Ⅲ
近いので、なんとなく階数は分かる。14階……イベントの設営だかで封鎖中と書いてある展望台か。なるほど。上に行けるだけ行って、そこから降りることで私を巻こうとする算段か……でも、私にとってその錯乱はあまり意味はない。幻像創造の副機能、場所の探知。その機能さえあれば、どこまでもさとりを追える。
……能力が切れない限り。私の幻像が、まだ続いている限り。
いつ消えるか、なんて実験したことはないけれど……精神力だろう。
一晩、寝ずに起きて、ここまで来たのだから。
「まぁ、一晩で見つけられたのは幸いだけどさ——!」
エレベーターが開く。14階。ちょうど、鉢合わせをする形にある——私の幻像がすぐにそこにあることが分かる。
エレベーター内には私以外、誰もいない。
だから、開いた瞬間に走り出す——
「——っ!?」
扉が開いた瞬間、さとりの姿が見えた。さとりの——鉄パイプか何かを持っている姿が。
私にそれを、振り上げている姿が。
「……だぁっ!」
ぶん、と振り下ろす寸前に、私はさとりに向かってタックルする。
腰をかがめて、一気に押し込む!
「——ぐっ!」
さとりのうめき声。耐えきれず、足がスリップする。
だが、さとりもそこで攻撃をやめるようなたまではない。
さとりの背中が地面に当たった、その瞬間。体が一瞬浮いたときに、さとりは体の軸を回転させた。
二回目の着地。私の肩に衝撃がかかる。さとりは体をぐい、と起こし、私に対してマウントポジションをとる。マウントポジションと言っても、胸の上に乗っているから正確には違う。
でも、武術の素人である私にとっては何もできないも同然だった。
「……っは!」
肺に、息が入らない。
くそう!
ごめん、さとり!
私はまだ自由な足を思いっきり上に振り上げた——厳密には膝を、さとりの背中に突き当てた。
さとりは声にならない悲鳴を上げた。上半身がこちらに倒れこむと同時に、腰が浮く。その隙をついて、さとりの股の間を抜ける。
エレベーターの自動扉が閉まる。
まわりに人は——いない。
「……くっ。紗那」
「……どーも、さとり」
おなかと背中を押さえるように、さとりは立ち上がる。私もそれに追うように立ち上がる。
「話をしに来たよ」
「へぇ……話にね」
「うん」
「連れ戻しに来た、ってことだよね?」
「……いや、話をしに来た」
「なるほど、説得、ね……。紗那ならできると踏んだわけだ」
「ルートやジャックの意志は関係ないよ。私の意志で来た。さとりに——話をしに来た。さとりがいなくて、寂しいから来たんだよ」
「……そーゆーこと、やすやすと言うもんじゃないよ」
さとりは鉄パイプを構えなおす。素人の構えだろうけれど、人を殴りやすい体勢だということははっきりと分かった。
……どこでその持ち方を習ったのか。
とにかく——
「だから、話をしに来たんだって。戦いをしに来たんじゃない」
「…………」
「とにかく、その武器を下ろして」
「……そう、紗那にとっては、この方法は嫌なわけだね」
「……? 当たり前でしょ。誰も痛いのは望んでない。他人を痛めつけようだなんて、そんなの怖いでしょ。……それを言うなら、戦うなら、化け物と——じゃない?」
「……能力戦、ね。卑怯じゃない? 私は能力なんて持っていないのに」
「武器があるじゃない。その。というか、私はただ話し合いをしに来ただけで——」
はは、とさとりは口をゆがめた。
「ははっ……はははっ! 話し合い? 今更そんなの通じると思ってるの? 話してどうにかなる問題だって、まだ思ってるの? 何のために距離を置いたか、分からないの?」
「……分からないよ。さとりが何をしたいのか」
さとりは……今も、陰鬱な気分が引いていないのだ。まだ、冷静に考えることができていないのだ。さとり自身は冷静だと思っているのかもしれない。けれど……実はそうじゃないんだろう。
その心を、私は分からなかった。
「でも、私は、わかりたいと思ってる。わかりたいの! さとりが何をしたいのか! さとりがどう思っているのか! ちゃんと話してくれないと、分からないよ!」
「……る」
さとりは、言った。
「……うるせぇっ!」
さとりは私に一歩、踏み込んでくる。鉄パイプも一緒に。
同時に、私は鉄パイプの軌道の逆をいくように、手で空をなでる——
「幻像創造!」
かん、金属同士がぶつかる音が聞こえた。同時に、さとりは鉄パイプを手放す。
私の作り出した幻像で、さとりの持っていた鉄パイプをはじいた——伊達に質量があるわけじゃない。ある程度の大きさであれば、鉄のキューブをはじくということ。普通の女子高生にできるわけがない。
「——っ」
「だぁっ!」
武器を失い、ひるんだ里利にもう一度タックルをする。目指すは——壁。壁に押し付けてしまえば、もう動くことはできない。
「くっ——ふん!」
頭に衝撃、たまらず力が抜ける。
さとりめ……容赦なく殴ってきやがった。そりゃそうか。私も素人には違いないから——
無様なことに、私は床に倒れこむことになる。早く立ち上がらねば、と思うけれど後頭部へのダメージは相当なもので、私は縮こまることしかできなかった。
「ぐぅ……っ!」
「ふんっ!」
倒れているところに、さとりの蹴りが脇腹に入る。胃も、肺も。内臓が潰されるような感覚。口の中に血の味が少々する。
「んがっ!」
——痛い、痛い!
これほどまでのダメージを受けたことは、今まで一度もない……親にぶたれても、こうされるほどはなかった。
私は動けない。
とにかく痛みに耐えることしかなかった。
「ぐ……っ。つぅ……!」
私が動けないことを確認してからか、胸元がぐい、と私を引き上げる。
胸元をつかまれた。どうする? こんなこと、一度もない——痛む体に、この対処ができようはずもないのだけれど。
「……はぁ、はぁ——ぐぅっ!」
息が切れる。対してさとりは涼しげな顔で——私の頬を、殴った。頬の肉と歯がぶつかる。鼻に血液らしきものが上がってくる。
脳ごと体が引っ張られる感覚。でも、さとりは私の胸元を離さなかった。首が——
そしてさとりは、つかんでいる腕ともう一方の腕、両腕を使って——私を、投げ飛ばした。
ここまで、力があるなんて——!
壁に、床に、私はぶつかった。
「ぁ……がっ……!」
とにかく、痛い。
痛い。
痛い。
まさか、さとりがこれほどまでに強いとは。私と同じか、それ以下の身体能力だと思っていたのに。
いや、力自体は大したことはないのだ。ただ、それを日常的に喰らっていないというだけで。慣れていないというだけだ。
体が——先ほどの攻撃で、体力がほとんどなくなったのか。
なんてヒットポイントが少ないんだ、私は。
ゲームや漫画のようにはいかないか……。
「……決着」
目を、上げる。さとりが先ほどの鉄パイプをもって——私の顔面に向けていた。
「で……いいよね?」
「さ、と……り」
鉄パイプは商品用らしく、先端がとがっているということはなかったが、それで頭を殴られてしまえば——もう、おしまいだ。
命が。
おしまいだ。
さとりは——それを、振り上げる。
目をぎゅっと瞑る。
どうして——こんなことに——
「……なんて、ね」
からんからん、と音がする。鉄パイプが床に落ちる音だ。
ゆっくりと、目を、開ける。鉄パイプはちょうど、私の足元にあった。
さとりは、背を向けて、エレベーターへ向かって歩いていた。
私はその背中を、ただ見ているしかなかった。




