第七章 ライブラ王国と天秤の上の少年少女 7話
コブラたちはなんだか気が抜けた。リコリスの話では逃げるようにアストラ神殿から飛び込んだと言うのに、市民は誰一人混乱もしておらず、ましてはコブラたちを捕らえようとする動きは見られなかった。
故にコブラたちは堂々と町を闊歩して神殿に向かうことが出来てしまい、なんだかそれが不気味に思えた。
「普通に歩けているな。なんか久々だわ。この感じ」
コブラは肩透かしを食らったような苦笑いをしながら溜息を吐いた。
「そうなのかい?」
リザベラが歩くのに疲れたといった様子でコブラの背中からよじ登り、彼の頭の上に乗った。
コブラは最初振りほどこうと身体を揺らすが、爪でたてられてはたまらないと仕方なく頭の上に乗せる。
「あぁ、なにかとゆっくり出来る時はなかったからな。ヴァル皇国の時も、キヨが攫われちまったから早急に冥界に行かなきゃいけなかったし」
「そうだったね。その件に関してはリリスが、ごめん」
「そこは気にしてねぇよ。まっ、そういう意味じゃあ数日ゆっくり出来たのはタウラスとキャンスくらいか。試練中に町をゆっくり眺めることなんか滅多になかった」
「そりゃもったいないねぇ。あたしらの頃からヤクモが異文化好きだったから、あたしが急かしてもまだ残るってうるさかったもんだからねぇ」
「ヤクモってキヨのお父さん?」
「あぁ、私の元相方さ」
リザベラはコブラの頭の上でぐでんと脱力しながら話した。
「あんたらの頃からこうだったのかい?」
コブラは頭上のリザベラに話す。
「そうだね。石灰で作られた真っ白な家ってのは昔のままさね。神殿も多くあったね。真っ白で、きれい好きな国って印象さ。森生活の長かった私にはなんとも居心地の悪い国だった。それは今も変わらんがね」
リザベラは街並みを見つめる。国の者たちも白を基調とした服を身に纏い、その髪は栗色が主であった。
「どうして、みんな騒がないんだろう。それに私たちって目立つだろうに」
リコリスは当たりをきょろきょろ見ながらコブラとリザベラに問いかける。
見慣れぬ金の髪の男、喋る猫、素足を晒した短いスカートに黄色い髪、彼らの白をより目立たせる黒のローブ。皆が不審がってもおかしくない三人である。
だと言うのに市民たちは全員が目が合えば笑顔であいさつを返してくれる。
その様子にリコリスは心地よさそうに返事をするが、リザベラはあまり好ましくないのか。ずんとコブラに体重を加える。
「猫が喋るのには流石に驚いてはいるみたいだけどな」
コブラはケラケラと笑う。リザベラは面倒だといった様子で何も言わずにふてくされている。
「リコリス。彼らは寛大であるわけではないさ」
リザベラが目を細めながら先にある神殿を見つめながら呟く。
「そうなの?」
「あぁ、彼らにとってこの神殿にいる神様、天使様が全てなのさ。『奇妙な者たち』が闊歩していたとしても『排除せよという神託』がないならば無害なものである。と判断しているのさ」
「もしその天使共が悪だったら?」
「さア? その時も彼らは天使を信じるんじゃないかい?」
リザベラの言葉が難しかったのか、横を歩いているリコリスは腕を組んでうーんと唸っている。
「そうだ。リザベラさんの時はいたの? リブラさんみたいな神子!」
リコリスが話題を切り替えるためにリザベラに問いかける。
「いや、私の頃はいなかったよ。テミスって天使が取り仕切っていた」
「あの大柄のおっさんか」
「いや、あたしの時は若い女性だったよ」
「はぁ? どういうことだよ」
「私も詳しくは知らないよ。まぁ、神子も含めてあの天使ってのは間違いなく、人間じゃない」
「ドラゴンとか、そういったものってこと?」
「あぁ。そうだね。ロロンなんかは星術でドラゴンの力を得るものだったが、千年も前には実在していたって話だ。そうじゃなきゃ、ロロンも、その前のドーラもあんな姿にはならない。なんだったらドーラは真正のドラゴンだった可能性だってある」
「天使様ね。なんともうさんくさい」
「お前のその目も大概胡散臭いけどね」
「うるさいな。欲しくてなってんじゃねぇ」
コブラは髪をかき分けて左目が隠した。通りかかる人々がまるで縁起物でも見たかのような声をあげて彼の目をじろじろと見てくるのも原因であった。
リブラと同じ、まるで宇宙を映したかのような目。
「やっぱりその目、特別なものなんじゃない?」
リコリスが嫌がるコブラから無理やり覗き込んで左目を見る。リコリスはそのきれいな左目をじっと見つめる。コブラはすぐに隠す。
「かもな。ここの民共が俺を見る――いや、俺の左目を見る目は王様だかなんだかの権力者を見る目と一緒だ」
コブラはあまりその目が好きではなかった。それが自分に向けられていると言うのはなんとも居心地が悪い。
「そうこう言っている間に、ついたよ」
リザベラがコブラの額を軽く叩く。コブラはそれに反応して見上げると、もう目の前には大きな神殿があった。
「ようこそおいでくださいました。コブラ様、いや、それは偽りの名でございましたか」
突然コブラたちの目の前が輝きだす。コブラたちの周りにいた民たちが感激の声をあげながら膝をつき、両手をぐっと握り、祈りの体勢に入った。
輝きだしたところからふわっと人が現れる。その背中にはまるで鳥のような白くて大きな羽を生やしていた。
「僕の名はシャマシュ。南の神殿へきていただき光栄です」
「御託はいい。俺らを神殿の中へ運べ。またこの長い階段上らせる気か」
「えぇ、そのためにお迎えに上がったのです。国民ながらこれも奉納と登らせるのですが、貴方たちは特別です」
そういってシャマシュがコブラの手を取る。
「そちらのお嬢さん。コブラ様の身体を掴んでください」
「えっ、あ。は、はい」
リコリスは少し恥ずかしそうにコブラの肩を掴んだ。
「では」
その直後、シャマシュの身体が光り出す。その光に思わずコブラは目を閉じる。
開くと、すでに建物内にいた。
「では、どうぞ。本堂へご案内します」
シャマシュは何事もなかったかのようにコブラの手を離し、彼らを誘導する。
「すっごい! これも星術ですか?」
「えぇ、まあ似たようなものです」
「だったらプロちゃんに教えてあげたいなぁ」
リコリスは興奮して何度も飛び跳ねていた。リザベラはコブラの頭上から飛び降りて神殿の中を観察している。
コブラはシャマシュの後頭部を睨みつけながら、彼に誘導されるままに歩く。
「お前たち天使様って言うのは何者なんだ?」
「僕らですか? 神と人を繋ぐ存在です。神、並びに神子を導き支え、そしてこのライブラ王国の民に信仰されるべき存在。我々の存在がライブラ王国の安寧に導いているのです」
「だが、あんたらは見たところ人間の身体のようだが?」
コブラが気になったのはそこであった。
先ほどリザベラが答えたテミスの存在からコブラは天使たちに疑問を抱いた点であった。
「そうですね。我々天使は空の存在。本来実体がないのです。故に好きな姿になれるのです。僕の場合は少年に身体を借りています」
コブラは苛立ちを覚えて眉を細める。シャマシュはそんなコブラの表情を見て申し訳なさそうに眉を下げた。
「コブラ様が抱く感情もわかります。ですが、これはこの少年の意志なのです」
シャマシュは己の胸をなでおろしながら答えた。
「着きました。コブラ様」
シャマシュが聖堂の扉を開く。そこには大きな女神の石造と、その前に不思議な紋章が刻まれていた。
「きれいな石造……」
リコリスが思わず感動の声を漏らす。
「これは?」
「我らがライブラ王国を建国した神アストラ様です。彼女は人間の善性を信じた神でありました。では、コブラ様、こちらの紋章に手を――」
差し出されるまま、コブラは石造の紋章に手を翳す。すると、紋章は光輝く。コブラはその様子に驚いた。リコリス、リザベラは警戒してコブラに駆け寄ろうとするも、光がそれを邪魔する。
「ではコブラ様。貴方は貴方の正義を貫いてください。僕から話せるのはそこまでです。ご武運を――」
シャマシュの声を聞き終えたコブラはそのまま光に包み込まれた。光が広がり、リコリスとリザベラが目を閉じる。
光が消えた時には、既にコブラの姿はなかった。リコリスは慌てて周りを見渡す。
「こ、コブラがいなくなっちゃった!」
「落ち着きなさいリコリス。きっと、試練が始まったのよ」
「えぇ。そちらの猫ちゃんはどっしりしていてすごいね」
「あんたとは違うのよガキ」
「酷いなぁ。僕もこの子の身体を借りてるだけで立派な大人なのに。とにかく、コブラ様が戻られるまで、同行者である貴方たちにはここで待っていただきますよ。紅茶でも入れましょうか?」
シャマシュが優しい声で問いかけた。リコリスとリザベラは頷いて聖堂の椅子に座る。二人の目はコブラを吸い込んでいったアストラ像をじっと見つめていた。
コブラが気が付くと、そこはオフィックス王国であった。
国を囲う大きな壁がある。間違いないだろうとコブラは溜息を吐く。
「またかよ。今日はやけに目にする光景だ」
コブラは当たりを観察する。そのために屋根を上る。
「貴様、何をしている!」
屋根に戻ってすぐ。騎士団に見つかる。コブラは久しぶりの感覚に思わずビクついて身体が止まるも、騎士の男が追うよりも先に足が動いて逃げることが出来た。
「ちっ!」
コブラは勢いよく屋根から降りる。
「下! 降りたぞ!」
屋根の上の男が叫ぶ。その声でコブラは周辺にまだ仲間がいることを理解して狭い路地を駆け回る。
「コラ! 待ちなさい!」
「くそっ! なんて素早さだ」
騎士たちを軽々と躱していくコブラ。脳内には自身に課せられた使命が何かを探るのに精いっぱいだった。
「団長! そちらへ向かいました!」
「誘導ご苦労!」
「はぁ!?」
コブラは駆けた先で一人の男が立ちはだかる。その男にコブラは驚いた。
見慣れた黒い髪の男が騎士の恰好でコブラの目の前にいる。身体の急所に防具をつけているのみの身軽な防具の彼は、コブラの腕を掴み、そのまま背に乗せて一気に地面に投げつけた。
この投げ方からコブラは目の前の男が自分の知っている男であることを実感する。
「何やっているんだよ……ヤマト」
コブラが舌打ちをするも、ヤマトは首を傾げている。
「私はお前のことなど知らん。とにかく不審な動きをしていたので捕らえさせてもらったぞ」
「流石は団長だ」
コブラを追っていた騎士たちが合流し、ヤマトを賞賛する声をあげる。
「ど、どういうことなんだ。これは――」
コブラは舌打ちをしながらヤマトを睨みつけた。
「自己紹介が遅れたな。我は、オフィックス王国近衛騎士団団長ヤマト=スタージュンだ。さぁ、来たまえ、これから事情を聞きましょう」
キリっとして、丁寧な口調のヤマトの表情は見慣れているはずなのに、初めてみるかのような異様な不気味さがあった――。