矜 恃
若きオトゥール王は己が信念と現実との乖離に苦悩し、自室に閉じこもって食事さえろくに口にせず、沈思に耽っていた。
――もはや騎士の時代は終わった。自己の身を守りたいなら、国という単位を見つめて、協調しあわねばならぬ。なぜ彼らはそれをわかろうとせんのか。時代は変わりつつあるのだ。父君の世のように各々が矜恃にこだわり、国に目を向けないでいれば、遅かれ早かれ国は滅びる。隣国のクリフォーレ王、彼の有能さが予にはないというのか。予はそれほど愚鈍なのだろうか……。
王が閉じこもって三日目、国政に支障をきたしはじめたことを憂えた古老ニアード卿が居室を訪れた。しかし王は扉を開けようとしない。
「わが君、なぜそのように固持なさいますか。その理由を、この爺に話してはくれませぬか?」
「その必要はない。矜恃とやらがそれほど貴いなら、それぞれがそれぞれに己を貫けばよいではないか。王などいてもいなくとも変わりはせぬ」
騎士たちが己の満足ばかりを求める気質の拭いがたさを、即位してすぐに見抜いた犀利な王である。つむじを曲げて引き籠ろうが、聡明さに翳りはなかった。それを知ったニアードは少しながら愁眉を開いた。だがそれは「この王を育てたのは儂なのだ」という己の矜恃であるという皮肉に気づき、ニアードは思わず苦笑いした。
「しかるに、王は王であらせられる。それが賢王であろうが悪王であろうとです。王には王の為すべきことがあるのではありませんか?」
王は何も答えない。
「ブルーノにしてもハルバートにしても臣下の前に騎士でした。それゆえに彼らは騎士という立場でしかものを考えられなかったのでしょう。それと同じではございませぬか? 王には王の立場に見合った仕方がございましょう?」
「爺は不公平なことを言う。彼らは己と己の周囲にしか目を向けておらぬのに、予は己どころか予の周囲にある全て、あの覇気も盛んなクリフォーレ王にさえ目を向けねばならんのだ」
「わが君、それに違いはありません。広さの問題です。ブルーノらは己の視野にある者だけを見ればよい騎士という立場でした。王は己の国はおろか、隣国にも目を光らせねばならぬという立場の違いに過ぎませぬ。それがお嫌なら、臣下をお育てなさいませ。王の立場に立って広くものを見れる臣下をお育てなさいませ。時間は掛かりましょうが、やる価値はござりましょう」
「不公平だ」
若い王は不機嫌に言いかえした。
ニアードはしばらく黙っていたが、意を決して、「失礼ながら、そうしたお考えこそが、己しか顧みていない王の矜恃ではありませぬか!?」と叱責した。
「……」
閂の開く音がした。若きオトゥール王は少し恥ずかし気な顔で、ニアードを部屋に招じ入れた。
「あの時、予に弓を手渡したのは爺であったな。予はそれを忘れていた」
「ありがたきお言葉。今は少なくございますが、臣下はおります。信じて道をお進みください」
「すなまかった、依怙地なわからず屋だった。爺、予を許せ」
ニアードは顔をほころばせた。
依怙地な分からず屋と謝り、それを受容するのは、若き王と古老の二人しか与り知らぬ遣り取りだった。王のなかに謙譲の美徳が宿りつづけていることがニアードには嬉しかったのだ。
「それで、どうなさるおつもりで?」
「少し時間が欲しい。一応、策は練っていたのだが、今一度よく考えてみたいのだ」
それからというもの、城内では以前にも増して馬上槍試合が度々挙行された。試合には毎回、誰に仕えるとも知れぬ黒い甲冑に身を包んだ謎の騎士があらわれ、無類の英雄的奮闘を示した。感心した騎士たちは徐々に臣下としての矜恃に目覚めはじめ、遺恨試合はもちろん卑怯な手合せすら嫌うようになった。芝居じみたオトゥール王の振る舞いはすぐに周知の事実になったが、上階から眺めるのでなく、同じ大地に立って時には怪我を押し、血を流しながら、臣下の徳を身をもって教えようとする若き王の姿に、誰もが心を打たれたのだ。
そして、謎の黒騎士の噂は隣国クリフォーレ王のもとにまで届いたのだった。




