010「本能のままに」
「くっそ、このばけもの……っ」
戦闘が始まって数分。
小鉄は既に、相当消耗していた。
致命的な傷こそ付けられてはいないが、相手にも有効なダメージを与えられていない。
ヒィグの動きはそれほど速くはなく、また予備動作も大振りで、攻撃を避けること自体は難しくない。
問題は、その膨大なスタミナ、そして耐久力にあった。
小鉄は常に目まぐるしく、立ち止まることのないまま、前後左右上下と満遍なく攻撃を仕掛けている。多少の傷を付けることは出来る。だが、元々痛覚が鈍いのか、それでヒィグの動きが鈍ることはなかった。さらに、そのスピードもパワーも落ちた気配が全くない。
――焦るな。焦ったら終わる。
背中全面に冷や汗をかきながらも、小鉄は冷静だった。ゆえに、自分のスタミナが残り少ないこともまた、理解していた。
それでもなお、攻撃の手を休めようとしないのには、理由がある。
弱点を探しているのだ。
ヒィグというこの世界の猛獣は、その姿こそ羆に酷似してはいるが、決定的な違いが2つあった。
1つは姿勢である。二本足で立つとはいえ、熊は元々四足歩行だ。二足で立ち上がった際もその姿勢は前屈みで、直立とは言い難い。
だが、ヒィグの立ち姿は、完全に直立と言っていい。
もう1つは、スピードだ。
熊の全力疾走は、時速50キロを超えるという。その加速力も凄まじい。
だがヒィグは、二足歩行がゆえだろうか、動きはそんなに速くない。セツナの放った毒矢の影響も、恐らく小さくはないだろう。ちょこちょこと後ろに回るように攻撃を仕掛けていく小鉄のフットワークに、全く付いていけていない。
地道に攻撃を重ねていけば、どこかに弱点はあるだろうと考え、出来るだけ多くの部位に殴りかかるが、ヒィグは一向に怯んだ様子がなかった。
さらに、小鉄にとって大きな問題があった。
――顔面に攻撃が出来ねえ。
感覚気管の集中する顔は、まず一番最初に考えられる弱点である。さらに身体を左右に分ける中心――正中線――は、急所が集まっていることが多い。
ヒィグの顔は、小鉄の攻撃範囲の更に上にある。そこに辿り着く方法を見つけるか、または怪物の顔を下げるしか、ダメージを与える術はない。
小鉄は現状、その術を持っていなかった。
――手を緩めたらあの丸太みたいな腕で飛ばされる。かといってこの状態を抜けられるだけの急所が見つからねえ。どうする……。
一瞬、小鉄の動きが鈍った。そこにヒィグの腕が横から迫ってくる。
「やべっ!」
叫ぶと同時に、強引に身体を倒れ込ませる。間一髪、ヒィグの腕は小鉄の左肩を掠めていった。
そのままゴロゴロと地面を転がり、ヒィグが破壊した岩の一部にぶつかって止まる。
「ゴォオオアアア!!」
「……くそ、調子に乗りやがって」
息を整えながら、小鉄は間合いの外からヒィグを睨みつけた。だが、睨んだところで状況が良くなる訳ではない。
現状、あの怪物を倒すヒントすら見つかっていないのだ。
――なんとかあの姿勢を崩さなきゃならねえ。だが、膝も腰も脛も、何度仕掛けてもビクともしねえ。尻餅の一つもついてくれりゃあ、まだやりようはあるんだが……。
小鉄は正直、このまま走れば逃げ切れる気はしていた。だが、そうしたところで、問題の解決にはならない。ヒィグの足から毒が抜ければ、においなり足あとなりを追って、村にまで来かねない勢いである。そうなればどれほどの被害が出るか、想像もつかない。
――ここでやるしかねえんだよな、結局。
掠めただけのはずの左肩が酷く痛む。折れてはいないまでも、ヒビくらいは入っているだろう。
さらに、体力を相当消耗している。数分の攻防とはいえ、何の手がかりもないまま、動きっぱなし殴りっぱなしだったのだ。しかも、相手はヘビー級どころじゃない、文字通りの怪物である。
だが、それでも。
――俺の後ろには村がある。そこには、守らないといけない命がある。俺の命は俺が守る。誰かに守られるもんじゃねえ。……だったら。
そう開き直った小鉄の顔は、笑っていた。
「差し違えてでも、ぶち殺す」
小鉄は、自分がぶつかった岩の脆そうなところを掴み、力任せにむしり取った。そして大きく振りかぶって力を溜める。
「牽制くらいにはなるだろ……!」
渾身の力で投げた岩が飛んだ先は、さっきセツナが射抜いた右足、のすぐ近くだった。
岩は地面に当たり、そこでさらに細かく弾けて四方に散った。
小鉄は外したか、と舌打ちを打つ。が、ヒィグの反応は意外なものだった。
「ゴギャアアアッ!!」
「な、なんだ?」
ヒィグは大きく吼えた後、右足から倒れ込み、膝をついている。
「まさか、足が弱点……違う、あれは!」
あっけに取られていた小鉄が、ヒィグの足の変化を見つけていた。
「なるほど、最初の毒で神経がやられてたわけか。踵から血流してやがる。……待てよ、こいつベタ足なのか?」
それに気づいた時、彼の頭にひらめいたことがあった。
「……アキレス腱か!」
ヒィグの足が人間のように踵まで地面につける“ベタ足”ならば、アキレス腱の場所も自ずと分かる。そしてそこは、肉や脂肪の鎧のつきにくい場所でもあった。岩の破片がちょうど良く、怪物のアキレス腱に傷をつけたのだ。
「……ツラぁガラ空きだぜ熊公!」
膝に力を入れ、小鉄は真っ直ぐにヒィグの顔面を目掛けた。ぶつかる手前で右腕を振り上げ、走る勢いもそのままに、その鼻面に振り下ろす。
「おらああああっ!!」
……だが、それがヒィグに届くことはなかった。
小鉄は、ヒィグが無造作に振った腕に直撃し、そのまま10メートル近くも吹き飛んでいた。
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