Ⅰ
レンドくんとカノンちゃんへの挨拶を終えたあと、私たちは紗那の提案で焼肉屋に行くことになった。町のほうにある店で、紗那曰くなかなかに有名なところらしい、が、私は全く知らなかった。無理もないだろう。だって私は何も知らなかったのだから。
店内にはじゅうじゅうと肉の焼ける音が、軽快な音楽とともにこれでもかとばかりに響いている。薄暗い店内に肉を焼くにおいと煙が充満する。はじめ店内に入ったときはその脂っこさに思わず顔をしかめてしまったが、今はもう慣れてしまった。しかしそのことに意識を向ければ、思わずくらっとしそうになる。
あまり頻繁に訪れたくはないところだ。
店員さん本当にすごいな……。
「ああっ! それ私のお肉ぅー!」
「んだとぉ!? 俺のだっつーの!」
……レンドくんとカノンちゃんを歓迎するための食事だと紗那は言っていたが、そんなことはお構いなしに、肉を貪るように食べていた。急ぐように。何かにせかされているように。そこまで急がなくてもいいだろうと思ってしまうくらいに。
そしてそれはジャックも同じなのだった。肉を焼いては食って、焼いては食って、焼く肉がなくなったら注文して。その一連の動きがまったく止まることのないように、どうしてそこまでするのか分からないほどに、効率化されていた。
……そこまでしなくていいだろうに。
「……あの、あんなに食べていいんでしょうか」
カノンちゃんが私に質問してくる。ちなみにこの場にいるのは紗那とジャック――となりの席に――そして私の隣にカノンちゃん、向かい側にレンドくんだった。ルートさんは用事があるとかでこの場にはいなかった。
「うん、食べること自体はいいことだよ。ルートさんのおごりで食べ放題だし。……もっとカノンちゃん、お肉食べたら?」
「……お肉……は、ちょっと……」
そう言いながら、カノンちゃんは野菜を食べる。お肉に巻くとかいうあの葉っぱだ。キャベツのようなレタスのような。でも明らかにそれとは違う、あの野菜はなんだっけ。……スーパーで見たことがある気がするんだけど。普段食べないものの名前なんか覚えない。
「しっかり食べないと大きくならないよ、かなめ」
「で、でも……お兄ちゃん……」
お肉を食べないと大きくならない、か。確かに、これから成長期真っただ中に突入するカノンちゃんにとって、大きくなるのはとても大事だ。今はとても幼い顔立ちをしているものの、これから成長したら美人になるだろうと思う。私のような人には絶対にならないだろう。女性的魅力に溢れた、素晴らしい女性となるだろう。なあに、まだ小さいんだ。これからどうにでもなる。
……なんて、私もまだ小さいんだろうけど。高校生の分際で何を言っているんだという話だ。そんな年増みたいなことを言う歳では、まだない。
「でも僕、こういうお店初めてで、ちょっとよく分かんないんですよね。このはさみって、そのままお肉を切っていいんでしょうか」
「えーっと、えーっと……」
紗那のほうを見る。手慣れた手つきでハサミで肉を切っている。流れるような動作で肉を切り、ハサミを収納、そして割りばしに持ち替えタレにつけ食す。舌鼓をゆっくりと感じる時間も惜しいようで、口に放り込んだ瞬間に違う動作に移行している。そんな急いでいる紗那にあきれた目をやって、私はレンドくんに振り返った。
「うん、その使い方で合っているみたいだよ」
「なるほど、なかなか大胆ですね」
「まあ確かに、お肉を切ってから焼くよりも、焼いてから切ったほうが楽だけどね」
そう言いながら私も焼けたお肉をタレにつけ、あの野菜を巻いて食べる。歯を突き立てたときの感触はまず野菜。肉はその後少しの咀嚼があった後だ。ふむ。やわらかいしいつも食べる肉よりもやわらかいしおいしい。ただまあ、それ以上の感想は思いつかないのだが。そんな高級の肉って言ったって、こういう風に食べ放題に出しても大丈夫なくらいの値段なんでしょ? と考えてしまう。
……店員さんには悪いけど。
しかしそんなお肉であっても、貪り喰らう人たちが向こうのテーブルに二人ほどいるんだから救いはあるんだろうけれど。
「……リーダーって、料理されるんですか?」
レンドくんが私の発言を受けて質問してくる。ああそうか、実際に肉を調理しないとわからないことだからなぁ。
「まあ、ね。人並みには」
人並み程度のことしかできないし、人並み以上のことできるわけではない。好みとかそういうのはないから、むしろ人よりも劣っているというべきだろう。
「へぇー、そうなんですか」
レンドくんはそんな相槌を打ちながら、肉を食べる。ご飯も食べる。初めてとは言っていたが、なかなかしっかりした食べっぷりだ。
「……お兄ちゃん、これ、焼いていい……?」
お肉を指さしながら、カノンちゃんはおずおずとした様子で聞く。おや、お肉を食べようというのか。もうすでにほぼ焼けている肉もあるというのに、自分で焼きたいのだろうか。
「焼くのは別に構わないけど、やけどとかするなよ」
「う、うん」
おそるおそるの箸使いで、肉を鉄網の上に乗せる。じゅうという音とともに肉が網目に沈んでいき、めらめらと燃え盛る火にさらされている。肉の油がしずくとなって垂れていく。そんな、一見すれば食欲をかなりそそるような情景も、私はもう慣れてしまって、何も感じなくなった。
食欲も、慣れてしまえば湧かなくなるのか。人間の本能なんて言うのも大したことないんだなと思ってしまった。いや、もうある程度食べてしまったからなのか。腹が膨れてしまったのなら、もう食べたいと思う気もなくなるということか。
「この野菜にくるんで、たべるの……?」
「うん。皿に乗せて、葉っぱを巻いて……」
レンドくんも初めて焼肉屋に来ているはずだが、そんなことはおくびにも出さず、カノンちゃんをリードする。
「…………」
この二人が、これからの化け物退治に加わるのか。私より幼い二人。ジャックではないが、私にも年下に頼るのは少しやるせない気持ちもする。年上としての威厳とか、そういうのはないけれど。
危険が伴う――ということはいつも思うことだ。学校の中庭で受けた紗那のあの傷。痛々しいことこの上ない。隣のテーブルで手と口を動かしている紗那を見る。あの背中には深い傷があるのだ。私はそれを間近で見てしまっている。あの制服から赤いものが噴き出し、白く露出した肌がスパッと切れてしまっている様子が、今にも目に浮かんできそうだ……。
おぞましいものだ。
それこそ、この焼肉で肉を断つように。
動物の肉を切るのとは勝手がまったく違う。
紗那自身にこんなことを言っては気にしないでいいと言われるかもしれないが、気にせざるを得ない。人の血が、あそこまであからさまに噴き出しているのを見たのは初めてだったから。血を見るのが初めてというのは、もちろん違うけれど。
でも、高校生にもなって、久しぶりに見るものであった。
「……ふぅ」
おなかも少し膨れてきて、ため息をついてしまう。この肉でさえ、屠殺場で動物が殺されているのだろう。豚が、牛が。これまで生きていた人生をすべて捧げて、人間のための肉になっている。……豚や牛の一生を人生と言っていいかはわからないけど。でもそうやって生きていたのだ。死ぬために。生きてきた。
つくづく人間という生き物がどれだけ恵まれているかを痛感させられるものだ。食物連鎖の頂点に立ち、こうしてほかの動物をタベホウダイなんて言って貪り食うとは。
……途中で何を考えていたのかを忘れてしまっていたが、要するに生死なんてものは、身近にあったりするということだ。自分の存外身近に。でもそれをいつも隠している。焼肉屋さんで豚や牛を解体しないように。怪我をしても絆創膏で塞ぐように。殴るときは見えないところに、とか。最後の一つは暴力的な話だが、つまるところそういうことだ。
もし紗那が傷を、例えば腕や――顔に、負ってしまっていたら。今のように元気にふるまうことは、紗那ならできることかもしれないけれど、難しいことであるだろう。隠しきれないから。傷を、隠せないから。
幸運だったのだろう。
普通に生活ができていることが。あの化け物にであって。
「ほら、手が汚れてる。ほら、これで拭いて」
「う、うん」
紙を卓上から一枚とって、私の隣のカノンちゃんに渡す。
この二人は、そういう幸運には巡り合えなかったのだ。児童保護施設――孤児院にいたというのだから、両親とは別れているのだ。死別しているのだと思う。それも、二人とも。レンドくんとカノンちゃんがどんな家族構成をしていたのか、そしてそのあとどういう経緯があって児童保護施設に入ったのかはわからない。しかし背中の傷では済まない傷を負ったのだ。彼ら自身と化け物が接触したはずだからどこかに傷を負っているはずだが、それ以上だ。両親を失うなんて。
……それは私の妄想に過ぎないのかもしれないけどさ。
「ねーリリぃー!」
乱雑ともいえる声を横から聞いて、私の思考はそこで完全に途切れてしまった。なんだ。ここまで無神経に呼ばれては、いままで考えていたシリアスが台無しだ。
「……何? 紗那」
私を呼びつけて何をしようというのか。使いっぱしりとかだろうか。そんなの嫌だぞ。紗那のわがままに振り回されるのはもう嫌だ。金輪際。
「ドリンクバーちょっと行ってきてー。コーラね!」
「おう、じゃあ俺もお願いしようか。コーラで!」
……予想通りだった。というかジャックも乗ってきてやがる。面倒だ。
「……自分で注ぎに行けばいいのに」
「だって! ジャックが私の肉とるんだもん!」
「はぁ!? お前が取ってるんだろ!? てめえ言いがかりはやめろよ!」
「なにをぉ!? リリ! ちょっと早く行ってきて! こいつにもうこれ以上取られてたまるかってんだー!」
「……はいはい」
うるさい。
私の初めての焼肉、食べ放題の感想はそれだった。