悪役令嬢は婚約破棄を受け入れることにしました
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「ジュリエッタ=ラヴェルドリ!お前との婚約を破棄する!」
王立ルーヴェ学園の飾り立てられた広間に王太子であるルイ=ベルナール=ドゥルーファス殿下の声が響きました。
かつて魔術が発見された頃、数が少なかった魔術師たちを守り、育て、増やすために作られたルーヴェ学園。
設立から422年が経った現在、学園は貴族の子女に魔術を学ばせるという名のもとに人脈と少しの息抜きを与えてくれる場となっております。
そのルーヴェ学園の422回目を迎える卒業パーティで、ルイ殿下は私に婚約破棄を宣言されました。
サファイアのように美しい双眸には燃えるような怒りが浮かんでいます。
ルイ殿下の背後から愛らしい子爵令嬢が怯えるような表情で私を見ていらっしゃいました。
そして彼女を守るように周囲には4人の殿方が、いずれも厳しい視線を私に向けていらっしゃいます。
彼らから感じる憎悪の感情に、けれども私の心は揺らぎません。
なぜなら、私は今日、この場で婚約破棄がなされる事を知っていたのですから。
そう、私は今日起きるであろう、このイベントを1年ほど前から知っていたのですから。
私を突然の発熱が襲ったのは、学園の入学式の日の朝でした。
朝から続く熱に早めにベッドへと潜り込んだ私の体は、その晩、生死をさまようほどの高熱に苦しめられました。
そして、その高熱が去り、目覚めた私は愕然としました。
この世界が乙女ゲーム『ルーヴェ学園恋物語~令嬢と5人の貴公子~』の世界で、私は1年後に断罪され、婚約破棄されてしまう悪役令嬢だと知ってしまったのですから。
ーーもし記憶を取り戻すのが、もう少し早ければ運命は変わったのかもしれませんわね
もう何度目になるか数え忘れるほど繰り返した思いを飲み込んで、私はルイ殿下を見つめました。
その真っ直ぐな漆黒の髪のように揺るぎない心根も、身分に関わらず変わらず相手と接することが出来る価値観も、意外な繊細さも嫌いではなかった、と思いながらルイ殿下を見つめ続けます。
「何とか言ったらどうだ、ジュリエッタ!」
「理由をお聞かせ願えますか?」
視線はあくまでルイ殿下からそらさず、私は視界の端で周囲の状況を伺いました。
ヒロインであるロシェル=マルトー子爵令嬢を守るように立ち塞がる殿方たちの視線が、ますます厳しくなります。
「とぼけるつもりか!ロシェルに、あれほど酷いことをしておいて!」
「酷いこと?」
「入学式の後、彼女を呼び出し侮蔑したそうではないか!自分を差し置いて、子爵令嬢ごときが出しゃばるな、と!」
ゲームでは入学式で自分を差し置いて新入生代表となったヒロインに嫉妬したジュリエッタは、彼女を呼び出し嫌味を言うのです。
ルイ殿下の言葉のままにーー子爵令嬢ごときが、この私を差し置いてでしゃばるな、と。
「ルイ殿下、私、熱を出していて入学式には出られませんでしたの。翌日、お見舞いのお花を頂きましたわ」
私の言葉にルイ殿下は入学式の日の事を思い出したようです。
今のルイ殿下にとって、私の存在は忘れてしまうほどに薄いのだとわかり、私の中で覚悟が決まりました。
黙ってしまったルイ殿下を、私はしっかりと視線をそらさず見つめ続けます。
そんな私を嘲るような瞳で見ながら、義弟のヴィルジールが口を開きます。
「夏休みに我が家を訪ねて来た彼女を追い返したんだって?!」
青みがかった紫の瞳に怒りを隠すことなく浮かべて、叫ぶようにヴィルジールが言います。
そんな義弟に嘆息を飲み込みながら私も口を開きます。
「ヴィルジール、貴方には婚約者がいるでしょう。軽々しい行動は許されませんよ」
諭すように静かにヴィルジールを見ると、彼は私の視線から逃れるように俯きました。
プラチナブロンドの髪がさらりとその顔を隠します。
その反応の幼さに嘆息しかけて飲み込んだ私に、殿下のご学友のドナティアン=カサール様が口を開きます。
現在、我が国の将軍を務めていらっしゃるマルタン=カサール侯爵譲りの赤い瞳は怒りに燃え、その赤い髪をも燃やし尽くしてしまいそうだと私は思いました。
「廊下ですれ違う時に体が当たってしまった彼女に、気をつけろと言ったそうじゃないか?」
昨日の事のように、私はその日の事を覚えていました。
ずっと避け続けてきたロシェル嬢が体当たりしてきたのですもの、忘れる訳がございません。
あの日、避け続ければ運命が変わるかも、という私の淡い期待は砕けたのです。
「体が当たり、ひどく慌てた様子だった彼女に、お気になさらないで、と声はかけました。皆様が寮へ帰る時刻でしたから、どなたか覚えていらっしゃるのではないかしら?」
そういえば、そのような事がございましたわーーどちらかのご令嬢が呟く声に、目撃者の方々が賛同の声をあげて下さいます。
その声の多さにルイ殿下と同じく言葉に詰まったドナティアン様を引き継ぐように、アルヌール=フェルマー様が口を開きます。
「彼女を強引にお茶会へ呼び出し、周囲の方々と心のないことをおっしゃったとか……」
碧色の瞳を悲しげに翳らせ、ゆるく束ねた金の髪を震わせてアルヌール様がおっしゃいます。
私は気付かれないように一つ息を飲み込むと、アルヌール様にゆっくりと首を傾げてみせます。
「それは、いつのことでしょう?」
「……第九月の第三週、陽の日です」
アルヌール様の代わりに可憐な声で答えたのはロシェル嬢です。
その瞳には怯えではなく、訝しむような色がのぞいておりました。
私は彼女に視線を向けると意識して優雅に見えるであろう微笑みを浮かべます。
震える心を隠しながら。
「おや、その日はジュリエッタ嬢は我が家にいらしゃっていたよ。妹のお見舞いにね」
澄んだ声が広間に響き、一人の貴公子が周囲の視線を釘付けにします。
彼がにこやかな笑みを浮かべながら薄茶の髪をなびかせて歩を進め、私の傍に立ちました。
協力者の登場に私の心の震えが止まります。
ロシェル嬢が驚き見開いた瞳で彼を見つめながら「……ミカエル様?」と小さく呟いたのが耳に届きました。
彼女が驚くのも無理はありません。
彼ーーミカエル=トゥシャールは、このゲームの隠しキャラであり、本来ならこのイベントで彼女を守る位置にいるはずなのですから。
私が記憶を取り戻しまず行ったのは、運命からの消極的な逃避でした。
ロシェル嬢から逃げさえすれば、私の断罪イベントは起こらないのではないか、と甘く淡い期待から彼女を避け続けたのです。
けれど、ロシェル嬢の体当たりを受け私は考えを改めました。
このまま逃げ続けても、断罪イベントは起こると確信したのです。
そして、それが起こった時どうなるか遅ばせながら気づいたのです。
ゲームの中で悪役令嬢は斬首されたり、幽閉されたり、といった酷い結末を迎えることはありませんでした。
ただ王太子であるルイ殿下から婚約破棄を宣言され、卒業パーティで罪を糾弾されるだけです。
けれどこれはゲームではなく、卒業パーティでの糾弾はーーたとえそれが冤罪であっても証明出来なければ我が家の名誉に関わります。
ですから、私は断罪イベントを徹底的に回避するためにーー冤罪を逃れるために、協力者を用意することにしたのです。
ミカエル様の登場に安堵した私を見透かすかのようにジルダ=リザラズ男爵が口を開きます。
銀色の瞳が静かで冷たい光をたたえて私を射抜きます。
「私からもよろしいでしょうか?」
「……伺いますわ」
「魔術実習での暴発事故の件はどう釈明なさいますか?貴女ほどの方が暴発事故などと……」
魔術が発見され魔術師と呼べる方々が少なかった当初はともかく、現在の貴族の子女はほとんどの者が幼い頃から魔術を学びます。
私も幼い頃から魔術を学び、その実力は学園でも屈指という評価をいただいております。
そんな私が魔術実習で暴発事故を起こすなどーーまして、その暴発先にロシェル嬢がいるなんて、作為的だと感じる方々がいらっしゃるでしょう。
ましてリザラズ男爵は平民ながらに天才的な魔術の才を買われ、男爵位を賜った方です。
魔術の暴発などという失敗を一度も経験したことがない彼は、暴発事故が作為的なものと疑う余地もなかったのでしょう。
「……あの件は、本当に申し訳なく思っておりますわ。私からロシェル嬢に、そして我がラヴェルドリ公爵家からマルトー子爵家へ謝罪とお見舞いをお送り致しました。学園に調査もお願いしました」
幼き日から慣れ親しんだ自分の魔力が制御を逃れて人を襲うーーその感覚を思い出して、私は少し瞳を伏せます。
どれほど必死に制御しようとしても、魔力は私の手から逃れ、ロシェル嬢へと向かって行きました。
あの瞬間、私は運命から逃れられないのだと思い知り、絶望しました。
あの時の冷たい絶望を思い出し、動けなくなった私を勇気付けるかのように、そっとミカエル様の手が肩に置かれました。
その大きな手から感じる温もりに私は視線を再びルイ殿下とロシェル嬢へと戻します。
ミカエル様が一歩前に出てリザラズ男爵の視線から私を庇って下さいました。
「学園からの調査結果も出ているよーー事故だった、とね」
ミカエル様の言葉にリザラズ男爵もまた口を閉じました。
男爵であるリザラズ様が公爵家の子息であるミカエル様に異をとなえる事は出来ません。
それを見たルイ殿下が再び口を開きます。
「再調査を学園に命じる!」
「えぇ、どうぞご自由に殿下。ところで、先ほどの婚約破棄の件ですが、それほど手をかけて頂かなくとも、承りますわ」
「なに?」
驚いた様子のルイ殿下を私は見つめます。
その様子を見て私はルイ殿下がこの婚約の真実をご存知ないのだと確信しました。
ならばせめて、それを知らせるのが私にできる最後のはなむけだと、そう思いながら口を開きます。
「このような場で申し上げる事ではございませんが、この婚約は王家よりの要請でした。ルイ殿下の母君は失礼ながら伯爵家の方……その後見の力を強めるために我がラヴェルドリ家が選ばれたのです。けれど、今回このようなことになりまして、とても残念に思います」
顔色を悪くなさったルイ殿下は、ようやくこの婚約破棄がもたらす未来に気づいたのでしょう。
ルイ殿下が王太子となられた後、公爵家より妃につかれた方が王子をお産みになりました。
もう少し早ければ、と側近たちが嘆きながらもルイ殿下が王太子の座にあられたのは、ルイ殿下自身の才と目に見える失態がなかったこと、そしてラヴェルドリの後見があったからこそでした。
私との婚約破棄がなされれば、ルイ殿下は王太子の座を退くことになるでしょう。
そんな未来に気づき押し黙ったルイ殿下を庇うようにヴィルジールが叫びます。
「姉上との婚約が破棄されたから何だっていうのさ!僕が次の公爵になって殿下を支えるよ!」
「いいえ、ヴィルジール。お父様は貴方の廃嫡を決めました。元々、貴方は私とルイ殿下の婚約により跡取りがいなくなる為にラヴェルドリが養子として迎えたのです。私の婚約が破棄される以上、私がどなたかを婿に迎えれば問題ないのです」
ヴィルジールは元々、ラヴェルドリの遠縁から迎えられた子です。
その奔放なところから公爵家を継ぐことを問題視する声もありましたが、彼もまた婚約者の家柄と人柄により公爵家の跡取りであることを許されていました。
けれど、このような失態を犯したのです……彼もまた婚約者を失い、継承権を失う事となるでしょう。
ルイ殿下とヴィルジールは沈黙する中、私はちらりと残りの殿方に視線を向けます。
カサール侯爵家にもフェルマー侯爵家にも他に跡取りとなれる方がいらっしゃった筈です。
彼らもまた、それぞれの家の継承権を失い、そう明るくない未来を歩む事になるのでしょう。
リザラズ男爵にいたっては陛下のご決断によっては爵位を失うかもしれません。
そして、このような事態を引き起こした張本人であるロシェル嬢にも、何らかの罰が与えられるでしょう。
彼らの暗い未来を少しだけ悲しく思いながら、私はそれを押し殺して微笑みます。
私が同情したところで未来は何も変わらないのですから。
「それでは、御前を失礼させていただきますルイ殿下」
指の一つまでも気を配り優雅に見えるであろう礼をして、もう会うことのないであろうルイ殿下の青い宝石のような瞳を見ます。
あの瞳に自分が映る瞬間が、私はーー好きでした。
一度決めると真っ直ぐに進み続ける純粋さも。
皆に平等に振る舞える寛容さも。
時折見せる繊細な心遣いも。
親が決めた婚約者でしたがーーそれ以上には彼が大切で、守りたくて。
それでも家を捨てる事は出来はしなくて。
その結果が、この誰も救われない茶番劇です。
あぁ、なんて滑稽なことでしょう。
そんな事をどこか他人事のように思いながら、私は広間を後にしたのでした。
これでいいのだと言い聞かせながら。
こうするしかなかったのだと、自分自身に言い訳しながら。
それでも……
……なんとも空しい幕引きだと、塗り変わった運命に一抹の寂しさを感じながら。