Ⅲ
「……胸焼けしそうだ」
月が出ている空を、ベランダに出て見上げている。
澄み切った空気、少し肌寒いとも思える暗闇。何のにおいもしない、ただ光と車の遠い音だけが五感を刺激する。少し足を動かせば、スリッパがコンクリートをたたく音がやけに大きく聞こえる。
しかし焼肉屋で少し食べすぎたらしく、胸がむかむかし、腹が少し気持ち悪かった。胃からこみあげてくる空気が、自分は人間で、有機物の塊なんだということを思い知らされる。
「……はぁ」
ため息だ。
私はため息をついた。
……なぜ。私はため息をついたのだろう。
考えられるのはやっぱり、あの化け物だろう。もちろんプレイヤーズのことで、二人が新しく加入したということに関して、どうなるのかという心配がないことはない。自分が何か望んでもいない方向にことが進んでいることが、嫌なのかもしれない。望んだ方向というのはないのだけれど。
……話がそれた。化け物のことだ。
今まで散々迷惑をかけられて、追いかけまわされた化け物ではない――あの、雨の日に出会った、無色の化け物だ。
無色の化け物。
色、というものが化け物には重要な要素となることは、これまでの経験則ではっきりと分かってきたことである。しかしその中で、無色がどういう役割を持つのか、ということはまったく知らなかった。
暖色系、寒色系。
彩度、明度。
しかしそのどれにも関わらない、透明。
無色透明の化け物。
ともすればそこに何もないように見えてしまう化け物。それでも姿の形だけははっきりと分かる。ガラスのような、スライムのような。透明だけれどはっきりとそれだけは簡単に分かる。
「あれは……なんだったんだろ」
いつもの化け物とは様子が違った。決定的に。いつもは私が何もしなくとも近づいてくるのに。
その時は、むしろ私は化け物に近づくことさえできた。あんな奇妙で不気味な形をした化け物だが、慣れてしまえば形にはなれる。重要なのは、私のことを見向きもしなかったこと。
それだけだ。
「……わかんない、なぁ……」
何が?
全部だ。
化け物の存在から、なにから考えて全部。
どうしてをすべて並べてみようか。
どうして化け物が存在するのか。
どうして化け物はあんな姿かたちをしているのか。
どうしてジャックたちは特殊能力を持っているのか。
どうして化け物は倒してもまたよみがえるのか。
どうして化け物には色があるのか。
どうして化け物は色によって苦手とする人がいるのか。
どうして化け物は人を襲うのか。
どうして化け物は私のことを追うのか。
どうして化け物はあのとき無色だったのか。
どうして化け物はあのとき私を追ってこなかったのか。
多すぎる。
「……考えるのも嫌になってくるな」
自分の本音を正直に告白してみた。
なぜ、どうして、疑問点ばかりがわいてくる。それら一つ一つをすべて解決しようと考えていては、どうしようもない。この一か月足らずで、私の周りでいろいろなことが起こりすぎている。私の処理能力を、ゆうに超えている。
「……まあ、あのときよりはマシか」
あのとき。
そう、あのときよりは。
小学生の向こう側の記憶よりは――
まだはるかにマシだ。
奥歯を噛みしめる。
――私は誰もいない家の中を見る。
一人暮らしなのだから、誰もいないのは当然だった。