し遅かった。
——ゴォフ。
「やばい、こっちに意識が向いた……」
「獲物食ってるのにか?」
「飢えてる時のヒィグは、感知するもの全部を食いつくそうとするの!」
「先に言っといてくれ……」
岩の向こうから、小鉄達へ向けた殺意が伝わってくる。それはまだ転移して間もない彼にも、確実に伝わってくるほど強烈なものだった。
——ゴフ、ゴフ、ゴォォォ……
殺られる。
そう感じた時、小鉄の中に、何か熱いドロリとしたものが生まれていた。
「力溜めてやがるな」
「何とかしてやり過ごさないと……!」
「なぁ、セツナ」
「なに? こうなっちゃったら早く逃げないと……!」
もう間に合わないかもしれない、と言外に含みながら、セツナが小鉄を急かす。
だが、彼から出た言葉は、あまりにも無謀なものだった。
「あいつと俺、どっちが強いかな」
次回は戦闘回!
これからも応援よろしくお願いしますヾ(´▽`)ノ