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吉光里利の化け物殺し 第二話  作者: 由条仁史
最終章 本当に欲しかったもの
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 ようやく、紗那を撒くことができる。紗那を倒した、なんて一言でまとめられることだけれど、暴力的な手段を使って、何とかできた。

 ……まさか自分が誰かを倒すことができるほどの力を持っているとは思っていなかったが、案外行けるものだった。力なんてもの、あまりなくても大丈夫ということか……いやまあ、私じゃあ、ジャックに勝てるはずもないんだけど。もちろんルートさんとも。今回はただめぐりあわせがよかっただけだ……相手は紗那だったし、私の精神状態もそんな感じだった。


 そんな感じ。

 人を殴ろう、倒そうとする感じ。

 ——まるで、あの人のようだ。

 私は——あの人のように、人を、殴ってしまった。


 人を。

 人を。

 私を。

 私を、殴る——


「……ぐ、っ」


 息が荒くなり、たまらず、しゃがみ込む。まずい。体の節々が痛くなってくる。紗那にさっきやられたおなかと背中だけじゃなくて——あちこちが。紗那に加えられたダメージ量以上だ。これは、間違いない。あの時のことを思い出して……。

 しまったなぁ……もう、思い出さないようにと思って家出したのに。これじゃあ、何のために家出をしたのかわからない。もっと、遠くへ……もっと、遠くへ……。


 って、しゃがんでちゃ前に進めない。早くエレベーターのボタンを押して、階下に行かないと。ルートさんの部下がいつどこにいるかはわからない。さすがにルートさんの部下には勝てないだろう。そこまで力は強くない。

 ……やり方は知っていても。

 もっとも、ヒステリックなやり方だから、武道のように相手を圧倒することはできないんだろうけれど。自分より体格の小さい人に対しては有効なんだろうけれど……紗那も、あの一撃で沈んでくれたからこそできたことだ。あそこで反撃されていたら、決着は逆になっていただろう。


 それよりも……何とかして、立ち上がらないと。

 ——立ち上がると、また殴られる。なら、このまま死んだようなふりをしていれば。


「……ちっ」


 違う。その考え方はしない。死んだふりをして、この場をどう切り抜けるというのか。忘れていた考え方だけれど、これほどまでに思い出してしまうとは……トラウマとは恐ろしい。

 ……引き金は、私だったんだろうけれど。


「……さと、り?」


 紗那が声を発する。急にしゃがみ込んだ私を見て、どうしたのかと思ったのだろう。くそっ……このままでは、また逆になってしまう。


「さとり……だい、じょう、ぶ……?」


 紗那は、衰弱したような声で、私に話しかけた。

 ——その内容に、私は驚愕した。


「えっ……」


「だから……さとり、どうしたの……? 何か、体調が……悪そうだけど」


 もしかして……私の心配をしているのか? どうして? 自分を殴った人間を、どうして心配できる? 心配される義理はない。自分を傷つけた人間の安否なんか気にするものか。自分の心配をするべきだろう。自分が負った傷を、どうにかするのが先だろう。他人の心配をしている暇なんて、ないはずだ。

 肉体的にも、精神的にも。


「別に……自分の、心配をしなよ」


「できないよ!」


 紗那はどうしてか、叫んだ。

 私は紗那のほうを見る。

 紗那は、私のほうをぎらっ、と見ていた。立ち上がろうと、身体を踏ん張っている。

 息も、上がっている。

 体力は、もう限界なのだ。もう、立ち上がるのもつらいのだろう。脚に直接的に攻撃を加えたわけではないけれど、頭、腹、背中——急所のいくつかではある。そこを攻撃されて、辛くないわけがない。私は大してダメージを追ったわけではないけれど、そのつらさが想像できないわけではない。だって、知っているから。


「さとりに、何か辛いことがあったのは分かってるよ……辛いことがなければ、私をこうして、殴る必要なんてないもんね。……だから、さとりに何があったのか、それが知りたいんだよ」


「…………」


 嘘だ。

 そう思った。

 紗那の言葉を聞いていると、どうにも、私のことを気遣っているように聞こえる。私のことを大事で、大切にしなければならないと考えているようだった。


 無論、そんなことはありえない。

 私を承認してくれる人なんて、何処にもいないのに。そのくらい分かっている。私がどれだけ嫌な奴で、クズ野郎なのかくらい、自分で分かっている。そんな奴を好きになるだなんて、ありえるわけないだろう。ありえない。そんなこと。ありえるはずがない。


 ……あるんだったら、私はこうして、心をなくしているわけがない。

 そんな人がいるんだったら、私は——私は!


「……私に何があったか。知って……どうするの?」


 どうもしないだろう。

 クラスにいる人たちみたいに、他人の嫌な部分だけを娯楽のように聞き、ただその場で消費するコンテンツとして楽しむ。なんて下種な考え方だろう。どうせ、紗那も同じような考え方だろう。どうせ、紗那も……私を、見下している。


 分かっているんだ。

 あらゆる人に、私は見下されているということくらい。

 クラスの全員。先生。そして紗那も、ジャックも、ルートさんも。

 私を見下して、優越感を得ている。だから私には誰も近づかない。私に近づいてくる人間は、みんな私を見下すように見る。蔑むように。人間以下の何かを見るように。

 だから、私もみんなのことを人間以下のものとして見るようになった。


「どうせ、なにもできないんでしょ? はは、知ったところで、紗那、あんたになにができるの? あんたに、私の何もわからないよ」


 そう、分かるはずがない。私がどんな目に遭ってきたのか。それが原因で、何があったのか。誰にも分からないだろう。誰にも教えるつもりはない。誰にも教えずに、私はこの思いを、この思い出を封印するんだ。

 忘却という形で——封印するんだ。

 誰かに分かるはずもない。誰にも分かるまい。私のことなんて。


「分からなくても……分かりたいんだって!」


 紗那は再度叫ぶ。激しく言って、私のほうを向く。

 目には——大量の、涙があふれていた。


「ねぇ! どうして! どうしてそんなこと言うの!? 私が、さとりのことをどれだけ心配してるか……分からないの!?」


 紗那が、私を、心配している?

 ……ありえない。ありえないんだ。多くの友達を持ち、社交性もあり、誰とでも仲良くできる紗那に、私を心配する義理なんてない。誰とも何も関係しないことを信条にした私に、関わっていこうとする時間なんてないのだ。

 そんな無駄な時間を、かけてどうするというのか。


「どうして……ねえ、どうして!?」


 どうしてはこっちのセリフだ。どうして紗那は、そこまでする。私にどうして、ここまで執着する? 紗那に執着されるようなことは、何もしていないのに。私なんかに、執着する理由なんてないはずなのに。


「……こっちこそ聞きたいよ。どうして私にここまで関わってくるの? 私のことを知りたいって、知って、何がしたいの?」


「助けたいに決まってる!」


 紗那は、私の目をじっと見据えて、そう言った。

 さすがに、心が揺さぶられた。

 ——助けたい? 私を?

 そんなことをして何になるというんだ。私の心を揺らして、紗那は何がしたいんだ。どうして紗那は私なんかにかまっているんだ。助けたい? そんな——そんな言葉を聞いたら——



 すがりたくなってしまうじゃないか。



 私はしゃがんだまま、紗那に向き合う。紗那は膝立ちのまま、私に近づいてきた。


「私は——さとりを助けたい。それじゃダメなの? さとりが助けてほしくないって言ってるからって……私は助けたいの!」


 そんな、まっすぐな好意を向けられたら。


「さとりをもう一人にはしない! そばに私がいるから! だからもっと頼ってよ! 私なんて信用できないのかもしれないけれど……でも、私はさとりに信じてほしい! さとりに、好きだって言われたい! だって、私も——」


 それ以上、言われたら。



「さとりが、好きだから!」



 涙が、こぼれてしまうじゃないか。


 ——どうして、どうして。

 疑問詞が頭の中を絶えず駆け巡る。でも、その後ろに——幸せの色をした、それも舞っていた。きらきらとした、何か。私が見つけられなかった——いや、見ようともしなかった何かが、見えた。


 それはたとえば——愛とか、友情とか。

 そんなものだ。

 そんな——美しいもの。


 私にはまったく、縁のなかったもの。

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