3.
全ての石を部屋へ運び入れ終えた時には、二人は完全に憔悴し切って、吐いた息を吸うほどに呼吸を乱しながら、部屋の真ん中へと倒れ込んだ。窓の外は真っ暗になっていて、時間の経過を改めて感じた二人は、がくりとそのまま目を閉じて意識を失ってしまった。
次に二人が目覚めたのは、下のガラス戸を乱暴に叩く音によってである。繰り返し、繰り返し、何分にもわたって部屋を満たす騒音にも、二人は至って冷静だった。努めて、冷静で居ようとしていた。
「居留守よ。石を、いくつか持っておきなさい」
千智の言葉に、和人は素直に頷いた。言われた通りに石を掴んで、二人で音の主が強行突入してきた時に備える。夜に強盗が入る事は、もう珍しい事ではない。入られた場合に大切なのは、向こうもどうせろくな武器を持ってはいないのだから、凛として追い返す事だと常々千智は話していた。
「儲かると、命が危険になって困るわね」
「なんか、嫌な言い方だなぁ……」
ガラス戸を叩く音は、まだ止まない。一体何故、叩き続けているのだろう。和人はそんな疑問を抱いたが、それを確認する術はなかった。
やがて、二十分ほど経って、やっと音は消えた。
「諦めたかな?」
「そうね。諦めて、無理に侵入する気かも知れないわ」
「うげ……」
和人はそっと、細心の注意を最大に払いながら、部屋を出て階段の下を見た。音はしない。向こうが入る気にせよそうでないにせよ、まだ中に入ってきてはいないようだった。
「……どうする?」
「触らぬ神に祟りなし、よ。放っておきなさい」
拳銃を手に持った千智は、溜め息を吐きながらそう言った。そうだな、と和人が答えようとした時、階段の下でガラスの割れる音が響いた。和人は思わず、部屋の中に戻って扉を閉じた。
「おい、ガラス割られたみたいだぞ」
「いよいよ、ね……」
階段を上る、荒い足音が二人の耳に届いた。一人、二人、三人……数も、少なくない。
「先に言っておくけれど、この拳銃は見せかけよ」
「今言うなよ、遅ぇよ!」
「それから、いざという時はこの事務所を放棄するわ。危なくなったら、逃げる方に心を傾けなさい」
ドアを殴る音が、数回響いた。もう、来る。和人がそう直感したのと同時に、鍵のないドアが、勢いよく開かれた。
「……おっと、お嬢さん。その物騒なもん、下ろしな」
ドアを破った顔は、見知らぬ、それでもろくなものでないと分かるような人相をしていた。全部で四人、それぞれがナイフを抜き身で持っている。リーダー格らしい男が一歩歩み出て、和人と千智を睨みつけた。
「あなた達が帰ったら、下ろすわよ」
「そりゃあ、飲めねぇ要求だなぁ。お嬢さん。素直に下ろした方が良い。痛い目、見る事になるぜ」
男達はいやらしく笑う。和人は、千智の銃が何ら男達に対しての効力を持っていないと感じた。
「……そうね。いくら拳銃がこちらにあると言っても、四対二では不利だわ」
「へっへっ、分かってんじゃねぇか。で、どうすんだ?」
「私達は、ここから出て行くわ。この事務所は勝手にして結構よ。ただし、少しでも手を出そうとしたら、容赦無く撃つわよ」
リーダーの男が、目を細めた。和人から目を離し、その視線を、千智一人に向ける。
「まあ聞け。俺達は何も、住処が欲しくてやって来たんじゃ、ねぇ。俺達は、女を攫いに来たんだ」
「そう。最低ね」
「女を食うのは俺達じゃねぇさ。客だけだ。こんな時代だ、避妊も要らねぇ。良い商売ってなもんよ」
男達は、千智と和人に向けていたナイフを下ろした。
「だが、あんたみてぇな賢女、沈めるには勿体ねぇ。どうだ。俺達の仲間にならねぇか。女達の元締めが居れば、何かと助かるんでねぇ」
「断るわ。あなた達みたいに、時代のせいにして全てを押し通そうとするのは、嫌いなの」
千智の目も、真っ直ぐに男達を貫いている。和人は両者を見比べて、自分の割って入る隙間を見つけられずに戸惑った。今すぐ、この男に殴りかかりたい。そう思う拳が、震えた。
「そりゃ、立派な理想だな。なら仕方ねぇ、あんたにも、女として働いて貰う事にするか」
男達が、千智の方へと歩き出す。今しかない。和人はポケットに入っていたいくつかの石を、一気に全部掴んで、男達に投げ付けた。そのいくつかが顔や肩に命中し、さしたる威力はなかったものの、男達は一瞬立ち止まった。
「走りなさい!」
千智の叫ぶ声を聞いて、和人はよろめく男達を強引に押しのけ、部屋を飛び出た。階段を下りて、見事に粉砕されたガラス戸の前で、千智を待つ。だが、来ない。数秒の後に、和人が千智の姿を確認するために見つめている開け放たれたままの扉から、白煙が漏れてきた。あれは、確か……和人はその白煙の正体を思い出して、階段を駆け上がった。部屋の中は煙が充満し、もやがかって視界距離は五十センチメートルもなかった。和人は煙を吸わないようにして、その中に何とか倒れ込んだ千智の姿を見つけた。
「無茶しやがって……」
千智の体を、背負う。和人はそのまま、息を止めて走ると、部屋を出て階段を下り、事務所から脱出した。
千智が目を覚ましたのは、和人が誰もいない空き地を闇の中で慎重に探し、やっとの事で休める横置きの土管を見つけ、二人分の体をその中へ入れた時だった。
「……頭が痛いわ。ぐわんぐわんする」
「当たり前だろ。あんな煙、たっぷり吸ったんだからさ」
白煙は、千智の用意した事務所防衛手段の一つだった。吸うと、煙に含まれる薬品が脳に作用して、意識レベルを低下させる。
「俺が助けにいかなかったら、どうするつもりだったんだよ」
「先に換気扇を回したのよ。あの煙の噴出口は、私よりあの男達の近くにあったわ。だから、煙が全部抜けてから、先に起きるのは私の方、という予定ね」
「相変わらず、抜け目ないなぁ」
土管の中は、定期的に風が吹き抜けて、軽装の二人はその度、寒さに身を震わせた。ある時、千智が体を和人に少し近付けると、和人も呼応して、千智に身を寄せた。やがて二人は、お互いに寄り添いあって、深い眠りについた。