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1.

 事務所から近い、人のあまり寄り付かない寂れた雑貨屋で、ノートを段ボール箱ごと購入する。高尾和人たかおかずとは、重たい段ボール箱を荷物を運ぶ為の四輪車へ載せると、四輪車を後ろから押して、人の少ない夜の街を、彼の勤める事務所の方へと歩き出した。

 ビルも、道路も、かつての輝きを保ってはいなかった。どちらも夜に紛れて、目を凝らさなければ見えもしない。新月の夜には、街は死んだように真っ暗になった。

 長年、問題とされてきた化石燃料は、これといった応じ手もなく八年前に底を突いた。原子力発電所は、七年前に致命的な化学的危険性が発見されて、世界中で使用が中止された。各地で電力が大幅に不足し、国々は急速に衰退の時代へと落ちていった。

 そんな中、六年前に、太陽の活動が弱くなりつつある事が判明した。表面温度が下がり、徐々に光度も落ち、百年後には地球は氷と闇に覆われるだろう、という調査結果が発表された。科学的な理由付けは様々となされたが、そのどれもが解決策を帯びず、またそのどれもが、百年後の氷河期を予言していた。

 出生率は、この三つの悪い知らせによって、半分以下にまで落ち込んだ。一方で、妊娠中絶の件数は増加の一途を辿り、社会問題にもなりかけたが、テレビが放送されなくなり、ラジオも止まり、インターネットが高級品となると、妊娠中絶に対する人々の関心も散り散りになって、いつしか消えていった。自殺者の増加にも歯止めの掛けようがなく、世界人口は減少し、去年には二十億人を割り込んだ。この勢いで人口が減少していくと、地球の氷河期突入を待たずに人類は滅亡する、とした調査結果も発表された。新興宗教が流行し、仏陀の生まれ変わりが世界に百人を超えて誕生した。犯罪は後を絶たず、特に無理心中は、どの町でも週に一度は起こった。管理者も従業員も居なくなった動植物園は、園がそのまま野生の大国に変わった。モナリザは燃やされ、考える人は砕かれた。自転車メーカーが、乗用車やバイクの代替物として大量の自転車を組み立て、それを求める人々の襲撃強奪を受けて倒産した。

 和人は自転車の小売店で働いていた。ある日、昼に出勤してみると、店は壊され自転車は一台残らず奪われていた。そのまま和人は解雇され、退職金ももちろん出なかった。半年前、和人は二十四歳で、無職となった。母と父はこの頃、旅行に行くと言って出て行ったまま今も帰らない。不況と治安の悪化でまともな職も見つからず、数ヶ月を無為に過ごし、貯金も底をついて、いよいよ自分も旅立たねばならないかも知れない、とさえ考え始めた頃に、今の仕事に巡り会った。

 横断歩道を、左右の確認もせずに渡っていく。信号機は既に役割を失い、またもし役割が残っていても、点灯する事はない。事務所は、町で一番大きな横断歩道の、すぐ目の前にあった。和人は、事務所の前まで四輪車を押すと、中が見えないようスモークが入ったガラス戸を、とんとん、と叩いた。ガラス戸は少しの沈黙の後に、小さな軋みの音を立てて開いた。

 中から、和人より一回りか二回り体格の良い男が出てきて、和人と目を合わせた。和人が頷くと、男は四輪車の上の段ボール箱を、和人が持ち上げるよりもずっと軽そうに持って、ガラス戸の奥へと去っていった。

 和人は、四輪車をガラス戸を入ってすぐの物置き場へと置くと、男が上っていったであろう階段、事務所の本部屋へと繋がる階段を上った。木でできた階段は、事務所の社長によると、そう遠くない未来には高級品になる。その未来的高級品を踏みつけて、和人は二階の扉の前へと到着した。扉を二度ノックすると、入りなさい、という聞き慣れた女性の声が部屋の中から響いてきた。和人は声に従って、ノブを回して扉を押し開いた。

「お帰り。そしてお疲れさま」

 社長が、さっき入りなさいと言ったのと同じ、抑えられたトーンで和人を出迎えた。この女性社長は、岡野千智おかのちさとである。千智は、彼女を含めて四人しか従業員のいないこの会社を、十九歳のとき立ち上げた。また、今でも十九歳である。和人を含めて、千智以外の三人も起業の頃から、つまりは二,三ヶ月ほど前から、ここに勤めていた。

涼太りょうたの報告からすると、けっこうな量を手にいれたみたいね」

 千智は、彼女の横にボディーガードのように立っている男、さきほど段ボール箱を運んでいった男を指差して、和人に言った。指差された男は、岡野涼太おかのりょうたという千智の兄である。涼太ももちろん立ち上げの頃からのメンバーであり、副社長であり、かつ秘書職とボディーガードも務める、名実共に千智に次いで会社の中枢を担う人物だ。

「ああ。百冊はあると思う。……で、どうしてノートなんだ?」

 和人は、そう千智に訊ねた。買ってこい、と言われて買ってはきたが、その理由はまださっぱり掴めていなかった。

「少し、頭を働かせるのよ」

 千智はそう言って、あまり豪華でない木の社長椅子から立ち上がった。椅子の前にある机が、かたん、と揺れる。

「まず、第一点は、ノートの生産には石油が要るということ。まぁ、動いている工場自体少ないのだから、生産の課題の有無はあまり影響しないのだけどね。第二点は、ノートは今際の時には何かと有用だということよ」

「ああ……遺書を書く為とかに?」

「そうじゃないわ。太陽が完全に休止して真っ暗になったら、人々は明かりを求めるでしょう? そうなったら、手軽に着火できるノート類は、貴重なものになる。つまり、レートが上がるのよ!」

 言葉尻を強めて、千智はそう強弁する。千智が営むこの事務所の基本的な業務内容は、安い間に価値のあるものを買い占めておいて、それらの価値が高くなった所でそれを売るという商売である。

「そんな時に儲かっても仕方ないんじゃないか?」

 和人が、更に訊ねる。千智は馬鹿ね、と鼻を鳴らして、

「未来的にそうなると、客に思わせれば良いのよ。そうすれば、明日からでも高値で捌けるわ」

 と、答えた。

「悪どいなぁ……」

「あら、酷い言い様ね。あなたも共犯なのに」

 和人は、自分よりもかなり背の低い彼女の目を見つめて、ここ一ヶ月ほど感じ続けている不思議な気分を味わった。人類の滅亡という絶望を前にして、それを商売にしようという少女の目が、何故かまっすぐで輝いている。何が楽しいのか分からないが、いつでも笑んでいる。何を根拠に持たずとも自信に溢れて、商売も恐ろしいほどに上手くいっている。和人はそんな千智の底知れぬ人間性と、兄の涼太の寡黙な性格と、それから、千智が市場視察にロシアへと渡らせた彼女の妹、岡野桜おかのさくらの強靭性を自分のそれらと見比べて、ひどい劣等感と疎外感を覚えていた。

「さて、ついさっき、桜から音声報告が届いたわ。私もまだ聞いていないから、今すぐ聞くわよ」

 千智は、また社長椅子に座ると、目の前の机の上に、とん、とカセットテープを置いた。

「涼太。これを再生して」

 指示された通りに、涼太はカセットテープを、やはり机の上に置いてある小さなカセットプレイヤにセットし、プレイヤの白い三角で表された再生ボタンを押した。




「『……ロシア北部は日に日に、寒さを増しているそうです。』」

 ざざざ、という、耳障りな雑音が数秒続いた後に、カセットプレイヤのスピーカーから、桜の落ち着いたアルト声が流れ始めた。

「『南部では、長く続いた無政府安定状態がついに破れて、民衆同士の激しい争いが起こるようになりました。銃火機はもちろんありませんから、ナイフでの白兵戦に終始していますが、いつ終わるのか見通しも立ちません。最近、私の素性を怪しんで、何かの集団が家の周りを常に監視しているようです。そのせいで、情報を集めにいく事もできません。これ以上私がここに居ても……』」

 スピーカーからの桜の声が一度止んで、すぐに、ガラスが一気に何十枚と割れたような轟音が、代わりに部屋を満たした。和人は思わず、耳を塞いだ。

「『……ごめんなさい、隣の家で何かあったようです。とにかく、これから先は、滞在していても有効な情報を送る事は不可能そうです。それに、身の危険も……少し、感じます。危機迫っていざ危うきとなれば、指示を待たずに日本に戻るつもりです。ですが、今の内に帰還の指示を貰いたい、と切に思います。……では。』」

 最後にまた、ざざざ、という雑音があって、カセットプレイヤは動作を停止した。急速に巻き戻されるカセットの音が、代わって部屋を支配する。今、底知れぬ絶望感だとか、虚無感だとかというものが、部屋に居る三人の心には溢れるほどに満ち満ちていた。だが、そんな気分も、最近では珍しい事ではない。明るい気分で居る時の方が珍しかった。世界は、勢いを増して、終わりを迎えようとしていた。

「……やむを得ないわね」

 暗い沈黙の中、千智が最初に言葉を発した。

「桜を帰還させるわ。涼太か、和人、迎えにいきなさい」

「迎えに?」

「そうよ。桜は貴重な人材よ。早く保護する必要があるわ」

 和人は、涼太の方を見た。矢ぐらいなら弾き返しそうな屈強な肉体は、桜を保護して連れ帰る任務にはうってつけのように思えた。かと言って、ここに残って千智の秘書役をするのにも、自分より彼の方が相応しく見える。和人は半ば泣きつくような心持ちで、

「どう思う? 俺と、あんたと、どっちが迎えにいくべきなんだろう?」

 と、涼太に訊ねた。

「……答えがたい。二人とも俺の大切な妹だ。どちらも俺が守りたい」

 裏返せば、どちらも自分には託せないという事だ、と涼太は思った。普段に無口な涼太の声は、低く、威力があって、更にはえぐるような震えの色を持っている。言葉には論理的でない説得力があった。

「分かったわ、私が決める。……そうね。涼太、桜を迎えにいってちょうだい。この拠点は、私と和人で支えるから」

 涼太は、無言で頷いた。日本と国外とを結ぶ道は、帆船を使う海路に限られている。その帆船も、海賊の襲撃を恐れて、行き来している数は少ない。涼太はそんな事情を踏まえてか、まだ夜だという事も気に留めず、社長椅子の横に置いてある小さな鞄を拾い上げると、それをそのまま肩に掛けた。小さな鞄にはお金が詰まっていて、事務所が襲われるなどという緊急時に、簡単に持って逃げられるようにしてあるのだ。

「落ち着きなさい、あなたらしくないわよ。……良い? もし危険になったら、会社より何より、命を優先して」

 涼太は、こくりとまた、頷いた。じっと、二人が目を合わせる。和人はただ、黙って、その二人の光景を見るだけだった。

 やがて、涼太が部屋を出ていくと、事務所のメインルームには和人と千智が残された。音もなく、千智は椅子から、和人を見つめている。

「納得行かない?」

「いや、そうじゃないけど……」

「なら早く、その不満そうな顔を直しなさい。明日からは、もっと忙しくなるのよ」

 言いつつ、千智は冗談っぽく肩を竦めた。実際の所は、今日も昨日も、忙しいと呼べるような日ではなかった。

「そうだな」

 緊急の事態が突然起こって、人が一人減って、事務所には二人だけになった。その心細さは、和人を自嘲の笑みに追い立てるに十分だった。

「明日には、新しく石を買うわ」

「石?」

 和人の様子への嫌悪感を表情に出しつつ、千智はええ、と頷いた。

「そうよ。……と、先に火を消すわよ。もったいないから」

 千智が指差したのは、さっきから部屋の灯りの全てを担っていた、ランプである。電気の価格は日毎に高くなっていて、特に夜は、特別価格と称して一週間分の食事代が五分でなくなるほどの料金となっていた。それで、千智達はランプを使っているのだった。

「ああ。どうぞ」

 和人がそう答えると、千智の息を吹く音と共に、ランプはふっと闇に溶けた。部屋は、急に真っ暗に変わった。

「ランプ燃料も、もう底を突きかけているの。そのせいかも知れないわね。何だか、暗い方が落ち着く気がするのは」

「そうか? 俺はやっぱり、明るい方が好きだな」

「あら、そう? ……とにかく、石を買うわ」

 暗い部屋に、二人はよく慣れていた。わずかな動作まではさすがに読み取れないが、お互いがどこで、どんな身振りをしているのかぐらいは、十分に分かる。暗闇の中で分からないのは、表情だけだった。

「石って……庭園の石とかか?」

「外れよ。あなた、才能ないのね」

「うるさい。じゃあ、どんな石だよ?」

 和人は、部屋の端に設置されたソファへと腰掛けながら、そう尋ねた。ソファが、和人の毎晩の寝床である。千智は、ソファと反対側にある小さなベッドで毎夜眠っているから、二人は一ヶ月ほど、同じ部屋で寝たり起きたりしている事になる。

「それなりに重さがあって……投げられるぐらいの大きさの石」

 千智も、社長椅子を離れて、自分のベッドに腰を下ろした。男女が同室で寝泊まりするのも、現代ではあまり珍しい事ではなかった。もちろん、お互いにある程度の信頼を寄せていれば、ではあるが。和人はその点において、千智に少しは信用されているのだと、喜びを得ていた。

「何だ、それ。何に使うんだよ」

 真っ暗な中を向き合いながら、和人は尋ねた。

「桜からの報告にもあったでしょう? 今現在の武器の主流は、ナイフよ。だけれど、安物のナイフはすぐに錆びる……。そうしたら、次には鈍器の時代が来るわ。投擲できる石は、いわば最強ね」

 ふふん、と、千智が鼻を鳴らす。だが今度は、和人の方が表情を不愉快そうに曇らせた。

「死の商人みたいじゃないか、それ」

「ええ、そうね。だから、石は売る為じゃなくて、自衛の為に買っておくのよ。いざという時の武器としてね」

 千智の足が浮いて、ベッドの上に乗っかる。寝るつもりなのだろう、と和人は思った。千智も和人も、寝巻を着ないようになってもうずいぶん経つ。緊急時に、すぐに逃げ出せるようにだった。

「ふうん。それ、なんか凄く頭良いな」

「当たり前よ、私を誰だと思っているの? ……さあ、もう寝るわよ。起きていたって、良い事なんてないんだから」

 「起きていたって、良い事なんてない」は、寝る前の千智が必ず言う一言だった。毎晩聞いているので、条件反射で和人も眠たくなってくる、不思議な言葉である。

「そうだな。お休み」

 和人も、足をソファの上へと置いて、頭を柔らかいクッションの上に落とした。剥き出しの足が寒い。だからどうしたと言うのだ。そんな詰まらない問答を脳中で繰り返しながら、和人は闇の中に更に目を閉じて、深い眠りへと誘われていった。

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