鎌倉
~鎌倉~
鎌倉駅を出て、まず小町通に行こうとしていた。予定ではここでしらす丼を食べる予定だったのだ。だが、改札を出てすぐに捕まった。
「何ですか?」
火野はそう言った。だが井口はこう言ってきた。
「いえね、実は君たちを新潟県警のものに見張らせていたんですよ。そしたらですね、朝から電車に乗ってくるというじゃないですか。だからお迎えをしようと思って待っていたってわけですよ。ちょうど話しも聞きたいですしね」
井口はにやりと笑っている。その笑い方がものすごくやらしくて火野は気持ち悪さを感じた。火野の腕に荻みどりはしがみつくようにくっついている。そして、後ろでは大内が顎を上にあげて見下すように火野と荻みどりを見ている。
「僕らは話すことなんてないです。どうせ任意でしょう。ならお断りします。めったにない旅行なんですよ。観光くらいさせてください」
火野はそう言って二人をよけて歩こうとした。だが、火野の腕を大内がつかむ。
「おい、知らないのか。直江津で何があったのかを。昨日の夜に」
「知りませんね。それに知りたくもありません。俺らはおとなしく生きているんです。どうせずっと見張っていたのなら僕らが昨日の夜ずっと家に居たことを知っていますよね」
火野は腕を振り払おうとした。だが、力強いその腕を振り払うことができなかった。王内が言う。
「お前らを監視するようになったのは明け方からだ。昨日の夜未明に一人の死体が出たんだ。その死体は鎌倉のと同じく体から血が抜かれていて、胸には杭をさされている。つまり殺害方法が似ているんだよ」
「知りませんよ。そんな死に方をしているからと言って俺らが関係あるわけないじゃないですか」
「その相手が須藤耕平だとしてもか」
その名前を聞いて二人とも足が止まった。
「須藤の部屋には色んなものがあった。もちろんそこには天童、お前のことについて書いてあったし、その横にいるお嬢ちゃんについても書いてあった。資料を読んでこっちもびっくりしたわ。今回の殺害も動機を持っているものが天童。お前なんだ。この不可解な殺人事件のミッシングリングは天童、お前を指しているんだ」
そう言われて火野の足が止まった。ここで須藤との関係性を話されるのは困る。荻みどりとの関係が壊れてしまう。
言えていないからだ。火野が荻みどりを助け続ける理由について。荻みどりの父親を陥れる証言をしたのが火野だと。
あの時は今と違って髪も長かった。茶髪だった。服装も違う。もっと派手だった。だから荻みどりの父親と会った時も何も言われなかった。不安がなかったと言えばうそになる。だが、受け入れてくれたのだ。だからこそあの秘密は、須藤との関係はずっと隠し通さないといけないのだ。
「ミッシングリングって何ですか?」
火野の腕をつかみながら荻みどりがそう言ってきた。井口が言う。
「ミッシングリングとはね、一見、互いに無関係に見える複数の事件・被害者の
間にあると仮定される共通点のことを言うんだよ。今回は鎌倉でまず青年が一人殺害される。地元でも素行に問題がある人物だったんだ。恨んでいるものも多いので犯人の特定がなかなかできなかったんだ。ただ、この時は血を抜き取られていること、胸に杭を打ち込まれていることから何か犯人からメッセージがあるものだと思ってはいた。正直不謹慎だが第二の犯行があるのではと思ってもいたんだ。そして、第二の犯行があった。それが二階堂正文とその夫人だ。同じように血を抜き取られ、胸に杭を打ち込まれていた。こんな不可解な殺し方をするのだ。犯人はよほど何か恨みがあるのか、それとも犯人にしかわからないこだわりがあるのではと思っていた。この青年と二階堂正文をつなぐ人物の一人として上がったのがそこにいる天童八雲くんだ。だが、まだ決め手はなかった。そう、彼はこの10年鎌倉に戻っていないからだ。だが、今回は違う。天童くんがいる上越市で同じような事件が起きたのだ。しかも同じように血を抜き取られ、胸に杭を打たれているのだ。争った形跡はない。自宅で殺されていたのを友達が発見したそうだ。なんでも、予定になっても来ないから家に見に行ったら死んでいたと言うのだ。発見が早かったのでこちらも迅速に行動がとれたんだ。ここで聞いてもいいのだが、それを天童くんは望むかね?」
その言葉を聞いて火野は天を仰いだ。こんなところで話されるわけにはいかない。
「わかりました。話しを聞かせてください。けれど、荻みどりは関係ありません。彼女は束縛しないでください」
火野はそう言って荻みどりを見る。サングラスで目が隠れているが荻みどりが生気を失くしたように見えたのが火野にはわかった。だが、口元は笑っている。いや、放心しているだけなのかもしれない。どうリアクションをとっていいのかわからないのだろう。
それに、不安の塊であった須藤が死んだことで安心をしているが、その疑いをかけられているのが火野であることに不安を感じているのだろう。井口が言う。
「まあ、天童さんの言い分を聞いてあげたいのですが、我々としてはその荻みどりさんにも話しを聞きたいんですよ。話しは別々にさせていただきます。協力してくださるということなので行きましょうか。ちょうどそこに我々の車もありますから」
目の前に車がある。カローラだ。しかも汚れが目立っている。きちんとメンテナンスをしてあげないと車がかわいそうだ。ふいにそう火野は思った。
「わかりました。でも、彼女はみどりは並べく早く帰してください。みどり。俺のことは待っていなくていいから。先にホテルに入っているんだよ」
火野はそう言って荻みどりの手を力いっぱい握った。荻みどりは不安そうに見上げる。
「大丈夫。もうみどりを苦しめる須藤はいないんだ。俺はやっていない。だって昨日一緒に居ただろう」
火野は一緒に夜荷造りをして、早めに眠ったのだ。まるで泥のように。寝起きはその分すっきりしていた。
車は南に、海側に走って行く。窓から見える景色を火野は懐かしく思いながら見ていた。この場所は10年前に自転車で走ったことがある場所だ。海が近くなってくる。このまままっすぐ行けば由比ヶ浜が見える。だが、その手前に鎌倉警察署はある。
車が止まり、火野と荻みどりは別々の部屋に入れられた。しばらくして部屋にやってきたのは井口でも大内でもなかった。
見たことがある顔だと火野は思った。だが、50代半ばのこの人とどこで会ったのか思い出せない。髪はまだ黒々している。大きな目がぎょろしとしていて肌は脂ぎっている。目の前に座りこう言ってきた。
「久しぶりだな。まあ、まさかこういう形で再会するとは思っていなかったがな」
「すみません、どちらで会った人でしたでしょうか?」
火野は相手に合わせてもよかったのだが、率直に聞いた。50代半ばの男性が言う。
「まあ、覚えていないか。俺の名は佐久本幹夫。お前の親父さんには結構お世話になったんだよ。何度か家にも遊びに行ったのだが覚えていないか」
そう言われて少し思い出せた。遊ぶのは外で海辺か山の寺社かあの洞穴のような所だった。たまに家で遊ぶときもあった。いや、シーズン外だとヨットの中で遊んだこともあった。そう言えば何度か家で見かけたことがある。佐久本が言う。
「率直に聞く。やったのか、やってないのか。どっちだ」
「やってないです」
火野は即答した。佐久本はその大きな目でじっと火野を見つめる。しかもゆっくりと火野に近寄ってくる。佐久本が言う。
「お前の親父さんに誓って言えるか?」
「はい」
「そうか、ならもう一つだ。どうして学校では火野と名乗っている。お前は今は天童だろう」
大きな声ではあるが威圧感はない。火野はこの佐久本は信用できると思った。
「父の名を残したいからです。もし、俺が天童と名乗ったらあのヨットも、あの店もなかったことになってしまいそうだったので、この名前は絆なんです」
火野は言いながらそう言えばこの佐久本はたまにヨットに乗せてもらっていた人だったのを思い出した。佐久本が言う。
「そうか。ならお前のことを信用しよう。だが、警察としてお前のアリバイは確認させてもらうからな。悪く思うな。それと、きちんと思い出せ。今回のこともそうだが。10年前に起きたこともだ。まず、今日から6日前のことだ。日付で言うと2月3日。この日のお前のスケジュールを知りたい。この日は日向野一が殺された日だ。そう、お前が10年前に襲われた際の首謀者だったヤツだ。あの時の調書が残っていてな。だから、お前は疑われている。身の潔白を証明するのならきちんと思い出しながら話すことだな」
そう言われて火野は思い出していた。7日前。あの日は何があったのか。そうだ。2月3日は珍しく荻みどりが友達と出かけた日だ。ちょうどバイトも入っていなかったので、見たかった映画を見ていたのだ。
「家に居ました。その日は彼女、荻みどりも出かけていたので僕がどこにいたのか証明できる証拠はないです。家で映画を見ていました」
「レンタルか?」
「いえ、ネットでの視聴です。パソコンのログは証拠になりますか?パソコンで見ていました」
火野はそんなものが証拠になるとは思えないが言ってみた。佐久本が言う。
「まあ、ないよりはましだろう。その時間誰かが家に居たことの証明にはなる。ただ、お前がいたのかは不明だ。音は出していたのか?例えば近隣住民がその音を聞いているとか」
「いえ、ヘッドフォンで聞いていました。できるだけ俺らは気配を消して生活していましたから。そう、俺らは須藤から隠れるように、逃げるように生活していましたから」
そう言いながら火野は何も証明できるものがないことのもどかしさを感じていた。佐久本が言う。
「まあ、これからお前の上越のマンションに立ち入りパソコンのログの解析をするがいいか?といっても、身の潔白を証明するには受ける以外ないのだがな」
「ええ、構いません。マンションの中に入ってください」
火野はすがる思いでそう言った。佐久本は続ける。
「次だ。2月6日2時に二階堂正文およびその妻である房江が殺されている。夜の2時だが、車で移動をした場合を想定すると片道4時半はかかる見込みだ。それを踏まえると2月5日の10時以降何をしていたのかを知りたい」
そう言われて火野は勘違いをしていたことに気が付いた。二階堂清美と会ったのは2月7日の早朝だ。ということは、これは証言にも何もならない。あの時、井口と大内が関心を示したのは行方不明の二階堂清美と会っていたからなのだろう。
その前日。そう、バイトが休みだったのだ。家でこもっていた。卒業論文のため本を読み、パソコンで調べ物をしていた。それを証明できるのは荻みどりだけだ。いや、記憶にはないが俺がコンビニに買い物をしにいったと証言を野上がしたと言っていた。
「その日は一日家にいました。一緒にいたのは同棲している荻みどりです。ただ、俺は記憶にはないのですが、バイトで一緒だった野上って娘が俺がコンビニに来たと証言したと聞いています。それは証拠になりますか?」
火野の言葉に佐久本は首を横に振った。
「まず、野上という女の子が証言した時間があやふやなんだ。だが、彼女は高校生だ。年少者は深夜働かすことができない。もし、バイト中にお前を見たとしてもそれは夜の10時以降であることはない。だから、コンビニで会った後にすぐに車を走らせて鎌倉に行き、二階堂夫婦を殺害して、また上越に戻ってくることは可能なんだ。例えば、6日早朝に何かあったのなら別だがな」
そう言われて、火野は勘違いをしていることに気が付いた。
「間違えていました。俺、6日が一日家にいたのであって、5日はコンビニのバイトに入っています。シフト上は22時までなのですが、バイトの人が遅刻してきたので俺残業を1時間しています。ただ、タイムカード上は22時で切っていますが、居たことは店長に聞いてください。その時間俺、店長と二人っきりだったので」
そう言うと佐久本は渋い顔をした。
「多分、店長は証言しないかもしれないな。それは店長がお前のサービス残業を認めるということでもある。ただ、聞いてみる価値はあるかもしれないな。まあ、店長とも後で話し合うといいだろう」
そう言われて、火野は愕然とした。その日だけ行っていたことではない。もう長いことそうやってタイムカードを先に切ってから検品や品出しをすることはあったからだ。働かせてもらっているのだから当然だ。そう思っていた。けれど、店長にとってそれは証言しにくいことだったのか。火野は茫然とした。佐久本が言う。
「まあ、何もないよりはすがりつくのも大事だ。それで、お前の主張では7日の早朝に二階堂清美がやってきたんだな。そして、妙高市の方に行き喫茶店に入る。入った喫茶店はスノーロッジ。かなりさびれた喫茶店だったので店がお前たち二人を覚えていた。ただ、女の方は室内に入ってもサングラスを取らなかったから顔まではわからないと言っていた。髪の長いきりっとした美人であったということしか聞いていない。ただ、お前の顔写真を見せて確認を取ってある。まあ、これは俺たちにとってはどうでもいいことだ。行方不明の二階堂清美を探すのは別のチームだからな。それで、次だ。2月9日22時から0時までの間は何をしていた?」
佐久本は優しく包み込むように聞いてくる。火野が言う。
「その日は鎌倉に行く準備をしていました。家にいました。証言できるのは荻みどりくらいです」
「そうか。ずっと一緒だったのか?」
「はい。早めに寝ましたね。今朝早くに起きましたし」
火野は言いながら何とも心もとないアリバイだと思った。引きこもっている生活をしている以上仕方がないのだが、もし何かあったとしても誰も気が付いてもらえないのではと思った。
そう、火野と荻みどり、二人ともが行方不明になったとしてもだ。佐久本が言う、
「そっか。まあ、仕方がないな。ちなみに、ホテルはどこに取っているんだ。鎌倉か?」
「いえ、鎌倉は高いので大船のビジネスホテルです。どうしてですか?」
「いや、わかっていると思うがお前への疑いが晴れたわけじゃない。俺は明日二階堂清美が居たと言われている施設に行く予定だ。そこにお前も連れて行く。見張りをつけて監視するくらいなら一緒に行動させる方が安心だ。いいな」
「いや、よくないですよ。俺、観光のため来ているんですから。それに、みどりだって怒ります」
火野はそう言った。だが、目の前の佐久本はふざけているようには見えない。佐久本が言う。
「彼女とデートをするのもいいだろう。監視に部下をつけるだけだ。だが、お前このままだと本当に犯罪者になってしまうぞ。お前には動機がある。アリバイはない。今回の被害者4人の内接点があるのはお前だけだ。よほどお前のことを恨んでいるストーカーでもない限り、誰だってお前がやったんだと思う。このまま返さずにぎりぎりまで署で尋問をしたっていいんだ。だが、俺はお前の親父に恩がある。だから、こうやって親身になっているんだ。わかってくれ」
そう言われて、火野は何も言えなくなった。
「わかりました。この後ホテルに戻ってみどりと話します」
「ああ、そうしてくれ。じゃあ、ここにホテルの名称と連絡先を記載してくれ」
そう言って紙を渡される。火野は書きながらこう聞いた。
「二階堂清美が居た施設って何ですか?俺が居なくなってから10年何があったんですか?」
佐久本が言う。
「どうせ、明日行ったらわかることだ。行く場所は葉山の保養所だ。だが、実際は素行不良の二階堂清美を監禁する場所でもあった。二階堂清美はお前が上越に引っ越した後しばらくしてその施設に入れられたんだ。精神不安定というか、幻が見えるとか、自分は不老不死になったとか言うようになって手が付けられなくなったんだ。まあ、その二階堂清美の面倒を見るために葉山の保養所に通っていたのは清美の両親ではなく、妹の朋子だがな。あの二人は仲のいい姉妹だからな。だが、その保養所から二階堂清美は行方不明になったんだ。ちょうど2月になって月初めにリネンの交換の時に係りの者が中を見たらもぬけの殻だったというのだ。保養所と言っても二階堂家が用意した場所だ。しかも、世間から注目をされないように作った場所だ。そんな簡単に外に出られる場所だとも思えない。だから見に行くんだ」
そう言われて火野は不思議に思った。
「ただ単に言動がおかしいだけだといつもと変わらないはず。何かがあったから二階堂正文は清美をそんな所に送ったんじゃないですか?それはわかっているのですか?」
だが、その質問に佐久本は首を横に振るだけだ。
「朋子は、朋子はそのことについてなんて言っているんですか?」
「何も話さないんだ。この件に関しては」
佐久本の言葉は火野には納得できなかった。一体何が合ったと言うのだろう。とりあえず、明日は佐久本と一緒にその保養所に行きたいと思った。後、二階堂朋子にも会いたい。そう思った。
それは恋じゃない。もう、そんな思いを持ってはいけないんだ。火野は自分に言い聞かせた。
「じゃあ、明日7時にホテルのロビーでな」
佐久本に警察署の入り口まで送られた。周りを見る。ひょっとしてどこかに荻みどりがいるのではと思った。だが、どこにも荻みどりはいない。
「みどりを知りませんか?」
佐久本は首を横に振る。すると前から大内が歩いてきた。火野は大内に聞く。
「なあ、みどりを、荻みどりを知らないか?」
そう言うと大内は顎を突き出してこう言ってきた。
「さあな、でもお前と須藤のことを話したらびっくりした顔をしていたぞ。須藤って細かいんだな。ちゃんと自分がしていたことを記録として残していたんだ。誰に何を指示したとかな」
そう言われて火野は貧血になって倒れるような感じになった。
「おい、それを、そのことをみどりに言う必要があったのかよ」
「なんだ、秘密にしていたのか?まあ、いつか秘密なんてバレるものだろう。それに、ちょっとのことで関係が壊れるくらいなら、そもそもそんな関係なんていつか壊れるものだ」
火野は拳を握りしめて殴りつけようとした。だが、佐久本に止められた。
「落ち着け。こいつが本当のことを言っているとも限らんだろう。確認しろ。それからでもいいだろう。それに今のお前の立場をわかっているのか。今こいつを殴ったらお前は別件逮捕され、そのまま何もできずに終わるぞ」
そう言われて火野は拳をおさめた。
火野はそれから何度も荻みどりの携帯に電話をしたが、つながらなかった。
ホテルにも行ったがチェックインした形跡すらない。夜には携帯は電源が入っていないのかコールすらしなくなった。