第7章 ライブラ王国と天秤の上の少年少女 16話
クロノスの話を聞いた。
このタウラス民国では喧嘩祭りと言う風習があり、男たちはそこで一番になるために身体を鍛えぬいていた。
その中でも長年王者として君臨していたウラノスと言う男が病気で死んだ。
誰も勝つことが出来ないまま最強の男が亡くなった。これには多くの男たちが戸惑った。
戸惑うだけなら良い。中には、鍛えぬいた力を持て余した者や、ウラノスによって抑えられていた悪性が解き放たれた者が現れ、国は荒れた。とても喧嘩祭りを開催できる状況ではない。
そんな時に現れたのが、背に空を飛ぶためのカラクリを身に纏った少年。アステリオスであった。彼は山奥で過ごしていたが、荒れている者、暴れている者の前に現れ、彼らを蹂躙した。圧倒的力に誰も逆らえない。アステリオスが使うカラクリたちに男たちはなす術もない。
いつしか、そんなアステリオスは市民から英雄と呼ばれた。彼がいれば誰も闘う必要がない。そういって僕らの国は、ウラノスと共に喧嘩祭りが消滅した。
血気盛んなやつが暴れても、アステリオスがなんとかする。この国は始まって以来の平穏を手にした。と言っていた。
「そうですか。アステリオスが……」
ロロンは驚くように声を漏らした。
「君たちはアステリオスの知り合いなのかい?」
「まぁ、そんなところだ。奴は俺たちのことを知らないだろうが」
クロノスはコブラの言葉の意味が分からずに首を傾げている。
コブラはアステリオスの行動と、先ほどロロンと男の喧嘩を仲裁しようとしていた男の姿を思い出した。
怯えきった表情をしていた。きっと過去にアステリオスにこてんぱんにされたのだろう。
「コブラ、どうしましょう」
ロロンがコブラの表情を覗き込む。クロノスもまたコブラを見つめている。
「クロノス」
「なんだい?」
「お前の親父、ウラノスが生きていた時代と、このアステリオスが英雄として立つ時代。お前はどっちが好きだ?」
コブラの質問にクロノスは驚いて目を開いた。その後、腕を組んで、じっくりと考えている。
「そうだね。僕は、父が父だっただけに、喧嘩祭りで期待されたりしていたが、正直、人を殴ったりするのはそこまで好きではなかったかな。それよりも可愛い女の子とお話している方が性に合っている。そういう意味では今の平穏な日々は心地いいよ」
そういってほほ笑むクロノスの言葉に対してコブラとロロンは無言で見つめる。
「けれど、そうだね。自分が誰かを殴るは嫌いだったけど、みんなが父を倒そうと躍起になっているあの暑苦しい感じとか、熱気は好きだったかな。野蛮だけどね」
恥ずかしそうに笑うクロノスの答えにコブラは腑に落ちた。
「そうだよな。この国に何かに怯えた男の顔はふさわしくないよな」
コブラは小さな声で呟いた。その言葉をロロンが心配そうに見つめる。
「コブラ、今の質問に何か意味はあったのですか?」
「あぁ。アステリオスの野郎が屑かどうかを確認したかった」
「く、屑?」
ロロンの眉間が少し寄る。コブラは冗談っぽく笑う。
「悪い悪い。あいつが屑になることはねぇよ。ただ、この世界のあいつがどうなってんのかを調べたかった」
「この世界?」
クロノスがコブラたちの会話に問いかける。
「あぁ、こっちの話だ。俺たちはあいつじゃないアステリオスと知り合いなんだよ」
「へぇ、そうなのか」
今の言葉だけではさらに疑問が浮かびそうなものだが、クロノスは呆気なくこれに納得した。このいい加減な感じも、タウラスであったクロノスだなとコブラは思わず失笑してしまう。
「なぁ、アステリオスにはどうしたら会える?」
「彼はタウラス民国の近くの山に住んでいると言われている。いつも山の方から飛んでくるからね。けれど、正直、どこに住んでいるかわからない。会うことが出来るとしたら――」
クロノスは腕を組んで考えた後、思いついたように目を見開いた。
「何か、悪さをすればいいんじゃないかな?」
「いいねぇ、得意分野だ」
二ヤついたクロノスと、その言葉に対してさらににやけついたコブラは二人してふっふっふと笑っている。そんな二人に挟まれてロロンは苦笑いをしている。
「そうだ。お姉さん。とっても美人ですよね。僕と食事でもいかがですか?」
「やめとけ、こいつにはもう唾つけてる奴がいるから」
「そうかい。僕は略奪の趣味はないからいいや」
「ちょ、ちょっとコブラ!」
クロノスはがっかりしたように溜息を吐きながらゆっくりと倒れかかっていた。ロロンは顔を真っ赤にさせてコブラを叱責するが、その様子にコブラはけらけらと笑った。
コブラはすぐに行動に出た。クロノスはコブラの計画を聞いて協力してくれると言っていた。ただ面白がっているだけであろう。自分の家のモノを盗むと良いと提案した。コブラはその通りに、クロノスの家に侵入し、適当に金品を懐に入れた。
そして窓から外へ出ると、クロノスがわざとらしく叫んだ。
「盗人だ! 僕のお宝を返せー!」
その叫び声に、国民全員が意識を奪われた。最強の男の息子が住む家に盗みを働くような者がいるとは思ってもいなかったのだ。
男たちは必死にコブラを捕まえようとするが、コブラは鍛えることを忘れた男たちの動きなんて簡単にいなすことが出来る。そんなときだった。
物陰から覗いていたロロンは上空から何かが飛んでくるのを確認する。
「コブラ! きます!」
ロロンの言葉と同時にコブラは大きくジャンプする。
先ほどまでコブラがいたところにアステリオスが飛び蹴りを放っていた。
躱していなければ、先ほどの男のように腹部に彼の蹴りが当たっていたであろうと考えるとコブラは冷や汗をかいた。
「貴方、旅の者ではなかったのですか?」
殺気だった視線でコブラを睨むアステリオスにコブラはニヤリと笑った。
「あぁ、旅の者さ。各国で盗みを働く大泥棒。盗人コブラ様とは俺のことだ」
「ならば、悪!」
アステリオスの背中のカラクリから勢いよく炎が噴き出し、コブラに突進を仕掛ける。コブラもこのスピードは想定外で躱すことが出来ずに、アステリオスの拳に吹っ飛ばされる。
「いいぞ! 英雄様!」
どこかからアステリオスを賞賛する声が聞こえる。気づけば国民たちがコブラとアステリオスを取り囲み、二人の闘いを観戦していた。
「いてて、この野郎」
「中々頑丈ですね。ならば!」
アステリオスはしゃがみつき、背中のカラクリから勢いよく弾頭が放たれる。コブラはまだ立ち上がれていない。
その時、ロロンがアステリオスとコブラの間に割って入る。彼女はアステリオスの断頭を両腕で受け止める。
アステリオスは驚いた様子でロロンの瞳を見つめる。ロロンはアステリオスに離れてもらうために口から炎を吐く。アステリオスも驚いてすぐに後退した。
「貴方……。この炎、そしてその腕の鱗。まさか――」
ロロンの腕はアステリオスの突進の衝撃を防ぐためか、一部が龍化していた。その腕を見て、国民たちも驚いている。
「なぜこのようなところにドラゴンがいる。じゃ、邪龍か?」
恐れおののいた市民の言葉に、コブラは流れが変わっていくのを分かり、すぐに立ち上がる。
アステリオスは、本来なら彼女に向けることがないような冷たい目でロロンを見つめる。
「貴方……邪龍ですか。ならば、滅ぼすのみ」
「えっ」
アステリオスからそのような目で見つめられたことのないロロンは思わず硬直した。
過去、邪龍と決めつけて襲いかかってきた騎士たちと同じ目であった。
コブラはすぐにアステリオスとロロンの間に割って入った。
今度は距離も短く、カラクリからの炎の威力が低く、コブラはアステリオスの動きを止めた。
「そのカラクリ、そう何度も高火力出せるもんじゃねえみてぇだな」
「この盗人が。邪龍を庇うか」
「あぁ! こいつをそんな目で見るお前はお前じゃねぇからな」
「なんのことだ!」
アステリオスは苛立つようにコブラに拳を振るう。コブラはその拳を躱して、アステリオスの背後に周り、彼の背負っているカラクリを掴み、思いっきり引きはがした。
アステリオスはあまりに突然のことで背負っていたカラクリごと地面に叩きつけられる。
地面に叩きつけられたカラクリが壊れる音がする。コブラは倒れているアステリオスを踏みつけようとするが、アステリオスは舌打ちをしながらそんなコブラの攻撃を躱した。
アステリオスは苛立った顔のまま背負っていたカラクリを放り投げた。
それでもアステリオスに絶望した様子はない。彼は両腕に籠手を取り付けた。
「邪龍、並びに盗人。貴様らは罪人だ。僕が貴様らを断罪する」
「おぉ、怖い怖い」
コブラは鬼気迫るアステリオスの目に思わず笑みを溢しながら軽口を溢した。
アステリオスがこちらに仕掛けてくる。背中のカラクリがない分、スピードは落ちたが、それでも軽やかな動きでコブラと距離を詰めてくる。自分たちの知っているアステリオスよりも圧倒的に闘い方を熟知している。鉄で出来た籠手からの攻撃をコブラは受け流す。
ロロンはいまだにアステリオスの態度に動揺を隠せずに呆然と座り込んでしまっている。
「ロロンさん。こちらへ」
皆が、コブラとアステリオスの闘いに気を取られている隙に、クロノスがロロンへと駆け寄り、彼女を物陰まで案内した。
その様子を見たコブラは安堵の笑みを溢す。
「何がおかしい!」
その笑みがアステリオスの癇に障ったのか、彼は怒鳴りながら拳を放つ。その拳はコブラの腹部に直撃する。重い一撃にコブラの顔は歪む。その隙をアステリオスは見逃さない。そのまま回し蹴りをしてコブラを蹴り飛ばす。
コブラは地面に転がる。
観客たちがアステリオスに喝采を送る。
アステリオスに倒されたコブラは勝てないかもしれないと脳裏に過ぎると笑ってしまった。
「そういえば、俺はお前に勝ったことないんだったか、アステリオス」
コブラはゆっくりと立ち上がる。タウラス民国での喧嘩祭りで彼と闘って、コブラは負けた。その時とは目も、闘い方も違う。コブラはもう一度アステリオスを見つめる。
自分が傷つけている相手を見ていると言うのに、その目は酷く冷めたものであった。
自分の力を誇示出来ていると言うのに、その表情は暗くなるばかりであった。
自分のカラクリを壊されたと言うのに、彼の顏には悲しみの感情がない。
そんなアステリオスを見て、コブラは酷くイラついた。
「おい、てめえ」
コブラの言葉の直後、アステリオスはコブラに向けて突進。コブラの顔を殴りぬけた。
コブラは疲弊から躱すことが出来ない。
「人の話も聞かねえバカになっちまったか」
その言葉を聞いても、アステリオスは無言でコブラの顔を殴る。
コブラの鼻から血が噴き出す。
「話聞けっつってんだろうが!」
コブラは歯を食いしばりなら、アステリオスの額に頭突きを放つ。
両者の頭が衝突して、二人ともふらつく。
「何が正義の味方だ。人を殴るのに苦しみも楽しみも感じない奴はこのタウラスの人間じぇねぇ」
アステリオスはそんなコブラの叫びにも心は響かない。ふらついた意識が戻ると、またコブラに拳を放つ。コブラはその拳を躱す。
「例え邪龍でも、女に向かってあんな顏する奴はタウラスの男でも、ましてはアステリオスでもねぇんだよ!」
コブラはアステリオスに拳を放つ。その拳はアステリオスの頬に辺り、彼の口から血が噴き出す。
「何正義ごっこやってんだ。帰るぞ!」
コブラはもう一発拳を放つ。その拳もアステリオスに直撃する。その直後、アステリオスのアッパーがコブラの顎に直撃する。
二人の拳が二人を傷つける。お互いに躱すことがもはや脳裏から失われていた。
「この国には正義が必要だ!」
「それがお前の決めつけだ!」
「僕は正義を貫く! それが強さだ」
「悪い奴ボコボコにするのは正義じゃねえよ」
アステリオスもコブラも怒鳴りながら、互いの顏に拳を放ち続ける。
その様子を、息を飲むように国民たちが静かに見つめている。
「ど、どっちが勝つんだ」
一人の男がぼそっと呟いた。
「わ、わからないよ」
「お、俺はアステリオスだと思うぞ」
「お、俺はあの盗人に勝ってほしいね。アステリオスには一度痛い目に合わされたんだ」
「それはあんたが悪いんだろう」
「うるせえ!」
「でも、なんだ、胸が熱くなる」
観客たちが自然と言葉を漏らしている。呟きは会話に、なり、やがてコブラやアステリオスに向けた喝采に変わる。
その様子にコブラは思わず笑みがこぼれた。その笑みをアステリオスは不気味に思った。
コブラは思いっきりアステリオスに向けて殴りぬける。
「どうだ! アステリオス! この喝采。これこそがこの国だ!」
「人の争いを嬉々として眺める野蛮共だ!」
「その野蛮なのがいいんだろうが!」
コブラの表情がどんどん明るくなる。拳の精度が上がっていく。アステリオスの拳は逆にふらつき始める。
コブラは感じ取っていた。
正義の味方となったアステリオスに科学と国に対しての愛はなかった。
自分が作ったカラクリが潰れても何とも思わない。悪と判断すればどんなものでも排除しようとしている。それゆえに、排除された者には辛い記憶が芽生える。
それは、このタウラスの国に迫害されながらも、この国を愛したアステリオスでは絶対に辿りつかない道であった。
彼の正義には、愛がない。正義なんてものが何かわからないコブラでも、アステリオスが今やっていることが正義でもなんでもないことだけはわかった。
「いいかアステリオス。女を守り、力で優しさを得る。それが国王のいない偉大な国、タウラスの男で、それがお前だ。覚えとけ」
コブラはニカっと笑ったと思うと、アステリオスの顔を思いっきり殴りぬけた。
アステリオスはその攻撃に耐えることが出来るほど、足に力が入らずにそのまま吹っ飛ばされる。
アステリオスは立ち上がらない。国民たちはいまだに戸惑っている。
コブラはすぐにクロノスから奪った金品を取り出して地面においた。
「こいつと一発やりたかっただけだからな。返す」
コブラが置いた宝をクロノスの家の者がいそいそと回収していった。
国民たちはいまだどう対応したものか悩みあぐねている様子で唖然としている。
すると、一人の女性が拍手を始めた。他の者達もそれに続く。
「お、俺なんか熱くなってきたぜ」
「あぁ! 久々にこう、やりたくなってきた!」
男たちがはしゃぎながら語っている。その様子を見たコブラは思わず笑みがこぼれた。
物陰で隠れていたロロンがクロノスと共にコブラたちの元へ戻る。
ロロンはすぐに倒れているアステリオスの方へ駆け寄った。
クロノスはコブラの元へ向かい、彼に肩を貸した。
「君、凄いね。あのアステリオスに勝った」
「いいや、俺たちの知っているアステリオスの方が強かったね」
「そうなのかい?」
「あぁ、守るものがある男ってのは強いもんだ」
「そういうものなのか」
クロノスはまた適当に納得している。
「アステリオス! アステリオス。大丈夫ですか?」
ロロンは必死に叫んで、アステリオスをゆっくりゆする。
「……っ」
「アステリオス!」
「き、君は、邪龍」
「私は邪龍ではありません」
目が覚めたアステリオスは自身が滅ぼそうとした邪龍が自分を心配している様子に困惑していた。アステリオスはじっとロロンの目を見つめた。綺麗な目だと、思わず見惚れてしまう。
「巨大な力はいつか大きな厄災を生む。君は、そうなってしまう。ドラゴンは、強い力を有していると聞いている」
アステリオスは自身の痛みに耐えながら必死に立ち上がろうとする。その様子をロロンは心配そうに手を差し伸べている。
「大丈夫ですよ。アステリオス。私が邪龍となり、厄災となるとき、きっと守ってくれる人がいます」
「そんな者が、いるのか」
「貴方です。貴方が私を守ってくれます」
「守る……」
「えぇ、貴方は正義の味方なのですから」
ロロンの微笑みにアステリオスは戸惑った。しかし、何か心が満たされるような感情になった。自分の中の奥底にあった感情が彼女を知っていると訴えかけてくるのだ。
「そうか。貴方を守ると言った私は、強いのだろうな」
そう微笑むと、アステリオスは消滅していく。気づけば国民も、国も徐々に消滅していく。
「ありゃ、なんだこれ」
「これがこの国の真実だ。クロノス」
「えぇ、そうなのかい?」
コブラの隣にいたクロノスも徐々に消滅していると言うのに、あまり慌てておらず、コブラの言葉にも適当に納得している。その様子にコブラは思わず失笑した。
「お前とも、また喧嘩したくなってきたな」
「おっ、僕とも闘ったことあるのかい?」
「あぁ、俺が勝ったけどな」
「それは悔しい。記憶がないのに悔しい。次は是非、僕が勝ってみせよう」
そういうとクロノスは手を差し伸べる。コブラはその手を取って、固い握手を交わす。
そしてクロノスも消滅し、アステリオスも消滅した。
真っ暗になった空間で、コブラとロロンは立ち尽くした。
「あれで達成したとみていいのでしょうか?」
「わからないが、ここで待っていれば、あの聖堂に戻れるだろう」
コブラの言葉の後、真っ暗な空間に光が差し込む。コブラとロロンはその眩しさに目を閉じた。