それは冷たくひしひしと
戦闘は驚くほど早く終了した。青年の圧倒的な実力の前に、油断していた狼たちはなすすべなく地に伏していったのである。あるものは叩き付けられ、あるものは首を踏み抜かれ、またあるものは仲間の頭と自身の頭をぶつけられかち割られた。そうしてすべての狼が息絶えるころ、青年もまた体力の限界で倒れてしまったのである。
いま、彼は空を見上げている。おそらくはこの世界に来て初めてのことだろう。それまではそんな余裕などなかったのだから。
「っはぁっはぁっはぁ・・・」
荒い呼吸が木霊する。
白く大きな塔はすでに間近であり、その周辺おおよそ直径50mほどが開けた草地となっており、戦闘はここで行われた。
倒れ、空を見ている青年の周りには、狼たちの死体が積み重なっている。
「・・・ドラゴン、って。まさかの、異世界、かよ」
空を見る青年の瞳に、おおよそ現実の日本ではありえないような光景が目に入ってしまった。全生物の頂点にして無類の強さを誇る王にふさわしいそれはドラゴンという。蝙蝠の羽をそのまま大きくしたような翼をもち、蜥蜴の特徴を持つ体は赤い鱗に覆われている。その鱗一枚でこの世界の平民ならば半年は暮せてしまうほどの価値を秘めている。絶対強者であるがゆえに、その体は隅々までが貴重な資源なのである。ドラゴンを討伐した者は生物としてワンランク高みへ上ると言われているが、それは紛れもない事実なのだ。
青年は理解した。ファンタジーなどの小説が好きで、幻想世界に憧れていたからこその理解力の早さかもしれない。ここが異世界なのだという事実を飲み込める人間はそう多くないのだ。
「それにしたって、なんだこの身体能力は?」
青年が現状を正しく把握すると、次に疑問視したのは自身の肉体についてだった。今までと明らかに性能の違う肉体に、そのパフォーマンスの素晴らしさに驚いてしまったのだ。
戦闘中もどんどん調子が良くなり、最終的には感覚すら一段階上の集中を発揮しているほどである。明らかに今までの自分とは違うことが理解できないでいた。
青年の体に起こった現象はこの世界ならではの法則であり、魔素と呼ばれる構成物質を討伐した狼から吸収した故の成長でった。
通常、生物は空気中に含まれている微量の魔素を呼吸で取り込むことで、成長の助けとしている。これは空気中の魔素の保有量によって成長度合いが変化することを意味していると同時に、より多くの魔素を吸収すればより大きく成長できることを意味していた。
戦闘において死亡した生物の体からは、内包されていた魔素が放出される現象が起こる。これを吸い込むことで勝者はさらに成長をするのだ。そして、自分の能力が上昇することを、この世界ではレベルアップと呼んでいる。
青年の体に起こったのはまさにそれである。レベルアップによって身体能力が向上し、元の自分では考えられないようなパフォーマンスを見せたのだ。
しかし、それだけでは説明できない現象も起こっていた。それは青年の動きである。
合気道と呼ばれる武道が存在する。自身の力を相手に察知されず、かつ相手の力を感じ合わせることで、まるで相手の力を利用しているかのように見せる武道だ。その工程を気を合わせるということから、合気道と呼ばれている。
青年は合気道を習得していない、ただ一度目にしたことがある程度でしかない。そんな彼があれほど見事な技を繰り出していたのは、レベルアップによって身体能力が向上しただけでは説明できない、なにか常識の外にある力が働いていたとしか考えられなかった。
「まぁ、それもあそこに行けばわかる気がする・・・。勘だけど」
様々なことが頭をよぎるが、彼自身頭が良いわけではない。むしろ悪い部類に入ると自負している。故に彼は考えるのを止め、勘に頼ることにした。
目の前にそびえる白い塔。天を貫くかのように伸びるそれは荘厳であり繊細であり、心が浄化されるような神聖さを兼ね備えていた。
「お、開くみたいだな。・・・すみませーん」
樫木でできた両開きの扉は、青年が思っていたよりもスムーズに開いた。
開いた扉より中へ光が差し込み、内部の様子が見渡せる。青年はちょうど塔の内部の中心に存在したそれを見て、まるで熱に浮かされたようにふらふらと歩み寄っていった。
「お、おい・・・これって」
それは大理石でできていた。台座である。抜身の日本刀を乗せた大理石の台座が塔内部の中心に鎮座していた。
その刀から発せられる殺気は先ほどの狼たちの比ではない。殺すという概念を詰め込まれたかのように、驚くほど冷たくひしひしと伝わる。
しかし、青年は臆するどころかむしろ逆だった。無言でふらふらと歩み寄ると刀に手をかざす。その行為は彼の意図したところではない。まるで何者かの意志が働いたような行動に、彼自身驚きつつも動きを止めなかった。
刀はかざされた青年の手のひらに吸い込まれていった。
同時に、青年も意識を失ったのだった。