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風のように滑らかに

 青年は駆ける。アルカデジアの森の中を駆け抜ける。鬼気迫る表情で、ただひたすらに全力を尽くし逃げている。

 その背後からは、この森を住みかとしている獰猛な肉食獣である灰色狼の群れが彼を追っていた。獲物を見つけ、その肉にかぶりついた時を想像し涎がしたたり落ちていることも気にせず、だたひたすらに追っている。


 「生身で狼に勝てるわけねーだろッ!!」


 青年は叫ぶが、そんなもの狼には知ったこっちゃない。

 生き残りをかけたサバイバルが始まっていたのだった。


 

 それは数十分前に遡る。

 青年は先ほどまでの落胆した表情からは打って変わって、意気揚々と森の中を歩いていた。この森に漂う爽やかなにおいや、甘い果実の誘いにつられ気分がよくなったのであろう。だが、その効果も一瞬で切れる。


 「ま、まじ森の中怖ぇ・・・」


 青年はビビっていた。何故なら一人であるからだ。孤独とはそれだけで人間をダメにする因子を含んだ危険な状態なのだ。人は一人では生きていけないのである。

 さらに青年は感じてしまっていた。なまじ感受性が高かったが故の事だが、殺気というものを初めて受けていることに気が付いたのだ。

 それは周りに生える木々から発せられていた。木々たちは人間を知らない。故に、突如現れた青年の事を外的として認識しているのだ。


 森の中を歩いているのにもかかわらず、その森の木々から殺気を向けられているとどうなるか。四方全てを敵に囲まれていると同義なのである。現代日本での生活では感じなかった本物の殺気。生ぬるい日本人では察知できないのが普通だが、この尋常ならざる殺気を浴び続けることで青年の何かが目覚め始めていたのだ。良くも悪くも、人間とは順応して生きていくものである。それが強みでもあるのだ。


 「ん?なんだあの建物・・?」


 不意に、青年の目に森に不釣り合いな建物が写った。白く大きなそれは塔の形を成しており、殺気にあふれた森に現れたセーフティハウスの如き安らぎを感じさせた。


 「行ってみるっきゃねぇな」


 本能的にあの建物は大丈夫だと感じたのだろう。青年は目的地を白い塔と決め、勢いよく走り出した。

 善は急げというが急がば回れという諺もある。この場合青年に必要だったのは慎重さ、すなわち、急がば回れということだった。


 青年がそれに気が付いた時にはもう間に合わないところまで来てしまっていた。

 狼の群れである。灰色の体毛のその狼は、そのまま灰色狼と呼ばれている。民家などの家畜を狙ったり、小動物を主に狩りの目標とするが、時折大型の肉食獣にすら手を出すことがあるほど気性の荒い生き物だ。

 そんな灰色狼たちの群れのど真ん中を、青年は通り抜けてしまった。不可抗力なのだと叫びたかったが、そんな余裕も無い。それどころか話は全く通じないだろう。青年も英語はしゃべれるが狼語は習ったことがないのだ。


 青年が駆け、狼が追う。そんな構図があっという間にできてしまった。


 「くぉおっ!やばい、追いつかれる!」


 青年の体力の限界が近かった。手足は重く鉛のようで、酸欠故に視界が霞み頭痛も起こり始めた。


 「ほぉおお!?」


 そんな青年を見て、好機と考えた一匹の狼が頭めがけて飛びかかる。

 奇跡的なタイミングで足がもつれ、倒れるように低くなったことで青年の頭上を狼がとび越える形になる。まさに偶然の産物だった。青年の心に小さくない恐怖の炎が灯った。それは彼の手足を止め、体を強張らせる。


 グルゥゥウ・・・。ガルルル・・・。


 捕食者である狼たちはこの好機を逃さない。青年を中心に円を描くと、ここからは逃がさないとばかりに威圧の唸り声を上げ始めた。

 まさに絶体絶命の状況下、しかし青年は恐怖心を押し殺し無表情であった。

 彼は思い出す、遠く幼いころにもこのような状況があったと。それは青年が少年のころ、家族で行ったキャンプ地で一人森に入った少年が野犬に出会い襲われた時のことだ。その時は恐ろしいほど冴えわたった勘により難を逃れ、足早に逃げ切ることができたのだが。


 「ガァッ!!」


 そんな青年を諦めたと捕らえた狼たちは我先にと襲い掛かる。群れと言っても実力主義が根本にあるため、獲物を捕らえたものが好きに食べるという掟があるのだ。故に彼らは容赦しない。たとえ同じ群れの仲間であろうが遠慮などなしに喰らいつく。だが、彼らは気が付かない。いつの間にか青年の瞳に恐怖の色が消えていることに、彼から立ち上る闘気に。


 「ふッ」


 鋭い一呼吸。それにより一瞬にして腹筋に力が入り、体幹が引き締められる。体の中心に一本の芯が通ったような幻覚すら見える。そしてまるで水流に流れる木の葉のように、風に舞う落ち葉の様に流れに逆らわない動きで狼たちを捌き始める。


 それは合気という、相手の気を感じて合わせることから始まる武術の動きに近かった。

 右手を食いちぎろうとした一匹の横顔を撫でるようにそらし、正面から迫る一団にぶつけ、後ろからとびかかってきた二匹を姿勢を低くし受け流すように地面へ叩き付け、左右同時に飛び込んできた狼を回転の力に乗せてはじきとばす。


 飛びかかる狼の群れをひたすら受け流し続ける彼の技量は、達人の域に達していないまでも、妙手と呼ばれる域にまで上り詰めていたのだった。

 その彼に、狼が勝てる道理はなかった。

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