第七章 ライブラ王国と天秤の上の少年少女 一話
というわけで第七章です。今回は主人公コブラについてのお話となります。彼の語ろうとしなかった過去。そして己すら知らない運命の片鱗が現れる話となります。物語も後半に差し掛かりましたが、今まで読んでいただいた皆さんにとってとても面白いものになることをお約束しますので、引き続きお楽しみください。
幼い日のことはあまり覚えないようにしている。けれど、昔は一人じゃなかったんだ。
当たり前だ。生まれてすぐの赤ん坊が街の路地裏に捨てられて無事なわけがない。
ひっそりと、誰かに育てられていたはずだ。薄い赤髪が見えていたはずだ。
そして二人だけじゃない。何人か知り合いがいたはずだ。みんな他の家庭に貰っていったりしたけれど、ずっとずっと一緒にいた少女がいたはずだ。
「――お兄様」
貴族の娘の真似をして、俺のことをそう呼んでいた女がいたっけか。だから俺も、そいつの、みんなのお兄様とやらになってみようか。なんて思っていた気がする――。
朦朧とした意識の中で何かに口、もとい顔全体を何かに覆われていて、息が苦しい。
コブラの耳に、その様子に何やらクスクスと笑っている声が聞こえる。
「――ッ!? んーッ!」
息が吸えずに苦しみながら、顏の上に乗っている何かを掴み放り投げる。
「なんだい。ぞんざいに扱いやがって」
投げられたそれは綺麗に着地しながらコブラに悪態をつく。
「リザベラてめえ! 何人さまの上で寝てやがる!」
「キヨ様の命令だ。お前さんが中々目を覚まさないんでね」
猫が不自然に笑う。その様子にキヨたちも笑っている。
「コブラ大丈夫? 毛塗れだけど」
リコリスだけがコブラに寄り添って顔についている毛を払っている。
「やめろリコリス」
「照れてる照れてる」
その様子にアステリオスがニヤリと笑ってコブラを指さす。
リコリスとリザベラが仲間になってから、コブラはいまいち自分のペースというものを掴み損ねていた。
ヤマトに落とし穴を仕掛けても、リザベラに先手を打たれ、自分が落とし穴に落ちる始末。
リコリスがこちら側に立って励ましたり、味方してくれるせいでなんともむず痒くなっているのである。
「済まないなコブラ。しかし、お前リザベラ殿が乗る前から魘されていたぞ?」
ヤマトが笑いすぎで溢れている涙を拭いながら寝転がっているコブラに手を差し伸べる。コブラはそれを掴んで起き上がる。
「うん。なんか泣いてたけど、大丈夫?」
キヨもリザベラを抱きかかえながらコブラに近づく。リザベラは抜け出したそうに暴れているが、キヨがぐっと抑え込んでいる。
「哀しい夢でも見てたの?」
リコリスがコブラの肩に手を添えて首を傾げている。
コブラが思い出そうとしても、夢の内容ははっきりと思い出せず腕を組んで唸る。
「悪い。あんまり覚えてないや」
「それならいいんだが……」
ヤマトはいまだに心配が抜けずに、不安そうな声で答える。
「皆さん。朝餉が出来ましたよ」
一人遠くで支度をしていたロロンが皆を呼ぶ声が聞こえる。全員返事をしてその場に向かう。コブラだけがいまだ寝起きの微睡みの中で呆然としている。その様子をリコリスが見逃さなかった。
「大丈夫?」
「あっ、あぁ」
こちらの覗き込むリコリスにコブラは見たことのない少女の面影を抱いた。
「星術の世界では、夢は予兆とも言われているの。寝ている身にも影響を及ぼすほどの大きな夢ならなおのこと。何か思い出したら言ってね?」
コブラの手は自然とリコリスの頭に向かって、彼女をわしわしと撫でた。
リコリスは驚いたように目を丸くしている。
「大丈夫だよ。気使ってくれてありがとな」
「う、うん」
コブラはその言葉の後、みなとともに食卓に向かう。リコリスもそんなコブラについてゆく。
「――それで、夢を操る星術師ってのがいんだよ」
「コルキス殿だな」
「へぇー。夢を司る星術は本でもちょっとしか記されてなかったから興味深いかも」
「アリエス王国は、そのコルキス殿のご先祖様が編み出した夢の中の世界を共有する星術が浸透していたの」
「その話僕大好き」
「私もです」
「あの婆さんまだ生きているのか」
食事中の会話は、コブラの夢が起因して、夢の中へ入る星術を操っていたアリエス王国の星術師コルキスの話題となった。
リコリスとリザベラに対してコブラ、キヨ、ヤマトがアリエスでの星巡りの試練について話す。
「なるほど、答えを先に示さなければ夢の中では泡沫と消えると」
「あぁ。だから俺が食ったことない物の味はわからないし、どんだけいいベッドで寝ても、そんなベッドで寝たことない俺には全部麻布と一緒っつう世界だ」
「へぇ、面白そう! 私もコルキスさんに会いたい!」
この話に特に食いついたのはリコリスであった。星術師として、長年生きている同業者であるコルキスが気になるのであろう。
「そうだな。我々には不思議なご婦人であったが、リコリスにとってはいい師匠になりえるかもしれぬな」
「あたしゃやめといた方がいいと思うけどねぇ」
リコリスとは対照的に猫のリザベラは不審そうに顔を歪めてロロンが用意したスープで濡らした手を舐めていた。
「あたしの頃から既に婆さんだった人だぞ? 今いくつだよ。ありゃ人じゃねえ」
「今猫の奴に言われたかねぇだろうよ」
「んだとてめえ!」
コブラが言った軽口にリザベラが切れてコブラにとびかかる。コブラもそんなリザベラと取っ組み合う。猫と取っ組み合っている様子はなんとも滑稽であった。
「ちょっとコブラ!」
「リザベラさん!」
キヨがコブラを、リコリスがリザベラを取り押さえて喧嘩を止める。
喧嘩中に飛び散りそうだった食事は全てヤマトとアステリオスが回収していた。
その様子をロロンがくすくすと笑って見守っている。
これが七人になったコブラたちの日常であった。
「けれど、本当に色んな国を巡ったんだね。コブラたちは」
食事を終えて、皆が荷物を持ちながら次の目的地に向かって歩いている最中、リコリスが話し始めた。
「あぁ。アリエス王国。タウラス民国。ジェミニ共和国。キャンス王国。レオ帝国。んで、お前らと会ったヴァル皇国。全部で六つだな」
コブラの言葉を聞いた後、アステリオスは何げなく自分の鞄から今まで貰った札を六枚取り出した。
「タウラス民国で僕が仲間になって」
「キャンス王国で私が仲間になりました」
「ジェミニ共和国の後、私はレオ帝国に帰還したので、六か国全てで試練を受けたのはコブラとキヨだけか」
「あぁー。確かに」
「そうね。コブラとだけはずっと一緒ね」
「へぇー、キヨとコブラって仲いいよね?」
リコリスが少し探りを入れるようにキヨの顔を覗き込む。キヨはそんなリコリスの意図など露知らず首を傾げる。
「うん。仲はいいんじゃないかな」
「この二人は別側面が見られるジェミ共和国では兄弟だったほどの仲だからね」
アステリオスが面白がってリコリスに言いふらす。
リコリスは驚いたよう声をあげた。
「二人は本当に兄弟じゃないの?」
「んなわけねぇだろう。髪色も違うし、俺は元孤児で、こいつは元王女様だ。ジェミ共和国の俺たちも血は繋がっちゃいなかったよ」
「ふーん。そうなんだ」
リコリスはそれでもキヨとコブラの間にある妙な仲の良さに疑問を抱いていた。
「リコリス。あの二人に限ってそれはないさ」
リコリスの様子を察したリザベラが彼女の肩に乗り、ぼそりと呟いた。自分の意図を読みぬかれてリコリスは顔を赤くする。
「り、リザベラのバカ!」
リザベラに怒り、二人で何やらはしゃいでいるが、ロロン以外は何が起こったかわかっておらず首を傾げている。
「あっ、ねぇコブラ」
「なんだよ」
リコリスが思いついたように表情をはじけさせると、コブラに問いかけた。
「キヨとコブラが兄弟じゃないとして、じゃあどうしてジェミ共和国のコブラは、お兄さんだったの?」
コブラはリコリスからの質問に答えられなかった。頭を捻るが、答えは出ない。
騎士団長コブラを見ていたヤマトやアステリオス、キヨも首を傾げている。
「そういえば。どうしてだろうな」
「家族愛に飢えていた……とか?」
「やめろよアステリオス。それなら一般家庭の子としての姿になるだろう。私がスタージュン卿に拾われたように。キヨの兄である必要はない」
「まぁ、わかんねぇならその話はやめておこうぜ」
「そうだよね。お兄ちゃん」
キヨがニヤリと笑いながらコブラの横に向かって歩いた。
「お前だからそれはやめろって言ってんだろ」
「えぇー、お兄ちゃん願望があったんでしょう? おにいちゃん」
「私もやるー! コブラお兄ちゃん!」
「やめろ! 二人してくっつくな」
キヨとコブラがはしゃいでいる様子を見たリコリスがキヨがいる方とは反対側を陣取ってコブラの腕にしがみついた。
コブラは歩きずらそうにしながら二人を怒鳴るが、二人はその怒鳴り声すら面白がってやめなかった。
「あたしもあやかろうかね」
そう言いながらリザベラもニヤリと笑ってリコリスの肩からコブラの頭に飛び乗った。
いきなり頭の重心が傾き、二人にしがみつかれているコブラはバランスを崩し、三人と猫一匹もろとも倒れ込んだ。
その様子を見ていたヤマトとアステリオス、ロロンは思わず失笑してしまい、ケラケラと笑った。
笑いながらコブラの左目を見たキヨは疑問符を浮かべながら首を傾げた。突然真顔になったキヨを不思議がり、コブラも、周りの皆もキヨを見つめる。
「ねぇ、コブラ。あんたの左目、そんなんだったっけ?」
「えっ?」
コブラの左目はまるで漆黒の瞳の中に無数の光の点が描かれている。
キヨはこの目に見覚えがあった。毎夜見る夜空の景色と同じなのだ。
ライブラ王国の最上部に位置する神殿・アストラ。
神殿内最奥部に位置する聖堂で一人の少女が巨大な像の前で跪き、両手を握り、祈るように目を閉じている。そんな彼女を探していたのか、聖堂の扉を開いた大柄の男が彼女に声をかける。
「リブラ様。探しましたよ。民がお待ちです」
「テミスですか。すみません。探させてしまい」
少女は祈りの姿勢は崩さぬまま、言葉だけでテミスと呼ばれた男に返事をする。テミスはそんな少女に膝をついて礼儀を尽くして跪く。
「いえ、リブラ様の祈りを邪魔してしまった私に非がございます。完了し次第、お越しください。マアトもシャマシュも待っております故」
「いえ、大丈夫ですよテミス。祈りは立った今終わりました。まもなく、星巡りの使者がいらっしゃると神託を受けました。とても楽しみです」
彼女は立ち上がり、テミスを見つめる。彼女の両目の瞳は光の粒が彩られている。その瞳はさながら夜に映る星空のようであった。
「では、参りましょう。我が盟主よ」
「えぇ、行きましょう」
白い装束を纏った不思議な瞳の少女はテミスについてゆくように歩く。その口元はこれから起こることへの高揚感で思わず笑みがこぼれてしまう。
「楽しみです。お兄様」
テミスにも聞こえないような声でリブラと言う少女はゆっくりと呟いた。
時を同じくして、コブラたちは第七の国、ライブラ王国へ辿りつく――。