これからもあなたと
部屋が薄暗くなっているのに気がついて、時計に目を向けた。もう四時半を過ぎている。
「あらやだ、準備しなくちゃ!」
こたつから出て、化粧台に向かった。
結婚してかれこれ三十年。子どもは二人いたけれど、上の男の子は大学合格と同時に家を出ていたし、一緒に暮らしていた娘も、つい先日お嫁に行って、とうとう夫と二人暮らしとなった。
私は鏡とにらめっこをしながら、コンタクトレンズを装着する。
目の衰えを感じてから、遠近両用の眼鏡を使っていたけれど、コンタクトでも遠近両用があると聞いて、購入してみたのだ。
眼鏡を外して鏡の中自分に笑いかけると、気持ちがなんとなく上を向いた。
「結構いいんじゃない? マイナス五才よ!」
ファンデを塗ってマイナス十才。口紅を塗ってマイナス……ううーん、十五歳?
体型ばかりはどうしようもないわね。それほど太めではないんだけど、やっぱり若い頃とは肉のつき方が違うわ。
真っ白なオフタートルの丈長ニットに細身のパンツを身につけると、姿見の前でくるりとターンをする。軽くて暖かなベージュのコートをはおり、ハンドバッグをつかんで家を出た。
そういえばこんな夕方に一人出かけるなんて、久しぶりかも知れない。今までは、暗くなってから家をあけることに罪悪感を持っていた。主婦だから、家を守らなくてはと思っていたのだ。でももう子どももいないんだし、私が家にいる必要もないんだわ。そう考えると、少し寂しい気持ちになる。
夕方とはいっても日が落ちるのが早いせいで、駅に着いた時には、あたりはもう真っ暗だった。
ホームに入ってきた電車に乗り込み、市街地へと向かう。重なりあう家々の屋根、その向こうに見えるビルの群れ。
近づく街は光にあふれていた。
だって、今日はクリスマスイブなのだ。
電車を降りると、冷たい風がホームを通り過ぎた。まだ降ってはいないけれど、これから雪になるのだそうだ。
駅ビルを抜け、待ち合わせの若者でごった返す駅前を通り過ぎ、私は待ち合わせのレストランを探した。
路地を入っていくと、その先に小さな看板を見つける。洒落た扉を押し開けると、軽やかな鈴の音とともに、黒いベストにエプロン姿の男性店員が「いらっしゃいませ」と出迎えてくれた。
「あの、予約をしていた葛城ですが」
「葛城様ですね。お待ちしておりました」
それほど広くはないが、せせこましいという程ではない店内。
店員に案内されると、彼はもうすでにテーブルに着いていて、文庫本を読んでいるようだった。
「待たせてしまいました?」
私がたずねると、彼はそれには返事をせずに「眼鏡、どうしたんです?」と聞きながら文庫本を閉じる。
「コンタクトにしてみたの」
私は、どう? というように、彼に顔を向けた。
「なんだか、昔に戻ったみたいですね」
彼は柔らかく笑った。
運ばれてくるお料理はどれも美味しかった。
「二人でフレンチなんて、何十年ぶり?」
しっかりとしたフルコースにお腹も心も満たされる。
後はデザートを残すだけとなったところで、彼が何やらモソモソとしはじめた。
「どうしたの?」
なんだか顔が赤いみたい。悪酔いしたのではないかと心配になる。
すると、彼の手が伸びてきて、テーブルの上に小さな箱を置いた。
何事かと驚いていると「聖子さん。今までありがとう。子どもたちは二人とも、とてもいい子に育ってくれました。僕は仕事ばかりで、家のことは任せきりだったから、君のおかげだと思っています」
姿勢を正して話し出す正一さんに、私も思わず背筋を伸ばした。
「開けてくれないかな?」
うながされて、テーブルの上の箱のリボンを解く。
中からはお花のように可憐な指輪が顔を出した。
「ダイヤモンド!?」
びっくりして、ただただ指輪を見つめた。
「夫としては赤点だったと思う。これからはゆっくりと君と過ごせていけたらと思っている。ずっと一緒にいてくれないだろうか?」
「やだ、なにいってるの……」
思わず目頭が熱くなった。
私たちはお見合い結婚で、プロポーズの言葉も記憶にはない。彼は忙しい人だったし、子どももすぐにできて、夫婦らしい時間はほとんどなかった。でも、彼以外の人なんて、考えたことはない。
忙しいなかでも、こうやって、いたわりの心をちゃんと見せてくれる人だった。
「当たり前じゃないの!」
目尻の涙をぬぐった。
「おめでとうございます! プロポーズ成功ですね?」
突然の声に背後を振り向くと、デザートの皿を持ったギャルソンがにっこりと立っていた。
帰り道。雪の舞う街路樹の下を、夫と手を繋いで歩いた。
「なんだかバカップルっていうやつみたいね」
「なに言ってるんです。いいんですよ。なんたって僕たちは新婚なんですからね」
目をみかわしてから、お互いにぷっと吹き出した。
クリスマスイブ。輝くイルミネーションと、舞い降りる雪。
二人っていうのも悪くないわ。
繋いだ指先が暖かいから、雪の降る夜は寒いから。
ね? もう少しだけ。私は彼に、そっと寄り添った。
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