第7章 ライブラ王国と天秤の上の少年少女 14話
祈りから戻ったマアトはコブラとロロンをじっと見つめている。
特にロロンの方である。コブラは澄ました顔でマアトを見つめているが、ロロンはなにやらにやけており、マアトはそんな彼女を不審そうに見つめた。
「貴方たち、さては覗いておりましたね?」
「な、なぜそれを!」
「バカ!」
ロロンが咄嗟にボロを吐くのでコブラが叱責する。ロロンは慌てて口を抑えるも、時すでにおそし、コブラとマアトがそんな彼女を見ながら溜息を吐く。
「まぁ、絶対に見てはいけないと言うものではないし、怒りはしないわよ。誰かが気づいて、集中力を欠いたらいけないと思っただけ」
マアトは椅子に座り、足を組む。
「この神殿はね? 罰を受ける神殿なの。国民が自身に罪ありと感じた時、その罪を責めてほしい時に来るの。罪には罰がいる。だから、ここに来る人は祈る時、少し苦しそうなの」
マアトは冷たい表情で答えた。だが、そこには冷酷さは感じない。
「だから、コブラに課せられた試練も」
「えぇ、貴方にとって罰となるものが用意されたわ。それが、優しき仲間の残酷な姿を見せられることって言うのは、なんとも善性に満ちた方なのでしょうね」
少し嫌味ったらしく言うマアトにコブラは頬を膨らませた。
「わざわざ罰を受けにここに来るって言うのか? ここの奴らは? それこそ狂ってるね」
コブラは仕返しのつもりで嫌味ったらしく言った。
「えぇ、そうね。ここに来るのは、本当にバカ真面目な人だけ。救いでも、許しでもなく、罰を求める。そんな人たちの神殿。だからこそ、私は全てに向き合わないといけないの」
「神殿には、それぞれ役割があるのですか?」
ロロンがマアトに問いかける。マアトはロロンを見てそっと微笑みかける。
「えぇ。この国の人々がそれぞれの祈りを捧げるために神殿は存在するわ。『業から救う神殿』『罪を告白する神殿』『罪を裁く神殿』そして『正義となる神殿』があるわ。
「どう違うんだよ?」
コブラはきょとんとした様子で問いかける。マアトは言葉を続ける。
「罪から救う神殿って言うのはシャマシュの神殿。自分が背負わざるを得なかった業からの救いを求めて祈りを捧げる神殿。そうね。ヤマトって男がその神殿に言ったでしょう? あれは彼の出生など全て無くし、ただの人になった世界だったでしょう? 自分ではどうしようもできない罪や業からの解放を祈る者たちの祈り、正式はそう祈り続けることで、今の自分を悲観しないってことなのだけれどね。そしてバランスがいるところが、自分の今を知り、誰にも話せぬ罪を告白して、自分を赦す神殿。私のところはそれでも生ぬるい。自分はきっと神に許してもらえないって考えちゃう人のための神殿。ロロンが私のところにきたのはきっと、国の使命を放り投げてこの旅に同行していることに、少しばかり罪悪感があったのでしょう。その罪がああいった形で現れた。真面目な人は好きよ。私」
マアトが微笑むとロロンは少し恥ずかしそうに俯いた。
「じゃあ、その正義となる神殿ってのはどういうところなんだよ」
コブラはさらに問い詰めると、マアトは少し暗い表情になった。
「自分の罪を全て拭ったと思った人がいく神殿よ。二度と罪を犯すものかと、自分こそが正義だと、正しき人間になるために祈りを捧げにいくの。その中でまた罪を犯したと思えば、私たちの神殿にやってくる。そして罪を雪いで、もう一度正義の神殿に赴く。そうしてこの国の人達は善人に、より正義に近い人間へと目指していくの」
「なんか、面倒だな」
「ちょっとコブラ」
コブラの悪態にロロンが叱責するが、マアトはその様子に思わず失笑した。
「そうね。面倒ね。けれど、そういった面倒なことをやっていくことで自分を知ることができる人もたくさんいるの。自分の言葉と、自分の心をしっかりと神に捧げて、自分を見てくれている者がいる。それが心の支えとして生きていくの」
「そういうもんかねぇ」
「祈りではピンとこないなら、そうね。コブラ。あなた朝に必ず食べるものはあるかしら」
マアトは少し考えてからコブラに問いかける。その問いにコブラは腕を組んで考えた。
「あぁ、汁が出るタイプの果実を食わないと、なんか調子でないから、必ず食べることにしているよ」
「まぁ、そういうことよ」
マアトが軽く答えたが、コブラはいまいちピンと来ていないのか、まだ首を傾げている。
ロロンも二人の会話の内容を脳内で反芻しながら考えているが、コブラ同様これといった納得のいく答えが見つからなかった。
うんうんと唸っている二人を眺めているマアトは、突然こめかみに手を当て始めた。
表情が変わったマアトをコブラとロロンは何事かと見つめている。
「コブラ、ロロン。どうやら西の神殿には行かなくて良くなったそうよ」
「えっ? なんでだよ」
「キヨって女の子、自力で出ていったって。今バランス――私たちの仲間から連絡があったわ」
その言葉を聞いて、ロロンは目を丸くして驚き、コブラは失笑してゲラゲラと笑い転げた。
「やっぱりあいつは面白いな!」
「き、キヨさん。あの状態から自力で神殿の試練を!?」
「バランスはうさんくさいので、どこまで信用していいかわかりませんが……」
マアトはバランスのうさんくささを思い出して溜息を吐いている。
コブラは今もまだ笑い転げている。
「そうか。俺が助けに行く必要はなかったか」
笑い終えて立ち上がるコブラの表情が、少しだけ寂しそうな表情をしているのがロロンの目に入った。
「よし、そうと決まれば最後の神殿に行かねえとな。そこにアステリオスがいるはずだ」
「わ、私も行きます」
「おう。行くぞ」
「えぇ」
「テミスの奴が神殿にいるかわからないけれど、きっと着いたら強制で試練が始まると思うから、向かいなさい。そして、終わったら、もう一度、リブラ様に会いに行くの。私もきっとその頃には中央神殿にいるわ」
「そうか。この服、ありがとな」
コブラはそういうと扉を開いて聖堂へと出ようとする。
「ねぇ、コブラ」
そんな彼の背からマアトの声がする。ロロンとコブラは振り返る。
「貴方、リブラ様の、お兄さんなのでしょう?」
「あぁ、血は多分繋がっていないだろうけれどな」
コブラはそう言っているが、マアトは彼の左目がリブラの両目と同じく銀河を映していることがどうしても気になった。
「貴方は、リブラ様を、どうするつもりなの?」
「どうする?」
「答えて」
コブラは困ったように手で後頭部を掻いた。
ロロンはどうしてよいかわからず、恐る恐るコブラの顔を覗き込んでいる。
「わかんねぇ。会った時に決める」
「そう……。では、また中央神殿でお会いしましょう」
マアトの言葉を聞き終え、コブラとロロンはそのまま神殿を出ていった。
二人はライブラ王国を歩いていく。駆けていこうかと思ったのだが、ロロンが長いスカートの衣装を着ているので、コブラの速度で走ることを躊躇われた。
「コブラ」
ロロンは何気なくコブラに話しかけた。
「なんだ?」
「リブラってあの女性とコブラはどういった関係なのでしょうか?」
ロロンが聞いた言葉にコブラは少し言葉を詰まらせた。
「俺も再会するまで忘れていた――いや、忘れようとしていたんだが、俺はオフィックス王国にいた頃、孤児でな。幼い頃から、親に会ったこともない」
ロロンはコブラの言葉に何も返さずにじっと聞いていた。
「そんで、そういったガキ共を預けているボロい教会があったのを思い出した。そこで、俺と、他にも色んなガキがいたんだが、その中でも俺に懐いていた女がいた。両目が夜空みたいになっていた。きっと、そいつがリブラだ」
「確信はないのですか?」
「俺もあいつも、孤児だった時に名前なんかなかったからな。他の奴らは親が死んで孤独になったとかだから名があった。コビーとか、ブライアンとか、なんか、他にもいた気がする」
「では、そのリブラも」
「あぁ、親も知らないガキだ。俺と同じ。だから仲が良かった」
コブラは昔のことを思い出していく。それがこれ以上思い出すと辛くなるとわかっている。一瞬表情が曇るが、楽しかった思い出が溢れてきて、曇った表情をかき消す頬が緩んでしまう。
「どいつもこいつも、リブラの目を不気味がった。だから俺だけはそうしないようにした。なんとなく放っておけなかったんだ」
その言葉にロロンが思わずクスクスと笑う。
「なんだお前急に笑いやがって」
コブラは恥ずかしさからロロンの背中を襲撃する。ロロンは顔を赤くさせながら悶絶する。
「ごめんなさいごめんなさいやめてください」
「わかればよろしい」
「すみません。なんだかちっちゃい頃からコブラはコブラなんだなぁと思いまして」
そう言っているロロンはまだ頬が緩んでいる。彼女の言葉の真意がよくわからずコブラは首を傾げた。
「アステリオスが仲間になった時の話や、そしてリコリスさんのお願いを聞いた時を見て私は思います。コブラはきっと、一人っきりの人を放っておけないのでしょう。アステリオスが言うまでもなく、もしかしたら私にも声をかけるつもりだったんじゃないですか?」
ロロンが不敵に笑いながらコブラの顔を覗き込む。
身長が彼女の方が高いので、覗き込むようにされて目が合うので、コブラは思わず視線を逸らす。
図星なのも大きかった。アステリオスよりも先に、ロロンの事情を知ることが出来ていればコブラはアステリオスと同じ道を選んだであろう。
自分でも意識していなかった自分の性格を言い当てられると言うのは何ともむず痒いものであった。
ロロンはなぜか突然コブラに手を差し出した。コブラはそんなロロンの手を見て困惑した。
「私の手、とっていただいていいですか?」
コブラは何が何やらわからない様子で、手を握ると、そっとロロンがコブラを抱きしめた。
コブラは驚いたが、不思議と心地よい暖かさに身を任せてしまった。
「貴方が誰かに手を差し伸べるのであれば、私たちが貴方に手を差し伸べます。大丈夫です。貴方を慕い、そして貴方に慕われたいと思っている者がいます」
ロロンの静かな言葉が、コブラの耳に響く。なぜこのようなことを言われるのか見当もつかなかったはずなのに、なぜか内側からこみあげてくるものを感じた。
コブラはようやく我に帰って抱きしめてくるロロンを突き放した。
「きゅ。急になんのつもりだ」
「いえ、キヨが一人で脱出したと聞いた時のコブラさん。少し寂しそうなお顔をされていたので、もしかして自分が守らないといけないって思っていたものが無くなりそうで嫌だったのだかなと」
ロロンは頬を掻く。コブラは無意識に図星を突かれ、目を丸くする。
「リブラさんについて話している時も、同じような表情を一度されたので、もしかしたらと」
ロロンの優しい言葉がコブラに響き、呆然と立ち尽くしてしまう。
「大丈夫ですよコブラ。貴方が誰かを守ろうとしなくても、貴方は一人じゃありません。貴方に助けられた私たちですが、貴方の救いをずっと求めているわけではありません。貴方がいなくても私たちは大丈夫ですが、それでも私たちは貴方と共にいるのです」
ロロンはそういってコブラに背を向けて、目的地である神殿に向かって歩いていく。
コブラはまだ呆然とロロンの背中を見つめていたが、いつまでもついてこないコブラが気になり、ロロンが振り返ると、コブラは口を開いた。
「なんか、ありがとうな。よくわからないけどこぉー、すっとしたよ」
コブラのお礼の言葉にロロンはにんまりと笑い、胸を張った。
「こう見えても、皆さんの中で一番お姉さんなんで、いつでも頼ってください」
どんと胸を叩く彼女は少々幼く見えておかしくて思わず笑ってしまう。そんなコブラにロロンは怒ったが、それもまたなんだかおかしく笑ってしまい、コブラはロロンの横に並んで神殿へと向かう。
「救われるって言うのはこういう気持ちのことなのかねぇ」
コブラの言葉にロロンは少し考えた。
「そうかもしれませんね。私守護竜なので、どんどん祈りと言葉を捧げてください。救ってみせましょう」
少々芝居がかったロロンの言葉にコブラは笑った。
「では守護竜さま、お金をください」
「それは自分でなんとかしてくださーい」
「盗むしかないか」
「罪を背負うとはこの罪人め」
「元々罪人だからこの旅やっているもんで」
「私も城をぶっ壊した大罪人でした」
ロロンもコブラも、普段の自分とは少し違う性格を演じて興奮しているのかケラケラと笑い合いながら、最後の神殿へと向かった――。