Ⅰ
息を切らして逃げている自分がいる。こうして第三者的に物事を語るのはある意味仕方のないことだ。ふわふわと浮いたような。気持ちの悪いような。当然のような感覚がする。
仕方がない。
仕方がないことだけはわかっている。でも、どうして仕方がないのか。それはわからなかった。
ただ、逃げているだけだった。
「はっ、はっ……」
逃げろ、逃げろ、逃げるんだ。あの化け物から、あの化け物から。私は逃げるんだ。そう。何も考えずに、問答無用で、あの化け物から。
化け物。
化け物。化け物。
化け物化け物化け物化け物。
どこへ行っても化け物だらけ。
町は化け物にあふれ、学校も化け物が席について授業を受けている。化け物が化け物と交流し、化け物どうしが新たな化け物を生む。化け物しかいない世界。化け物、化け物、化け物! 化物しかいなくても、世界はめぐっていく。それが奇妙で、奇怪で、恐怖の対象でしかなかった。この世界はいつから化け物のものになったんだ。はじめから化け物しかこの世界にいないかのようだ。
私は化け物から逃げるんだ。逃げなきゃいけない。
なぜ? そんなことは化け物だからという理由で十分だ。化け物だから逃げなきゃいけない。その思考には一切の疑問はない。何も考えずに、私は逃げなければならない。
あいつを信用するな化け物にちがいない。あいつと仲良くするな化け物に違いない。あいつに関わるな化け物に違いない。人間の振りをしていきている化け物なんてごろごろいる。人間の殻をぶちやぶり、今にも化け物の顔を覗かせる。二本足で立つような崇高な生き物じゃない。化け物だ。
化け物と遭うな――殺される。
だから私は息を切らして、化け物がいないところを探して逃げなければならない。
……でも、そんなところはないのかもしれない。行く先々は化け物で一面が覆われている。化け物だらけの世界だ。それがこの世界だというのか。あの奇妙で珍妙な、透明なのか不透明なのか分からない、形だけははっきりとしている、色とりどりの化け物たち。化け物は単体で出るものじゃないのか? 化け物が複数体、一度に出てくることなんてあるのだろうか。
化け物は、私を追いかけているわけではない。そりゃあそうだ。興味のない人間に近づいてくる奴なんていない。それは人間に限らず、動物でも、無機物でも関係がないだろう。
私は化け物のいないところを探さなければならない。化け物がいないところ、いないところ。しばらく息を切らして、しどろもどろになりながら走っていると、気付けば私は何もない空間にいた。左右には動けない。前にしか動けない。化け物に圧されているのか。色もない空間。私もない空間。どこに向かって私は走っているのか。訳が分からないが、とにかく走ることをやめてはならない。逃げ続けなければ、逃げ続けなければならない。
逃げろ。逃げろ。逃げろ。
とにかく、何の色もないところへ。
無色へ、透明へ。
あの、雨の日の化け物に。
――そして、私は気づけば自分の家の前にいた。
助かった、九死に一生を得たと思って、私は扉を開ける。扉を開けると――
少女が血まみれで、倒れていた。
「え…………」
どく、どく、どく。
どく、どく、どく。
心臓が破裂しそうなくらい大きく鼓動する。この部屋全体が鼓動しているかのように。この世界全体が根底から揺れ動いているように。その少女は、その少女は。
このごみが散乱している、嫌なにおいが充満している部屋は――
その少女は。
その少女は。
その少女は。その少女は。その少女は。
その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。その少女は。
その、少女、は。あの、人に――
そこで私は目が覚めた。息を切らした状態で。自分の体がここにあることを確認して、呼吸を整える。
「……夢……だよね。夢……」
……夢だ。
夢に決まっている。
まごうことなき、悪夢だった。




