夏の午後の別れ ガソリンスタンドのブルース2
15年振りに会った友人は、ひどく落ちつきを無くしていた。
スタンドのオフィスに座った梶尾は、俺の淹れたコーヒーをせわしなく飲みながら、無意識のうちにオフィスの入り口を伺っている。
「誰かとここで待ち合わせでもしてるのか」
「いや、そんなことねえよ。なんでそう思うんだ」
自分の不自然な態度に、本人は気付いてない。
梶尾がやって来たのは、真夏の午後のことだった。
空気を歪ませるほどの凶暴な太陽がぎらぎらと照りつけ、スタンドの周囲に広がる荒野に陽炎を立ち上らせていた。
陽炎の中で揺れていた影のような物が、次第に大きくなり、やがて人になった。
俺はオフィスの前の、張り出した屋根が作る日蔭に置いた椅子に座って、それを眺めていた。人影はゆっくりと、ここへ向かっていた。
給油機の横を通り過ぎ、俺の前に立った男が、「やあ」としわがれた声で言いながら、右手を上げた。
服装も汚れ、疲れ果てているように見えたが、伸び放題の髪の中でそれだけは15年前と変わらない人懐っこい笑顔があった。
警邏隊長の上本を含めた俺たち三人は、高校時代の友人だった。
さほど大きくない地方都市の高校生活なんてものは牢獄にいるようなもので、そう言った意味では俺たちは囚人仲間の絆で結ばれていた。看守の目を盗んで刹那的な自由を見つけながら、いつか来る脱獄の機会を伺う。
まだ世界がこんな状態になるずっと前の事だ。
どちらかと言うと周囲と壁を作りがちだった俺や上本と違って、梶尾は誰とでもすぐに打ち解けた。
特にその屈託の無い笑顔は、見ている方もこれから何か楽しい事が待っているような気分になって来る魅力があった。
当然女にもモテた。
そのせいで、いつも女絡みのトラブルを抱えていて、女を泣かせたり怒らせたり、宥めすかしたり謝り倒したりを繰り返していた。
そんな時、梶尾は俺と上本を相手に「お前らといるのが一番落ち着くわ」などとお馴染みの笑顔で言うのだった。
「生きてたんだな」
二杯目のコーヒーを淹れながら言うと、梶尾はようやく意識をオフィスの入り口から外した。
「ああ、なんとかな。お前も無事で良かった。上本は警邏隊長だってな。上本らしいっちゃらしいのかね」
「どうしてたんだ、あれから」
「まあ、いろいろだな」
そう言うと、梶尾は手にしたコーヒーカップに目を落とす。
「お前が町を出て行った日の事は、今でもよく覚えてるよ」
高校を卒業すると、上本はすぐにそれなりに名の知れた大学の法学部に進学するために、町を離れた。
一年後、現場仕事で貯めた金を持って、俺は深夜の長距離バスに乗った。長い旅行に出るつもりだった。
町外れのバス停まで、梶尾が見送りに来てくれた。
深夜のバス停には他に人影も無く、点滅する薄暗い照明に照らされたベンチに座って、俺たちは黙って煙草の本数を重ねた。
やがて、暗い道の先にバスのヘッドライトが浮かび上がった。
「二人がいなくなると、この町がさらに狭くなるよ」
立ち上がりながら、梶尾が言った。
バスの窓から、バス停の前に残った梶尾が新しい煙草に火を点けるのが見えた。走り出したバスの起こした風が、煙草の煙を梶本の顔に向かって流し、梶尾は少し顔を顰めた。
それが、俺が最後に見た梶尾の姿だった。
七年後、俺が町に戻ると、上本は大学院を卒業して町に戻っていたが、梶尾の行方は誰も知らなかった。
そしてその三年後、社会は崩壊し、混乱の世界となった。
15年という年月は、二人から共通の話題を奪うのに十分な時間だった。しかし、一緒に居る事で感じる心地良さを奪うほどの長さでは無い。
俺たちはしばらくの間、切れ切れに他愛の無い話をしながら、夏の午後を過ごした。
オフィスに赤黒い夕焼けが差し込む頃、梶尾が唯一の荷物として持っていた頭陀袋から、一体のブロンズ像を取りだした。
「少しの間、これを預かってくれないか」
それは30センチほどの大きさがあるマリア像で、素人の俺が見てもひどい出来の物だった。顔の表情は茫洋として、全体の彫りもいい加減で色艶も悪かった。
「なんだこれは」
「俺にとっては大事な物なんだ。何も聞かず預かってくれないか。数日間でいい」
「預かるのは構わないが、何か曰くでもあるのか」
「まあ、そんなところだ。どこか人目の付かないところに仕舞っておいてくれ」
梶尾は、オフィスの外に出ると、しばらくの間遠い山並みに消え入りそうになっている夕陽に目を細めた。そして、振り向くと握手を求めて手を差し出した。
握り返すと、その手には、思った以上の力が籠っていた。
「お前と会えて、良かった」
「いつでも寄れよ。上本も呼んで、三人で久しぶりに飲もう」
俺がそう言うと、梶尾は嬉しそうに笑った。
「いいな。上本にも会いたかった。三人で飲めたら楽しいだろうな」
梶尾は「それじゃあ」と言いながら右手を軽く上げて、町とは反対方向へ歩き始めた。
その姿は、すぐに薄闇に溶け込んで見えなくなった。
その夜、突然スタンドのオフィスで爆発音が響いた。
トレーラーハウスのベッドで目を覚ました俺は、枕元のショットガン持ち、数十発の弾丸をポケットに詰めると、オフィスからは見えない窓から外に抜けだした。
トレーラーハウスの陰から伺うと、オフィスの入り口が吹き飛んでいて、そこへ向けて散開した十人ほどの男たちが近づいて行くのが見えた。男たちは、全員が手にした銃を構えている。
慎重に狙いを定め、一番近くにいた男に向けて、ショットガンの引き金を引く。
男が倒れたのを確かめ、俺はすぐに背後のトウモロコシ畑に飛び込む。畑の中を走り、オフィスの反対側あたりまで進み、様子を伺う。男たちはオフィス内から発砲されたと思ったらしく、二手に分かれてそれぞれオフィスの横壁に身を隠して入り口を覗きこんでいる。俺が回り込んだ側からは、四人男が壁に張り付いているのが見える。トウモロコシ畑の中から、男たちに向けて連続で弾を叩きこむ。二人が倒れると当時に、背後から撃たれた事に気付いて応射された弾丸が頬を掠める。
俺が外に居る事を悟った男たちが、トウモロコシ畑に向かって威嚇射撃をしながら、応戦のためにオフィスに飛び込んだ。
オフィスから充分距離を取って表側に回り込むと、少し離れた場所に、男たちが乗って来たらしいピックアップトラックが停められていた。音を立てないよう運転席のドアを開けると、襲撃後にすぐ逃げ出せるようにだろう、思った通り鍵は刺さったままだ。サイドブレーキを解除して、車の向きを整え、ズボンのベルトを外してそれでハンドルを固定し、再びサイドブレーキを引いて、エンジンをかける。大き目の石を拾いアクセルの上に置いて、サイドブレーキを解除する。一瞬空回りしたタイヤが地面を噛んで、車が走り出す。荷台に飛び乗って、体を伏せる。
エンジン音を聞いて、俺が逃げ出そうとしたものと思った男たちがオフィスを飛び出そうとしている所へ、トラックが突っ込んで行く。慌ててトラックに向かって発砲しながら、男たちが横に飛ぶ。荷台から、逃げまどう背中に向けて撃ちまくる。トラックは逃げ遅れた一人を巻き込みながらオフィスに突っ込んだ。荷台から飛び下り、瓦礫となったオフィスの壁の陰から、目の前で無防備に身を晒す二人に向かって引き金を絞る。
二人が倒れた後も、しばらくそのままその場に留まる。
辺りは静寂に包まれている。
全員片付けたかと思い、立ち上がると同時に、背後で撃鉄を起こす音が鳴った。
「ブツを渡して貰おうか」
もう一人残っていた。
俺は両手を挙げて、ゆっくり振り返る。
戦場のような有り様となったオフィスにはそぐわない乱れの無いスーツ姿の男が立っていた。戦闘には加わらずに推移を見守っていたリーダー格に見えた。
「ブツって何の事だ」
「しらばっくれても無駄だ。お前が預かってる事は分かってる」
「本当に何の事だかわからないんだが」
銃声と同時に、右足に鉄ゴテを押し付けらたような衝撃が走り、体が反転してその場に倒れ込む。
「次は左足を撃つ」
「知らないものは知らない」
男が銃口を左足に向けて動かした瞬間、別の場所から銃声が起こり、男の体が背後へと飛ぶ。
「酷い有様だな」
瓦礫を踏んで上本がオフィスへ入って来た。
「遅い」
「いや、ジャスト・オン・タイムだ」
幸い弾は貫通していたため、十日ほどの入院で済むようだった。
「スタンドが盗賊に襲われるって通報があってな。いたずらかもしれないんで、俺が一人で様子を見に行ったんだ。何があった」
お見舞いかと思ったが、病室に顔を出した上本の目的は尋問だった。
「盗賊だろ。いきなり襲撃して来たんだ。盗むような金なんて無いのにな」
「本当の事はそのうち聞かせて貰う」
上本は俺の話を信じないまま、病室を出て行った。
退院すると、廃墟となったスタンドの隣に、プレハブの仮オフィスが建てられていた。上本の計らいだろう。
俺は瓦礫から冷蔵庫を掘り出し、新聞紙に包んだブロンズ像を取りだした。散乱する廃材の中から適当な鉄片を探し出して、像の表面を軽く削った。剥げた塗装の下から、金色の下地が覗いた。塗装を全て削り取ると、金色に輝くマリア像が、慈愛に満ちた表情でほほ笑んでいた。俺はそれをもう一度新聞紙に包むと、トレーラーハウスの裏に穴を掘って埋めた。
数日後、一人の少年がスタンドへやって来た。
乞食のような身なりの少年は、オフィスへ入って来ると、無表情のまましわくちゃの封筒を差し出した。封筒には宛先は無く、裏には梶尾という名字だけが書かれていた。
封筒の中から手紙を取りだすと、乱れた文字が並んでいた。
「まず、謝りたい。お前には迷惑をかけた。本当にすまなかった。お前に預けた像は、純金製で、俺が加わっていた盗掘団の持ち物だ。俺はそれを盗み出した。それを資金にして、どこか遠くで、息子とやり直したかったんだ。しかし、逃げ出す時にしくじって、息子を捕えられた。俺は像を囮にして、手薄になったアジトから息子を助け出すつもりだった。息子は助け出せたが、俺は腹を撃たれて、もう長くない。上本に通報を入れたからお前の身に危険は無いと思ったが、まさか一人でほぼ全員を倒すとは正直思いもよらなかった。最初からお前と上本に話しておけば、もっと上手く行ったのかもな。手紙を持って来た少年が、俺の息子だ。町で何か仕事を見つけてやってくれないか。最後にお前と会えて、本当に良かった。上本にもよろしく伝えておいてくれ」
読み終わった手紙を折り畳んで封筒に仕舞うまで、少年はじっと立ったまま下を向いていた。
「お前、名前は」
「マコト」
少年が顔を上げて、硬い表情のまま答える。
これから、オフィスの建て直しには人手が必要だった。
「力仕事は得意か?」
俺が聞くと、驚いたような表情を浮かべる。
「置いてくれるの?」
「ああ、取り敢えず、オフィスが完成するまでな」
「ありがとう。何でもするよ。力仕事も得意だよ」
汚れた顔であっても、そこだけ光が射したように眩しい人懐っこい笑顔が、そこにあった。