生い立ち 2
生い立ちです。
自業自得ではありますが、その時その時では最善の選択を続けたつもりです。
30歳になった僕は、不況の煽りを受け、出張する事になった。
千葉県内にある工場への出張だった。初めての出張、初めての一人暮らし、初めての職長という責任ある立場。初めて尽くしで不安はあったが、頑張って結果を出そうと躍起になっていた。
3ヶ月の予定だった出張は伸びに伸び、9ヶ月まで伸びてしまった。
自社と親会社の看板を背負った責任、他のメンバーの勤務態度の悪化、課せられた納期とコスト、品質の管理と責任だけが重くなって行き、だんだんと酒量が増えて行った。
18時間残業や日曜出勤は当たり前、積み重なって行く責任に押し潰されそうになりながらもなんとかノルマをこなし、出張は終わった。が、今思えばこの頃から鬱症状はあったのだと思う。
長かった出張から帰っても、地元では仕事が減少していて、更なる出張、出向が多くなり、壊れて行く心と身体に疲れてしまい、離婚する事になってしまった。
32歳の夏、10年来ネットゲームで親交のあった女性と再婚、これを機にもう一度頑張ろうと奮起する。
翌年長男が生まれ、更に頑張ろうと努力する。
この頃から嫁の影響で、ゲームセンターでプライズ仕様のパチンコを打ち始める。
次第にハマって行った結果、嫁に勧められてパチンコ屋に。運良くか運悪くか、ここで勝つ喜びを覚えてしまった僕は、仕事のストレスをパチンコで発散して行く事になる。
前妻に残して来た娘に対する養育費や、不況の為に下がって行く給料から、嫁に就職を打診するも、中々引き受けてくれずに一人で悩む事が多くなる。
長男を乳児保育所に預け、嫁に就職活動してもらうも中々仕事が決まらず、それでいて増えるばかりの支出からカード払いが多くなって行き、借金が増えて行った。
保育の条件として両親の就職があるのだが嫁は仕事を探さない日々、そんな時、第二子(僕には第四子だが)の妊娠が発覚し、それを理由に長男は保育所を退所する事となった。
悪阻に苦しむ嫁は次第に家事をしなくなり、代わりに僕が家事をするようになる。また、仕事も段々と忙しくなって行く…。
相変わらずの出向で、慣れない現場での仕事、増える残業、慣れない二交代。疲れて帰った先では家事に育児、嫁は朝から夕方まで寝て、夕方から早朝まで起きるという昼夜逆転生活を送っていた。
この頃、酒量はどんどんと増えて行き、毎日ハイボールを飲んでは深酒していた。
酒量を注意された僕は、度数96%のウォッカを煽るようになり、辞められなくなってしまった。
心と身体の疲れから、鬱状態が酷くなった時、こっそりとメンタルクリニックを受診した。
鬱病と診断され、安定剤と抑うつ剤、睡眠導入剤を処方されるも、アルコールで流し込む日々。
この時の一日は、朝5時半起床、6時出社、19時就業、20時に買い物に行き、惣菜を買い込んで21時夕食、それから3時頃まで子守の為に散歩に行き、深酒して寝る。
こんな毎日だった。
もちろん、こんな生活は長くは続かず、仕事のミスが出て来た時、職場で大きなミスを犯してしまった。
これが原因で休職し、自宅療養をしていたが生活状況は一向に変わらず、増える借金に迫る限度額、増え続ける酒量と薬…
そして2013年4月4日に…
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