第7章 ライブラ王国と天秤の上の少年少女 18話
コブラは訝し気に目の前のリブラを睨みつけた。
彼女はそんなコブラに見つめられているのが嬉しいのが微笑んでいる。
「ここはどこだ?」
「ですから、特別な空間です」
「それはさっき聞いた。もっとちゃんと教えやがれ」
「この椅子だけなのが気にくわないのですか? でしたら」
リブラがパチンと指を鳴らす。すると、今度はボロい教会に変わる。自分とリブラが出会った場所だ。
「私も詳しくはわかりませんが、ここはこの眼を持ったものが作れる空間のようです。ですから、お兄様もここに」
リブラは椅子から立つことなく、コブラに対して語りかける。
風景は育った教会なのに、二人とも椅子に座ったままで、なんとも面妖な光景であった。
コブラは説明を聞いてもいまいち理解が出来ず、一度大きく溜息を吐いた。
「それで、何の用だ。お前が俺をここに連れてきたんだろう?」
「えぇ、もうすぐお兄様がまた会いにくると思うと、待ちきれなくて」
そういうとリブラはようやく椅子から立ち上がる。その直後に彼女が座っていた椅子が消える。
「さて、お兄様。四つの神殿を巡り、何を思いましたか? 私と共に、神になる覚悟はありますか?」
「そんな覚悟を背負わすような内容じゃなかっただろう」
「あら、そうなのですか?」
リブラは随分と陽気でその場でクルクルと舞い始めた。コブラはそれをいまだ警戒した表情で見つめている。
「逆に聞きたい。お前はなんで神になる」
「それは、私がこの両目を持つ神子だからです。私に親はいません。神が私を作ったのです」
「そんな奴いてたまるか」
「いいえ。いるのです。お兄様はこの試練。最初の質問で『コブラ』と名乗り、嘘をつきましたね? 大罪です。実は、私も試練を受けたのですよ。ここで神となるために」
コブラは黙ってリブラの次の言葉を待つ。
腹の中に煮えくり返るような感情が溢れてきて、手を強く握りしめる。
「私に名はない。と答えたのです。そしたら、それは嘘ではなかったのです。本当に私には名がなかったのです。自分も知らぬ間に誰かが名付けたこともない。私は神子として生きるために生まれた存在。それが『リブラ』なのです」
クルクルと舞うリブラがゆっくりと動きを止めてコブラに笑みを見せる。
「リブラと言うのは、神に上がるためにこの国で巫女を成すものの名です。かつてこの地に残った神アストラ様も、元の名はリブラでした。この名を持つ者は、神になるために存在するのです」
コブラが握っていた拳の力が強くなり、自分の手を爪がえぐっている。
「そして私と同じ眼を持つお兄様は、神になる素質があるのです。どうですか? 神になりませんか? 私と共に、この国の上、空の上へ――」
「黙れ」
コブラは、自分でもなぜここまで憤っているのか理解できなかった。
コブラの静かな怒声にリブラも言葉を止めた。
しかし、コブラもこの後、何を言って良いのか上手く頭で整理できていない。
「今のところ、お兄様に神になるつもりはないようですね。残念です。ならばこそ、ここで一度お兄様と二人で話したかったのです」
リブラは優しそうに微笑む。次は本当の笑みだとコブラは理解した。
リブラはそっとコブラの手を取った。コブラはゆっくりとリブラに手を掴まれて引っ張られる。
「踊ってくださる?」
引っ張られて強制的に立ち上がるコブラ。なぜかコブラが座っていた椅子は消えず。その椅子を囲むように踊る。リブラは踊るのが上手なのか、コブラは流されるままなのに、綺麗な踊りになっている。
楽しそうに笑うリブラの表情にコブラもだんだんおかしくなって警戒心が解けていき自然と笑ってしまう。
「昔はこうしてよく踊ってやったな」
「そうですね」
コブラの思い出話にリブラはほほ笑む。
自然とコブラの方もリードするように動く、リブラはそれに合わせて華麗に待って見せる。
ライブラ王国の民族衣装はこうして踊るとひらひらと布が舞い、とてもきれいに映った。
コブラは楽しそうに笑っているリブラに昔の幼い頃のリブラを見た。
眼のせいで多くの者がリブラを警戒した。それに比例して、リブラは他者を拒絶するように内気な少女となった。しかし、コブラの前ではこうして無邪気な笑みを浮かべていた。
コブラ相手には我儘を言っていた。コブラはそれを快く叶えた。
昔のことを思い出していたコブラは足元がふらつく。コブラはたどたどしいステップで何とか転倒は阻止するが、止まった時の間抜けなポーズにリブラは思わず失笑してしまう。「ふふふふふ」
「笑うな」
「良いではないですか。楽しいひと時なのですから。ふふっ」
リブラの調子になんとも座りが悪いコブラは笑う彼女から視線を反らした。
反らした視線の先にある椅子は今もまだ残っている。
楽しそうに笑っているリブラは突然何かに気付いたように表情を変えた。
「すみません。お兄様。そろそろお時間のようです」
寂しそうなリブラの表情にコブラはなぜか気持ちが落ちこんだ。
「貴方のお仲間とやらが一足先に中央神殿にやってきました。そこの相手をしなければ」
「そ、そうか」
「えぇ、お兄様も早く来てください。それでは」
そういうとリブラは一礼をして姿を消した。コブラはリブラがいなくなったと言うのに消滅しない世界に唖然とした。気持ちが宙に浮いているような不思議な感覚がある。
まだ、この世界には椅子がある。コブラは何げなくもう一度その椅子に座ると、空間が一気に変わる。最初の真っ白な空間であった。
周りと見渡すと、再び椅子が自分を囲んでいる。
コブラは途端に心細くなった。思えば一人で過ごすことがすごく久しぶりなのだと気付いた。
ここ数カ月。ヤマトたち仲間の誰かが常にそばにいた。その事実に気付き、座ったままコブラは俯いた。
身体を丸める。そういえば、リブラがいなくなった日、教会が燃えた日からしばらくはこうして丸まって一人で過ごしていたなとコブラは思い出す。
嫌な思い出だ。昔のようにリブラと踊ったせいか久々に一人になったからであろうか。
一人になってから、毎日のように泣いた。必死に食い物を集めて、寒さを凌いだ。
いつしかそれを忘れようとしていた。そしてその意志に答えるように、自分が一人じゃなかった時の思い出はコブラの心の中から消滅していた。
コブラはゆっくりと顔を上げる。正面の椅子にリブラは座っていない。
それがなぜかひどく寂しかった。
礼をしていたリブラに対してコブラがなぜ気持ちが落ち込んだのか理解し、恥ずかしそうに笑った。
「リブラにもう会えないかもしれない」
一度死んだと思った存在だ。出会えたことが奇跡である。
そしてその彼女が何か覚悟を孕んだ眼をしていた。彼女は神になると言う。それでいなくなってしまうことに、コブラは酷く心が乱される。
「あいつのために、って思ってたけど、俺のためだったのかもな」
小さく弱い声が何もない真っ暗な空間に響く。コブラは昔、リブラに執着していたのかもしれないと自覚した。ロロンが言っていた自分がキヨに向けている感情を、きっと幼い頃にリブラに抱いていたのだ。
「神様ってのが本当にいるなら、俺にも救いってのを授けてほしいものだねぇ」
笑いながら弱音を吐くと、椅子がゆっくりと地面に沈んでいく。当然、そこに座っているコブラも一緒に沈んでいく。
あぁ、目が覚めるんだとコブラは理解した。だからこそなんの抵抗もせず、ゆっくりと沈んで最後には、地面の中に飲み込まれていった――。
「コブラ、目が覚めましたか」
「あ、あぁ。悪い」
目を開けると、ロロンが自分を背負って歩いていた。その前にアステリオスもいる。彼は心配そうにコブラの顔を見ていた。
「大丈夫かい? コブラ」
「あぁ。ちょっと疲れが溜まっていたみたいだ。降りる」
コブラはそういってロロンにおろしてもらうと、少しだけ足がふらついた。
心配そうに駆け寄ろうとしたロロンとアステリオスが同時に来たので、二人の頭がぶつかり「あいたー!」と声を合わせた。その様子にコブラはケラケラと笑った。
「ここにいたのね」
そんな時だった。遠くから自分たちに向けた声がする。コブラは警戒して睨みつけると、その声の主は良く見た赤い髪の少女であった。その横に知らない天使の姿がある。
「キヨ! お前大丈夫だったか?」
コブラは嬉しそうに声を荒げた。キヨの横にいる天使、バランスはまるでキヨに仕えているように、彼女に向けて膝をついて頭を下げている。その様子を不思議そうにコブラたち三人は見つめる。
「その天使、何者だ?」
キヨはちらりとバランスを見つめる。
「あぁ、なんか近くまで来たら迎えに来てくれちゃって。私が達成した西の神殿の天使」
「バランスと申します」
「なるほど、じゃあ、バランス。キヨもろとも俺たちを中央神殿に案内してくれ」
コブラがそういうが、バランスが答えるよりも先にキヨがバランスの言葉を遮る。
バランスはその所作を見て黙ってまた頭を下げる。
コブラはそんなキヨの行動が理解できずに首を傾げる。
「コブラ、ちょっとあんたに確かめたいことがあってね。あたし、それまでこっちにつくから」
「はぁ?」
キヨの言葉にコブラたち三人は驚いて口を開いた。
「ねぇ、バランス。さっきお願いしたこと出来る?」
「えぇ、真似事程度ですが」
バランスが丁寧な口調で答えると、彼の翼がスッと消滅する。その翼がキヨの背中から出現する。
キヨは興奮した声で「ほぉ」と声を上げた。楽しそうな彼女と反してコブラたち三人はキヨの変化に慄いている」
「どう? 西の神殿天使代理、キヨ=オフィックス。私が貴方に試練を課します。なんてね。どう? コブラ、似合っている?」
キヨは冗談交じりな口調で言っているが、その目にはコブラたちには掴めぬ真意と決意を孕んでいた。
「正式には天使にもなっておらぬのですが」
「バランス。つまらないこと言わないの」
「キヨ、てめえなんのつもりだ」
「さっきも言ったでしょ? ちょっと確かめたいことがあって、私はあんたの敵側につきます。あんたの十八番でしょ?」
キヨはニヤリと笑う。コブラは早く中央神殿に行かないといけないのに妨害してくるキヨに苛立ちを覚えた。
同時刻、中央神殿。
コブラとの空間から目覚めたリブラは目の前に立っている少女を見て驚いた。
「あら、天使たちは全員まだ集まっていなかったのかしら? もう私のところにいるなんて」
「ちょっとした裏技使ったの。リブラさん。貴方に確かめたいことがあって」
リブラの目の前にはリコリスが立っていた。彼女は自分が星術用に使う杖を持って、震える足を必死に止めて、リブラを見つめていた。