第7章 ライブラ王国と天秤の上の少年少女 17話
コブラとロロンは目を覚ますと、聖堂の長椅子に寝そべっていた。
起き上がると、大男テミスがこちらを睨んでいた。
「二人とも、試練を突破したか、よく正義に目覚めた仲間を否定出来たな」
テミスは驚くように声を漏らしたが、心から思ったことではないのか、冷めた目でコブラたちを見つめている。
「はっ、何が正義だ。あんなアステリオスは気にくわないから殴り飛ばしただけだ」
「野蛮だな」
コブラとテミスが睨み合っているのをロロンはおろおろと見ている。
「あ、あの! アステリオスは?」
「あぁ、奥の部屋で寝かせている」
ロロンはその言葉を聞くと、サッと立ち上がり、すぐにアステリオスがいる部屋へと駆けこんでいった。走る彼女をテミスはじっと見つめている。彼女が部屋に入っていくのを確認すると、コブラの方へと視線を戻す。
「さて、これで俺は東西南北全ての試練を達成したことになるが?」
「あぁ、どうやらそのようだな」
「次はどうしたらいい? マアトが中央神殿に迎えっつっていたが?」
「あぁ。それで良い」
「じゃあアステリオスが起きたらすぐに向かわせてもらうぜ」
コブラは起き上がり、自分の身なりを整える。
「コブラと言ったか」
そんな彼にテミスは渋い声でコブラを呼んだ。コブラはゆっくりと振り返る。
コブラはずっと、このテミスに対して不信感を抱いていた。
この男だけは明らかにコブラに対して敵意のようなものを向けている。マアトのものとはまた別であった。
「貴様からは悪の気を感じる。本当にリブラ様の兄なのか?」
「あぁ、俺はあいつの兄だ。お前こそ、リブラをどうするつもりだ」
「リブラ様には神になっていただく。そして我らは天へと還るのだ」
テミスの言葉にコブラは眉を細める。
「リブラ様もそれを望んでおられる」
「んなこたあ知らねぇよ」
コブラはテミスに近づいて彼を見上げて睨みつける。
「貴様のその左目。確かに神と繋がる者の目だ。神に至ることが出来る貴様はどうする?」
「どうする?」
「そうだ。今までの試練は、貴様の傍にいた者達に対して、お前はどうしたいかを問うたものだ。それは己が持つ物をどう扱うかという試練でもある。貴様は仲間の幸せな日々を奪い、仲間の罪を認め、そして仲間の正義を踏みにじった」
テミスの脳裏に浮かぶは、ヤマトが送っていた平和な日々を壊したコブラ。ロロンが罪に壊れそうになっていたところを罪を認め、彼女を悪と認めてなお横に置くコブラ。そして、人々のために、平和と安寧のために己を捧げたアステリオスを否定したコブラの姿が浮かぶ。
「それはとても善なる道ではない。貴様は邪神となるのか?」
テミスは一歩コブラに近づき、威圧するように彼を見下す。
「そうして試練を達成させたのはお前らだろう」
「違う。この試練に正解はない。選択を問われているだけだ。貴様が仲間のために身を引くならば、それも一つの達成であった。だが、お前は仲間たちの道を奪った。ヤマトはあのまま貴様に攫われて旅に出なければ平和にオフィックスの貴族として過ごすことが出来た。ロロンは罪を背負う。罪人は消されるべきだ。そしてアステリオス。お前は彼の正義感を踏みにじった」
「あぁ。それでいい。それでも俺はあいつらが欲しかった」
コブラがあまりにはっきりとした物言いをするので、テミスは一瞬たじろいでしまう。
テミスの脳裏に、同じくこの試練を受けたことのある幼い日のリブラがよぎる。
彼女は笑顔で全てを捨て去った。それが神として、人々のためであると――。
テミスは激情してコブラの胸倉をつかんだ。この男をもう一度リブラに合わせてはいけない。その気持ちが高ぶったが故の行動であった。
「なんだよ」
「貴様は、やはりリブラ様に会うべきではない」
コブラを持ち上げて血走った目で睨みつけるテミス。首が閉まり、コブラは苦しそうにする。
その時だった。テミスの肩を誰かがぐっと掴む。テミスは掴んだ者の顔を見るために振り返る。
そこにはこちらを睨みつけているロロンの姿があった。
「それ以上やると、貴方の肩を壊しますよ。ドラゴンの握力。舐めないでください」
ロロンの目が本気であった。少し強く握ると、肩からミシミシと音がして、テミスも痛みに顔を歪ませる。
テミスは苛立ちで舌打ちをしながらコブラを放り投げた。地面に叩きつけられたコブラに向かって、アステリオスが駆け寄る。
「大丈夫? コブラ」
「あぁ、アステリオス。起きたのか」
「うん。おかげさまでね」
アステリオスは今もなお見下してくるテミスからコブラを守るように間に割って入る。
「アステリオス。君は望んでいたではないか。正義の力を」
テミスはアステリオスに問いかける。
「確かに、僕はあの力の国で自分の望むようになる力を求めたし、争う人たちは大嫌いだよ。乱暴な人も嫌い。けれど、コブラたちは大好きなんだ」
アステリオスの目をテミスはじっと見つめている。
「それが選択なのならそれもまた良いであろう。試練を達成した貴殿らに私が勝手をすることは出来ない」
テミスは先ほどまで荒立っていた気持ちを落ち着かせるように深呼吸をしながら神父服を整えて、どっしりと構え直す。
「なぁ、おっさん」
「おっさんではない。こう見えても大天使の一人なのだが」
「あんた、リブラに神になってほしいのか? それとも神が欲しいのか?」
「……リブラ様こそ神にふさわしい。真っ白な彼女に貴様の存在は黒く汚れた染みだ」
「酷い言われようだな。俺は試練を達成して先に進まないといけない。だから、中央神殿とやらに行かせてもらうぜ」
コブラは一刻も早く向かおうとテミスに背を向けて教会を出ようとする。ロロンとアステリオスも後に続く。先ほど叩きつけられたからか、背中を痛そうに摩っている。
「コブラよ。貴様はこの星巡りの先に何を見ている?」
去ろうとするコブラを引き留めるようにテミスは彼に語りかけた。コブラは足を止めた。
言葉が出てこない。ロロンとアステリオスはコブラの言葉を待つように彼の横顔を見つめる。
「お前は神になれる逸材だ。その貴様が神への奉納、星巡りの使者をしている。そこにどんな運命がある? そこにお前はどんな正義がある? 貴様の本当の名は? 貴様の意味はなんだ?」
まくしたてるようにテミスはコブラに問いかける。アステリオスはコブラなら適当な軽口でこういったことは返してくれると信じていた。しかし、コブラからは一向に言葉が出ない。アステリオスは少し戸惑った。自分たちの悩みにもスパっと答えてくれるいつものコブラの表情とは違った。少し動揺しているような、寂しそうな表情をしていた。
「コブラ……」
ロロンが心配そうにコブラに声をかける。
「悪いな。テミス。それはわからない。名無しの盗人なんでね俺は。この眼のこともわからないし、本当の名前も知らない。だけど、こいつらがいる。こいつらが俺の意味だ」
「他者に縋る弱き人間だ。お前は」
「そうかもな」
テミスが言い放った言葉にコブラは寂しそうな顔をしてテミスに背を向けて聖堂を出ていった。
アステリオスとロロンもそんなコブラについていく。
一人残されたテミスはいまだコブラに対して苛立ちが消えずに舌打ちをした後、背から翼を生やし、中央神殿へと向かった。
聖堂を出て歩き続けるコブラが一言も発さないことにアステリオスとロロンの空気は重苦しかった。
「あ、あのコブラ?」
「なんだ? ロロン」
「大丈夫ですか?」
「あぁ、悪いな」
返事がてきとうになっていることにアステリオスとロロンが戸惑った。コブラは明らかに動揺している。
「コブラ、コブラには夢ってあるの?」
アステリオスがコブラに問いかけた。コブラはそんなアステリオスの方を見る。
アステリオスは驚いた。コブラの表情が少しやつれている。今まで隠していた疲れがどっと出ているように弱弱しい。
「夢……か」
「僕は、冥界でもらったカガクが使っていた電灯を一般化させることなんだ。これがあれば、風の強い日も、火が使えない子どもたちだけでも、明るい夜を過ごせるからね」
アステリオスは誇らしげに語る。アステリオスは無言でロロンに視線を送る。ロロンは慌てながら彼の目の意図を理解してなんとか言葉を出そうとあたふたしている。
「わ、私はどこかの国で花屋でもやりたいですね。庭園なんかも出来たら最高です。でもそうですね。一番は、皆さんと一緒にいることでしょうか」
ロロンがそう答えるとアステリオスは「あっ! 狡い! じゃあ僕もそれ!」
と楽しそうに叫んだ。その様子にコブラは思わず失笑してしまった。
「いいな。それ。みんなで一緒にいる。すげえいい」
「でしょう? けど、コブラ本人がしたい夢ってあるの?」
アステリオスが上目遣いで問いかけてくる。
コブラは二人のおかげでモヤモヤとしたものが晴れた気がして今度はじっくり考える余裕が出来た。腕を組んでうんうんと唸る。
自分が一番楽しかった時の思い出を必死に思い出す。
そこに過ぎったのは、リブラや、シスターと過ごした。ボロイ教会での風景だった。
「家。家が欲しいかな」
「――なんか、意外ですね」
コブラが何気なく言った言葉にアステリオスとロロンはきょとんとしている。
そんな二人の顔を見てコブラは急に恥ずかしくなって目が泳ぐ。
「な、なんだよ。悪いかよ」
「いや、コブラならもっと『この世界を侵略してやるー!』とか言うかと」
「俺はそんな野蛮に見えてんのか」
「えぇ、私の前に現れた時のコブラさんとかもう野蛮でしたよ?」
「ロロンてめえ……」
コブラは指をうねうねと動かす。ロロンはこれからされることを理解して慌てて逃げていく。
「それだけはやめてくださーい!」
「待て! この女!」
「はっはっは」
追いかけ合いっこをしているロロンとコブラを見てアステリオスは朗らかに笑っている。
「でも、いい夢だね」
一通り笑い終えたアステリオスの言葉に追いかけ合いっこをしていた二人は立ち止まった。
「そ、そうかな」
「うん。別に正義とか、意味とか、資格とか、どうだっていいんだよ。夢なんだから」
アステリオスの言葉にコブラはなんだか救われた気がして唖然としてしまっっている。
ロロンはそんなコブラの肩に手を軽く添えた後、中央神殿に向かって歩き始めた。
コブラもロロンの横に並び、アステリオスも共に歩く。
「そういえばヤマトやリコリスはどうしたの?」
「あいつらは最初の神殿に置いてきた」
「ひどいなぁ」
「けれど、さっきの話でしたら、ヤマトたちも中央神殿に向かっているかもしれませんね。キヨは一人で向かっていったって言うし」
「じゃあ、全員集合だ。急ごう!」
アステリオスは無邪気な少年のように駆けていく。それを追いかけるロロン。コブラも後に続こうとしたが、突然視界がふらついた。この感覚は、中央神殿で光に射抜かれた四人を見た時と似たものであった。
「こ、コブラ!?」
コブラが倒れたことに気付いたロロンが慌ててコブラに駆け寄る。
「わ、悪い。お、俺を負ぶって中央神、殿に、向かって、くれ――」
その言葉を言い終えると、コブラの意識はぷつりと切れた。
目を覚ますと、真っ白な空間だった。
なぜかそこには椅子が丸く囲われるように置かれている。
椅子は十三個。十二個が円を囲むように並べられて、その中央に一つだけ椅子が置かれている。
コブラは呆然と立ち尽くしていたが、なぜか自然と、真ん中の椅子に向かい、そのままその椅子に腰かけた。
「ここはどこだ?」
「ここは、私と貴方だけの特別な空間ですよ。四つの試練達成おめでとうございます。お兄様」
いつの間にか座った椅子から見て真正面の所にリブラが座っていた。
彼女はまるで神に祈るかのように常に胸元で手を繋いでいる。
いつの間にか、残りの椅子は全て消えてコブラとリブラが座っている椅子のみになった。
リブラは昔と変わらず笑顔の絶えない少女であったが、その笑顔は昔と違い、何かを隠すように、朗らかさの中に不思議な悲しみを感じた――。