黒騎士
クリフォーレ王を警護する兵らは、権勢の幹からしたたる甘い汁を、あくまでも吸おうと決心しているのか、鍛えぬかれた体躯を誇示し、不敵に眦を吊りあげていた。傭兵くずれの者たちは、ご都合主義もあらわに、去就きめかねる面持ちで、対峙した双方を眺め、決戦場から遠い場所にいた男たちは、逃げ支度に忙しかった。
そうした士気の乱れを読みとったクリフォーレ王は、兵らを叱咤しようと叫んだ。
「臆病者の謗りをうけるのは我らではあるまい! 諸卿はそれを目の当たりにしなかったと言うか。盾に隠れなければ何もできなかった腰抜けを指揮したのはそちか。されば、トバイアスとか名乗った者こそが蚤の心臓ということになる。奇怪な木箱にせよ、雪の海を走る帆船にせ、正々堂々の精神など微塵もなき、卑劣漢のなすことであろうが。だが我らは違うはずだ。原野で悪辣な奸計に敗れたとはいえ、我らが騎士道精神に立ち上がったときがどうであたったかを、諸卿よ、思い出すがいい。戦いがはじまってよりこの方、勝利の酒杯はつねに我らの頭上にあったことを忘れるな。兵らよ、いきり立て、卑劣な者どもを打ち倒せ。忌々しい悪罵を吐く口を、もはやふたたび開かせるな!」
賢王も王であれば、悪王も王である。善悪に拘らなければ、一国を指呼の間に治めてきた男の弁は、鮮やかに萎えかけた士気を奮い起させた。その場にいる多数の兵が、喚声をあげて、クリフォーレ王に応えんとする意志を見せた。
「笑止千万! 智謀の将このトバイアスを指して、悪辣奸計な策士だと罵る卿らの王は何をした。卑怯卑劣の限りを尽くしてきたではないか。毒を用い、罠に頼り、油を放って火の海をつくり、山頂から岩塊を投げ落とすような卑劣な策をとれと命じる王に、騎士として忠誠を誓うのが卿らの矜恃か。ならばそれもよかろう。知恵なきものの悲しさとは所詮そんなところ。だが我らは違うぞ。槍試合に甲冑を着ぬ愚鈍な兵がおらぬように、我ら武器防具に甲冑ともいうべき盾をそなえたにすぎぬわ。雪原を走った船とて、知恵あるものの証である。この地にあって冬に絶えず吹く風を用いるは、雪野原を早駆けできる駿馬を数多く得た幸運と変わらぬわい。したがって、我らの戦いには一点曇りなき正々堂々さがあったと言うものぞ。いまだ騎士としての志ある者は、我らに加勢するか、武器を置くがよい。卑怯卑劣な王の奴隷として虚しく一生を送りたいなら、それもよい。だがその前に己が胸に尋ねるがよい。己は正道に生きるのか、邪道に生きるのかと。もとより我ら落ちぶれた徒輩の加勢など当てにしておらんが、せめて諸卿を人の道に背かせんとて申すまでのことだ。だが弁舌はここまでとしよう。騎士とは戦いにおいて、決着なすものと古来よりの不文律であるからな!」
両者の長広舌は雪原に響きわたり、逃げ支度をしていた兵たちを引き寄せ、戦意なき無数の野次馬を集めた。そのなかでトバイアスは、
「者ども、決して馬を止めるな。追撃をかわすまで走りきってから馬首を返し、また打つのだ。よいな、馬を止めるでないぞ。ゆくぞー!」
と一喝して、盾を構え槍を引き寄せ、馬腹を蹴って警護兵のまっただなかに突き進んでいった。すでに二十騎に満たなかったが、彼らが通り過ぎたあとには、血の泉が湧きだし、息絶えた死屍が伏していた。クリフォーレ王の警護兵にしろ、戦意衰えぬ兵にしろ、ほんとが徒歩であったから、なす術なく次々に討ちとられていゆく。
疾駆しながら一閃また一閃と繰りだされる槍さばきは血の池と屍の山を築きはじめた。だが、トバイアスらも無傷ではいられなかった。馬を打たれ落馬してとどめを刺され、互いに槍突きあって共倒れし、駆け抜けたと思った矢先に、背中から槍に貫かれ、一騎また一騎とその数を減らしていた。
それを見て、
「多勢に無勢、もはや勝敗は決しておるわい。今なら尻尾を巻くこともできよが、そうはいかん。貴様らはここで死ぬのだ!」
とクリフォーレ王が冷酷な嘲弄を浴びせた。
しかしトバイアスらの意志は固く、疾駆し一閃また一閃と繰りだす槍で敵兵をなぎ倒しつづけた。だが、数の差はいかんともしがたく、一騎討たれまた一騎と討たれと、徐々に数を減らされる。残るは数騎余となったとき、トバイアスは手綱を引いて馬を止めた。そして、同志たちに覚悟と謝罪の言葉を口にした。
「諸卿よ、無惨な最期になるであろことを許せ。だが、卿らの献身は決して無駄ではないと信じてほしい」
「もったいなきお言葉」
「もとより承知のうえです」
「小生、死すとも悔いはありません」
漂う悲壮感のなか、次々に兵らが答えた。
だがそのとき一人の男が、
「いいえ卿、我ら死には及びません。あれをご覧ください」
と言って彼方を指さした。
血塗られた死屍横たわる、赤と黒のまだらに塗りたくられ雪原、引き倒された天幕の向こうに茂った灌木。その灌木を飛び越えて、真っ白な雪煙を立ちのぼらせながら、無数の騎馬兵らが駆け寄ってくる。そのうしろ、少し遅れて姿を見せたのは二人乗りの戦車に腰を据えた、老卿ニアードであること間違いなく、戦車の手綱を取っているのは、誓いを立てたかつてオルトン卿の側近だった男。そして、そのうしろから黒装束の一隊が馳せ参じようと疾駆してくる。馬はもちろんのこと、騎乗する兵らの甲冑は全身くまなく黒く、その二十余騎の黒騎士隊からは、不気味な幽鬼が漂いでて、将と思しきもの馬上に黒いマントを翻し、恐怖を引き連れつつ、どこか凛とした佇まい、つき従う騎士の背の旗もまた黒く、中央に白抜かれた四葉のシャムロックは、目も覚めるほど鮮烈だった。
そのオトゥール王の軍勢は、早駆けしながら黒騎士隊を中心に陣を敷きなおし、地鳴りを引き連れながら、クリフォーレ王の軍勢にぐんぐん近づいて来るのだった。




