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第百三話 ジレンマ

作者: 水田 功

 山中幸盛は昨年十月一日にK総合病院で前立腺ガンの宣告を受け、アイソトープ検査で骨に転移していないことを確認して、いよいよ治療が始まった。十月十日から朝食後に男性ホルモンを抑える薬を一錠飲み続け、なおかつ十月二十六日には診察の後で、効果が四週間持続するリュープリン注射をだぶついたメタボ腹のヘソの横に打った。

 その効果は覿面で、精子が製造されて睾丸に溜まる『気配』がまるでなくなった。実に淋しい限りで「限界に挑戦する」と相方に宣言して射精しまくり、文字通り「太陽が黄色に見えた」若き日が懐かしい。

 そこでひらめいた。レイプや性的虐待などの性犯罪で捕らえて服役している男には、三度の食事の中に、これらの薬品をこっそり混入して食べさせればよい。いや、それでは刑期を終えて出所してから復活するので、再犯防止のため去勢手術を受けさせるべき、とかの法案を議員立法で提出する国会議員がこれまで登場しなかったことを不思議に思う。

 そのような人権無視の提言はさておき、幸盛はタバコを吸いたいがために、六十歳から血圧を下げる薬を服用し始めた。この薬の副作用としては、「めまい」や「ふらつき」があるらしいが、幸盛がそれを意識したことはない。

 そして今回の男性ホルモンを抑える錠剤の副作用として、「発疹・かゆみ、日光皮膚炎などの過敏症状が現れた時は、お薬の中止を要する場合もありますので、医師または薬剤師にご相談下さい。胸が張ることがあります」等とあるが、一カ月ほど服用したところでは、そんな症状は出なかった。

 ところが、十月二十九日の夕食後しばらくして、胸焼けのような、ムカムカした気分、吐き気が徐々にひどくなっていく。ちょうど、昨年六月に罹った胃腸風邪の症状と瓜二つだった。夜の九時を過ぎても一向に吐き気が収まる気配がないので、オエー、オエーとうめきながら車を三十分弱走らせてK総合病院の救急外来に助けを求めに行った。

 この日は月曜日の夜十時だというのになぜか人がうじゃうじゃいて、まるで日中のような賑わいだった。大手術を受けた患者や亡くなった方が大勢いて、その家族、親族、関係者等が雲霞の如く来院していたのかもしれない。

 診察を待つ間も吐き気に襲われ、ハーハーと肩で呼吸し、トイレに駆け込んでゲーゲー吐こうとするが胃液も出ず、両目に涙がにじむだけである。やっとアナウンスで呼ばれて診察室に入ると若い女医がいた。熱も下痢もなく血圧も平常なので、彼女の頭の中ではあらゆる可能性が錯綜しているのだろうがプロだから憶測では口を開かず、幸盛の哀願に応じて吐き気止めの薬を出してくれることと相成る。

 夜間なので病院内の薬局に処方箋を提出してから自販機で飲み物を購入し、薬を受け取ると直ちに、薬局の前のソファに腰掛けて飲み下す。すると、これは魔法の薬で、みるみる吐き気が収まっていき、帰宅してぐっすり眠りに就くことができた。翌朝起きてからも絶好調、現金なもので原稿を書く際にタバコをぷかぷかふかす無謀な行為も復活した。

 しかし、それから三週間後の十一月十九日。昼食後に原稿に向かっていると再びムカムカが始まり小説どころでなくなった。それが夜の九時を過ぎてもひどくなる一方なので、再びK総合病院の救急外来に駆け込んだ。この日も月曜日だったが、三週間前とは打って変わって人影はまばらだった。

 この日も若い女医が対応してくれたが、前回の人物とどこか別人のような気がしたので軽口は叩かなかった。そして吐き気止めの薬を出してもらうと直ちに服用したが、今回の吐き気は魔法が効かず、眠ろうとしても気持ち悪くて朝まで熟睡することができなかった。

 朝になって、もだえ苦しみながら考えた。ちょうど、女性が妊娠した時に襲い来るツワリがこんなものではないのかと思い立ってネットで調べてみると、あにはからんや、「原因はホルモンのバランスが崩れるためといわれているが、個人差が大きく医学的に解明されていない点も多い」とある。

 そこで病院でもらった小冊子『リュープリン注射を受けられる患者さんのための治療手帳』を開いてじっくり目を通してみると、『特に注意すべき副作用』の九項目の中に、

 ●肝機能障害、黄疸(からだがだるい、食欲不振、皮膚や白目が黄色くなる、吐き気、など)

 ●下垂体卒中(頭痛、吐き気、視力の低下、物がだぶって見える、など)

 と、二項目で『吐き気』の文字を発見した。幸盛の吐き気の場合もツワリと同様にホルモンのバランスが崩れているからに相違ないのだ。ツワリの場合は妊娠四~六週目ぐらいから始まり、十二~十六週目ぐらいまで続くらしいので、それに比べたら幸盛の一過性の吐き気などはカワイイものである。やがて、薬が効いてきたのか徐々に吐き気は収束していったが、しかし、あの苦しさは二度と味わいたくはない。

 「小説を書いている間だけタバコを吸ってもよろしい」というルールのおかげでこれまで原稿を快調に書いて来られたのだが、幸盛の吐き気の場合はタバコの吸い過ぎが九分九厘引き金になっているとしか思えない。 

 吐き気から逃れるために禁煙すべきか、吐き気が襲い来ることを覚悟の上でタバコをパカスカふかしながら小説を書くべきか、究極の選択を迫られている。



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