002「謎の少女と恐竜もどき」
一瞬小鉄の脳裏に〝俺は何をしようとしてるんだ〟という思いがよぎる。
だがその思いはすぐに消え去り、後はただ、自分の視界に入る女性を助けることしか考えていなかった。
「全力で走れっ!」
「……! はいっ!」
小鉄の声に、少女の身体が前傾する。
――速えっ!
ぐんぐん近づいてくる少女に、小鉄は内心舌を巻いていた。その姿がみるみる近くなっていくにつれて、少女の結った髪が綺麗に揺らいでいるのが見えた。追いかけて来る恐竜もどきの牙が、今にもその髪に触れそうになっている。
――あと10メートル!
小鉄はストライドを大きく取り、幅跳びの要領で地面を思い切り踏み込んだ。身体を大きく沈め、上半身を深く右に捻る。
「走り抜けろ!」
「はいっ!」
小鉄と少女が交差する瞬間、小鉄は捻り込んだ身体を、右腕を伸ばしながら勢いよく跳ね上げた。
「うおらああっ!!」
狙いは、喉。
獲物にかぶりつこうと後脚で立ち上がった、その長い首のど真ん中に、小鉄の渾身の拳が突き刺さる。
「ギィィアアァゥエッ!!!!」
勢いよく飛び込んできたところに入ったカウンターで、恐竜もどきはそのまま、地面に向かってもんどり打って叩きつけられる。反射的に立ち上がるが、小鉄をひと睨みすると、来た方向に向かって逃げていった。
「すごい……」
「逃げてくれたか……?」
「どうしてあんなことが出来るの!? 素手でヴェロキィを殴り飛ばすなんて聞いたことがないわ……」
「知らん! 咄嗟に手が出ただけだ!」
小鉄自身、なぜ自分があんな、体長なら3メートルはあろうかという恐竜もどきに対して暴挙ともいえる行動をしたのか、説明が付けられないでいた。
——だが、今はそんな場合じゃない。
小鉄は恐竜もどきの走り去った方に目を凝らす。遥か彼方に似たようなシルエットが数体、小鉄達の方を向いているようだった。
「……あいつら、こっち狙ってねえか?」
「さっきのはヴェロキィの斥候よ! 今ので仕留め損なったら、数頭のグループで襲って来るの。知ってるでしょう?」
「いや、知らない。取りあえずあの建物まで逃げるぞ」
「建物……」
少女がビルの方を向き、首をかしげる。
「あんなのあったっけ……?」
「いいから、急げ!」
「あ、はいっ!」
少女を前に、小鉄は走り始めた。100メートルと離れてはいないが、どうやら命の危険が迫っていると肌で感じた彼には、1秒がもどかしい。
ビルの入り口にたどり着いた時、ヴェロキィが2体、ほんの20メートル先にまで近づいていた。
強化ガラスの扉を開け、少女を押し込むように中に入れる。同時に自身も身体を滑り込ませ、扉を中から全力で閉じた。
――自動ドアじゃなくてよかった。
いた頃は手動なのが煩わしいとさえ感じていたが、今となってはそれが功を奏していた。
エントランスでは敏恵をはじめ見知った顔が数人、その光景を呆然と眺めている。
「か、刈谷さん!?」
「山田! 俺の荷物開けろっ!」
「へ? ていうかあれ何、恐竜!?」
「いいから早く! そこに置いてるやつだ!」
「は、はいっ」
出入り口の脇には、小鉄の私物が入ったズダ袋が置いてあった。外に出る時、無意識に残していたものだ。
「中に鉈が入ってる!」
「なんで!?」
「撮影に使った私物だ! いいからよこせっ!」
「こんなの使った撮影しましたっけ……?」
敏恵はゴニョゴニョと呟きつつ、中から一振りの鉈を取り出した。刃渡り40cmはあろうか、もはや分厚い刀である。以前園芸関連の広告を作る時、道具の説明のために使おうとして持ち込み、そのままになっていたものだった。
「デカすぎて不採用になったけどな! 鞘から抜いて渡せっ!」
「はいっ!」
敏恵が鞘のスナップボタンを外し、鉈を抜き出した。刃がギラリと鈍く光る。
彼女が小鉄に鉈を手渡す。その時、もう目の前に迫ったヴェロキィと目が合ってしまった。
「ひ……!」
「助かる、あとは下がってろ! あとあんた!」
「あ、あたし?」
そうだ、と小鉄は少女に頷いて見せる。
「やれるか?」
「あ、はい! 何を?」
「牽制だ! 扉がいつまで保つかわからん!」
「了解!」
少女は手早く、持っている銃のようなものを構える。
銃のように見えたそれは、アサルトライフル程の大きさのボウガンだった。
それも、弓を十時に交差させた、クロスボウと呼ばれるタイプだ。
「ごついな……取り回し出来るのか?」
「これでも村では一番の射手です!」
「マジか、失礼した」
「いえ。……セツナです。あなたは?」
「刈谷小鉄だ。カリヤでもコテツでも好きに」
「コテツが言いやすいわ」
「ならそれで。……来るぞっ!」
ドアの外で力を溜めていたらしい一体のヴェロキィが、身体ごと突っ込んできた。
その勢いと大きさを見て、小鉄は咄嗟にドアから一歩下がる。
「ィギェァアアア!!」
ドォォオオオン!!
雄叫びと同時に、ドアを伝わって強烈な衝撃が小鉄を襲う。
「ぐぅっ!」
「コテツ!?」
「大丈夫だ! 次来たら出るぞ!」
「了解!」
ドアの向こうでは、二体目が既に身構えている。波状攻撃とは見た目よりだいぶ頭がいいな、と小鉄は感心した。
先程のような甲高い雄叫び。それに呼応した小鉄は、ドアの取っ手を掴み、今度はドアを思い切り引き開けた。
「ギアァア……ガッ!?」
ヴェロキィの巨大な頭がビルの中に突っ込んで来る。勢い余って滑り込むように倒れた恐竜もどきの鼻面を、小鉄は思い切り踏みつけた。
「おおおおッ!!」
そのまま、持っていた鉈を頭頂部に押し当て、渾身の力で押し込む。ぞぶ、ともずぶ、ともいう不快な感触と共に、鉈は小鉄の予想より楽に頭に入り込んだ。
ヴェロキィは大きくビクン! と身体を痙攣させると、そのまま動かなくなった。
「ナイスコテツ!」
「頭蓋骨がねえのかこいつ!?」
「ヴェロキィの頭骨は、真ん中で割れてるの。そこにそのショートソードが上手く入ったんだわ!」
「なるほど、ナイス偶然ってやつだな」
「それでも、あの分厚い頭皮を一撃で斬ってるのはびっくりなんだけどね!?」
「まさか、異世界チートってやつか……?」
「異世界?」
「それは後だ、次くるぞ!」
ここが元の世界ではないことは間違いがない。それについてたっぷり、驚愕と動揺を味わいたいところではあったが、今はそれどころではない。
——なんとかしねえと、落ち着いてびっくりも出来ねえ。
もはや矛盾に満ちた思考だったが、それでも小鉄は強引に、意識を目の前の出来事に集中させた。
——あと一体。ここからははっきり見えねえが、ドアの向こうから殺気立った生臭い空気が流れ込んでくる。力を溜めてやがるな……。
「セツナ」
「え、あ、はい!」
「あいつはこっちを食おうとしてるのか? それとも弄ぼうとしてるのか?」
「ヴェロキィに獲物を弄ぶ習性はないわ」
「……つまり、餌に仲間を殺されたってことか」
——なら、頭に血が上ってる。それでも力溜めてるってことは。
「……必殺の一撃か。だったら」
小鉄は鉈を両手で持ち、身体を大きく左にひねった。
「こっちも一発で仕留めてやるよ!!」
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